次の年も、その次の年も、そのまた次の年も
君と並んでこの花を愛でると、春の欠片に約束しよう

Cherry blossom〜花びらの誓い〜


 窓を覆うカーテンを開け放ち、寝室へと光を呼び込む。
 眩しさに目を細める彼女に、短く声をかけた。
 枕に顔を埋め、何やら返事をするものの、一向に起き上がる気配は見えない。
 ため息を漏らしもう一度声をかけると、ようやくベッドの上で座り込んだ。

 「……眠い」

 それはそうだろうと、彼は呆れたため息を漏らす。
 慌ただしく過ぎる毎日、二人の休みが重なることはそれほど多くはない。それを翌日に控えたことで、昨夜の彼女は少しだけ浮かれているようにも見えた。
 他愛もない会話に笑みを浮かべ、お互いに時間を忘れた。
 その後、ベッドへと誘った自分にも責任はあったのかも知れないが、眠りが足りないのも当然のことだった。

 体は起こしたものの、その意識は未だ眠ったままの彼女は、不服そうに枕を抱えたままだ。
 そのまま眺めていると、また音もなくベッドへと倒れこんだ。
 まるで子供のようなその寝起きの悪さは、普段の彼女とは余りにも違いすぎて。
 笑みを誘いはするものの、呆れることに変わりはない。



 二、三度同じことを繰り返し、そろそろかと見当をつけてポツリと呟く。
 「せっかくの休みだ。どこかに出かけようかとも思ったのだが、どうやら無理なようだな」
 その言葉にやっと瞼を開けて、しかしなおも眠そうにこしこしと目を擦る。
 「……目が開かないのよ」
 唇を尖らせてそう答える姿に、込み上げた笑いが漏れた。



 ソファに座って朝刊に目を通しているうちに、どうにかベッドから抜け出した彼女が視界の端に現れる。
 形のよい眉を顰め、無言のままで冷蔵庫を開くと、冷えた水を取り出して一口飲んだ。
 そのままリビングへと移動した彼女は、少しはマシになったものの。
 相変わらず眠そうな顔のままで、彼の隣に座り込む。
 背もたれから浮いた背中に頬を押し当て、心地よい温もりを求めるようにまた瞼を閉じる。
 「目は開いたのか?」
 からかいを含んで問いかける声にも、特に怒った様子も見せず。
 「まだ……」と一言返すだけで、その場から動こうとはしない。
 どうやら甘えているらしいと感じ取り、少し脅かすつもりで口を開く。

 「……今年も見逃しても、構わないのだな?」

 試すような顔で眺める彼に、彼女は不機嫌そうにそれを見上げ忌々げに睨みつける。
 一度だけ深く息を吐くと、そのままの顔で支度を始めた。



 洗面所へと向かい、顔を洗う気配が伝わる。
 寝室で肌を整えた後、クローゼットの扉が開閉する音が聞こえた。
 「どっち?」
 胸元にレースをあしらったキャミソールと、同系色のボレロとクロップトパンツ。春らしい色合いのコットンニットには、それに合わせたストールとプリーツスカート。
 それをドアの隙間から交互に見せられ、視線を呼び止める。
 「あとの方だ」
 「……そう言うと思ったわ」
 なら聞くまでもないだろうとため息を漏らし、それでもぱたぱたと騒々しく準備をするうちに、笑顔になっていく彼女の変りようには、いつものことながら笑わずにはいられない。

 やはり今日も、座ったまま支度が整うのを待っているうちに、徐々に肩を震わせる彼に「何を笑っているの?」と彼女が問いかける。
 それをきっかけに本格的に笑い始めた姿を見て、彼女はわけが分からないと言った様子で眉を寄せ首を傾げた。





 赤い跳馬は吸い付くように路面を走り、普段より幾分空いた道は快適にその役割を果たしている。
 笑いの理由に、彼女はひとしきり込み上げる怒りをぶつけたが、それでも景色が流れるにつれて浮かべた笑みは、心を和ませるに充分なもので。
 毎日仕事で通う場所を通り過ぎ、微かに感じるだけだった海の香りが濃くなるころ、誇らしげに日の光を浴びる吊り橋を渡って、目指すべき場所へと到着した。

 見頃も終盤に差し掛かったせいか、思ったよりその人出は多くない。
 ひらひらと舞い落ちる春の欠片に手を翳しながら、彼女が呟いた。
 「綺麗ね」
 笑顔で斜め上を見上げる彼女に、彼も同じように笑い返す。
 儚い命を惜んで咲き誇るそれは、春の日差しを受けて雪が舞うようにも見える。
 まるで一枚の絵のような、美しくも切ない光景に息を呑む。


 淡い色に染められたその景色は、今は見る人だけのものだった。


 降り注ぐ日差しは穏やかで、常日頃の忙しさをつかの間忘れさせる。
 並んで歩く彼女の髪に、春の欠片が舞い落ちているのを目の端で捉えた。
 「メイ」
 「なぁに?」
 「じっとしていたまえ」

 親指と人差し指でそれを摘み、手のひらに載せて彼女の前に指し示す。
 白にごく薄い紅色が差した小さな欠片は、少しの間その場所に止まり。
 やがて音もなく吹き抜ける風に誘われて、白い絨毯を敷き詰めたような足元にはらはらと零れ落ちていった。

 俯き加減にそれを見送る彼女の髪を、悪戯な風が玩ぶ。
 白い頬に一筋だけ残った後れ毛に気付き、彼が少しだけ身体を屈めた。
 「?」
 「髪が……」
 覗き込むように顔を近づけ、滑らかな頬に唇を寄せる。


 軽く、軽く、ほんの瞬きの間だけ。


 やがてその行為に気付いた彼女が、驚いたように目を見開く。
 離れてはいたが周囲に人がいる状況に、慌ててあたりを見回し腹立たしげに睨み付ける。
 上目遣いに向けられる視線に一度だけ眉を上げ、微かに口元を綻ばせながら、彼は何事もなかったかのように前を向いて小さな声で呟いた。

 「隙あり、というヤツだ」

 何事か言い返そうと、彼女の唇に力が込められる。
 しかしそれは結果として、声になることはなく。
 最後には呆れたため息を漏らし、はにかんだような笑みを浮かべた。

 「また、見えるかしら?」
 移ろいゆく季節を惜しみ、そう呟く彼女の声に彼が穏やかに微笑む。
 「……君が起きられれば、だな」
 揶揄するような彼の口調に、彼女が再び睨み付ける。だがそれはすぐに柔らかなものへと変わり、お互いに目を合わせてはくすくすと笑い合った。

 「起きるわよ、当然でしょう?」
 「そう願いたいものだ」
 少し前を歩く彼女が振り向き、その手を差し伸べる。
 彼がしっかりと握り締めると、満面の笑みでそれに応えた。
 まるで全てを包み込むような、穏やかな温もりに目を細める。



 鮮やかに変わるその表情は、ずっと彼だけのものだった。







END.


yes to to toさん宅の 3000ヒット記念のSSをこそっと頂いて来ました!
(フリーですよ念のため)
こそこそと、しかし足しげく通わせて頂いているkanataさんのサイトには
思わず万歳三唱したくなるような(?)仲睦まじい御剣さんと冥ちゃんが
そこここにいらっしゃるのですよ…!
2人でお花見…なお話ですが
はあ…たまらんですね!この、相思相愛ぶりがね…(うっとり)
お二人ともが本当に幸せそうで
紡がれている文章から幸せがにじみ出でいて…否!溢れてます。
そして私は幸せです…!(なんか滅茶苦茶…)
kanata様、素敵SSを有り難う御座いました&3000ヒットおめでとう御座います!

2006.4.22


kanataさんのサイト↑

お写真はこちらからお借りしました。
空色地図 -sorairo no chizu-
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