魔法少女リリカルなのはA's VerH −宵闇の小夜曲−



    ― Digression.Zero ―

 時空管理局執務官クロノ・ハラオウンは苦りきった表情で、その議事録から抜粋された、極めて簡略化された報告書を眺めていた。
「・・・・・・・・ッ」
 自分でも気づかないほど小さく舌打ちすると、彼は面白くなさそうな表情でそれを、オフィス机の隅へと放りだした。そしてそれを視界の端に収めつつ、頬杖をついて黙考に耽る。が、それも長くは続かなかった。
 彼の執務室へ音速を突破しそうな勢いで駆け寄ってくる、地響きにも似た騒々しい足音が聞こえてきたからだ。
 どうやらその人物も、同じ様にその報告書に目を通したのだろう。
「クロノ君! クロノくん! ク―ロ―ノ―く――んっ!
 はやてちゃんなんとかならないの可及的速やかに且つチョッパヤでっ!」
 そんなもん読んでないであたしの話を聞いてよコンチクショー的な早口で、彼の執務室の入り口を開けるのももどかしく、その身を強引にねじ込んできたのは、もちろん執務官補佐兼、時空管理局所属艦艦船アースラクルー、ブリッジオペレータのエイミィ・リミエッタである。
 オフィス机のまん前に立った彼女は、何のん気に構えてんだーッ! とばかりに、バシバシ両手で叩いて詰め寄ってくる。そんな彼女を、言われなくても分かっている的な冷ややかな視線で見つめ返したクロノは、ため息を一つ吐き出すと、
「とにかく落ち着いてくれ」
 と呟きつつ、広げた両手を掲げてみせた。
「こっちだって何とかしたいのは山々なんだ。
 だけど、この報告書にも書かれている通り、本人と現場のシモーネ提督や、なのはとフェイトが、はやての証言が事実だと告げているんだ。
 こんな簡略化された報告書一枚で済まされるなんて、確かに舐められてるとは思うけど、形通り出来上がっているこの判決内容をひっくり返すなんて、簡単に出来るわけないだろう?」
「そこを何とかできないのかって聞いてるんじゃなぁい!」
 半ばヒステリー気味にバンバン机を叩いて文句を言ってくる彼女に辟易しながらも、クロノは彼女をなんとか押しとどめた。
「いいかエイミィ。仮にも僕らは法の番人なんだ。正当な手順と手続きで裁かれることが決まったものを、おいそれと覆して良いわけがない。それぐらい君にだって分かるだろう?」
「でも・・でもさー」
 クロノの言うことも分かるのか、エイミィは両の拳を握りしめると、ブンブン振るわせて悔しがった。だが次の瞬間、天頂の跳ねっ毛をピクッと跳ね上げると、妙案を思いついたとばかりに目を輝かせ、
「そうだ。そうだよ! グレアム提督に掛け合って・・・!」
 と、退役して久しい人物の名をあげたのだ。
 そんな暴走気味の彼女を諌めるのは、いつだってクロノの役目(貧乏クジともいう)である。今回もその例に漏れず、
「頼むからそれだけはやめてくれエイミィ。ただでさえ、はやての立場は非常にまずい状況になっているんだ。
 もし仮にグレアム提督を引っ張り出したりなんかしてみろ。提督と彼女の関係を調べるために、一連の事件の裏側まで引っくり返されることになるんだぞ。
 君ははやてに怨まれても良いって言うのか?」
 組んだ両手の上に顎を乗せ、目の前に立つエイミィを見上げるクロノのそれは、普段の姉貴分、弟分のものではなく、冷徹な執務官のそれだった。
 闇の書事件の暗部で、ギル・グレアムが関与していたという事実は、時空管理局内部では、極限られた人物にしか知らされていない極秘事項である。
 そして当のはやて本人に対して、グレアム自身が「時が来たら話す」と言い残しているために、その事実をはやては知らされていないのだ。つまり時空管理局内で、グレアムとはやての関係は存在しないことになっているのである。
 その存在しない関係を、はやて弁護のために浮かび上がらせるということは、双方の関係を悪くするばかりでなく、はやてとその関係者を、再度、闇の世界へ追いやることになるかもしれない。まかり間違えば、時空管理局の威信を失墜させ、組織解体の憂き目にあう大問題に発展する可能だってある。
 そんな最悪なシナリオを、自ら演出で行おうというのか?
 クロノはそう言っているのだ。
「・・ん〜〜〜〜〜〜〜〜っ!
 今日のクロノ君、なんか意地悪だ〜〜〜〜〜〜!」
 珍しく感情一直線でクロノの元に訪れていたエイミィは、情緒不安定になっていたのか、突然ポロリと大粒の涙を浮かべたのである。
 勿論、慌てたのはクロノの方だった。
 イスを倒すような勢いで立ち上がった彼は、机を回り込むのももどかしく、ワンワン泣き始めたエイミィを取り成そうと近づいた。しかしこのような彼女を目の前にするのは、初めての経験であるため、咄嗟に近寄ったものの、さて次にどうしたらいいものやらと、思わず固まってしまったのである。
 いけ! そこだ! 抱き寄せろ! ごーごークロ助〜ッ♪
 一瞬、悪寒と共に、そんな囃し立てるような声を聞いた気がしたクロノだったが、気のせいだと頭を振ると、平静に対処せねば。と己に言い聞かせた。
「エイミィ・・・」
 出来るだけやさしい声で呼びかけ、彼女の肩に手をかけようとした次の瞬間、
「クロノ君にくせにぃッ!」
 パーで思いっきり引っぱたかれた。
 泣きじゃくる彼女にばかり意識が向いていたせいで、振り上げられた手が視界の外にあったのだ。そのため、クロノはまったく予測回避できず、綺麗に貰うことになった。
 突然の事態に、クロノ自身、何がどうなったのか判断できない。そうこうしている内に、ワッと声を上げ始めたエイミィが、彼の胸元に飛び込んできて、大泣きし始めたのである。
 この二年で、クロノの身長はエイミィに追いつき追い越し、ほんの少しばかり高くなっている。だから彼女が振り上げる拳は、自然、彼の胸元に叩き込まれる形になった。
 なのはの世界で見たドラマで、似たようなシーンがあったなぁ。
 どこか遠くそんなことを考えつつ、クロノはそれを黙って受け入れた。
 泣きじゃくるエイミィは、なおも彼のことをポカポカと叩くのだが、先の一発に比べれば、それらはなんてことはない威力のものだ。しかし彼には、その一叩き一叩きが、大太鼓のそれに匹敵するほどに、大きく響いてくるのだ。
 何故なら、彼もまたエイミィと同じ気持ちを、内包していたからである。
「・・もっとやりようはあったはずなんだ。もっとうまく立ち回れば、こんな結果になるはずなかったんだ。でも、彼女たちが決めたことなんだから仕方ないじゃないか!」
 変声期に入り、太くなり始めた声色に、滅多に見せない憤りを滲ませて、硬く握りしめた拳を振るわせるクロノに気付いたエイミィは、振り上げていた手を彼の胸に宛がうと、大人しくなった。自分以上に悔しい思いをしているのが彼だと理解したからだ。
 だから、そんな彼の内心を代弁するかのように、
「一体どうして・・なのはちゃん・・フェイトちゃん・・・」
 そんな彼女のその呟きに答えてくれる者は、その場にはいなかった・・・。



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