奇譚 魔法騎士 輝くは儚き黄昏

誤字、脱字、表現がヘンなど、気がついたところがあれば容赦なくご指摘下さいませ。m(_ _)m


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この作品は、TVアニメ魔法騎士レイアースを元にしたライトノベルな戦記モノ風味の小説です。
とりあえず序章めいた今作のみとなっています。
が、続編希望(原作無視のため、あんまり無さそう)等の声があれば、頑張ってみようかと思うかもしれません(汗
ではよろしくお願いします

巻末(?)に評価用スクリプトを置いています。よかったら評価ください。 <(_ _)>

念のため、無断転載・複製・パクリ(いるのかな?)を禁じます! と言っておきます
ダメ! 絶対!!


 あなたにこの想い届きますか?
 光り輝く大地から、あなたへ・・・


プロローグ

 その世界は、分厚い雲が何日も留まり、太陽の光を情け容赦なく遮る薄暗い世界だった。その証拠に、屋内では昼夜問わずランプや松明といった明かりがなければ、まともな営みもがおぼつかないほどだ。
 そしてほぼ毎日、四六時中雲間が光り、ゴロゴロという遠雷が聞こえてくるという調子だった。かと思えば、軒先のすぐ目の前に雷が落ちてくることもしばしばで、迂闊に出歩けば全身黒焦げの消し炭になってしまうとあっては、家屋で息を潜めるようになるのも、当然といえるだろう。
 人々を悩ませるのは何も雷ばかりではなかった。
 雷と共にやってくる雨である。それも一度振り出せば一週間以上は降り続くという、やっかいな長雨だ。洗濯物が乾かないどころではない。川は溢れ、濁流となり、昨日までそこにあった丘を跡形も無く押し流す。
 当然、日照不足も手伝ってまともな作物が育たないので、食糧事情も深刻だった。
 人間の手入れが必要な畑がそうなのだから、自生する草木なども似たり寄ったりだ。皆一様に色が抜け落ち、細長くかつ頼りなげに生い茂っている。花は咲いていれば良い方で、生彩など微塵も無い。当然の事ながら、そんな花に蜜を求めて蜂や蝶が近寄るはずも無く、またそれら昆虫を糧とする鳥の姿も無いのだ。食物連鎖の上位にあるべき動物達も同様で、最悪の場合、とうの昔に死に絶えているのかもしれなかった。
 『死を迎える世界』
 この風景を、この状況を表現する上で、これ以上しっくりくる言葉はないだろう。

 その世界の名はセフィーロ。
 花咲き乱れ、楽園だった世界・・・

 人里から遠く離れた山間の奥の奥。そこには昼なお暗い鬱蒼とした森林と、そして切り立った岩壁と頂上を雲間に隠すほどの高い尾根と山脈が横たわっていた。
 周辺の住人は、例えどんな理由があったとしても、そこへは近寄ろうとしなかった。もっとも、あまりにも険しい道のりと、獰猛なモンスターの巣窟を越えて行かなければならず、近づくことが出来たのは飛行魔法を習得した魔術師ぐらいであったから、魔法を使えない普通の人間にとっては、近寄りたくても近寄れない場所。というのが本当の所だった。しかし血気盛んな若者を戒めるため、『忌まわしきものが封じられた禁忌の山』と語る山師がいるのもまた事実だった。
 そんな人が滅多に近寄ることの無い山脈の一つ、固い岩盤を露にした絶壁の中腹にその鍾乳洞はあった。しかし不自然な点があった。その鍾乳洞の入り口は、砕けた巨大な岩がまるで覆い隠すように横たわっており、容易には見つけられない状態になっているのだ。勿論、鍾乳洞が形成される長い時間とを鑑みれば、開口部がふさがれるなど、そう珍しいことではないだろう。しかし、開口部と岩の大きさがピタリと一緒とあれば、鍾乳洞の入り口を塞ぐために、意図的に用意された物と考えるのが普通ではなかろうか? つまり、人に知られてはまずいものを隠すために、誰かがそこに岩を置いたのではないか? 仮にそうだとして、その鍾乳洞に何を隠す必要があるというのか? その答えは、その岩をそこに置いた人物のみが知っていることだった。

 鍾乳洞に入ると微かに水が流れる音が聞こえてくる。長い年月をかけ、固い岩盤を通り抜けてきた雨水が、洞川となって流れ出しているのだ。そのわずかな流れに沿って奥へ奥へと進むと、柱状の鍾乳石が何本も伸びている大きな広間に突き当たる。その広間に入った人間は、恐らく時間を忘れて立ち尽くすことになるだろう。なぜなら、そこには自然が生み出した芸術作品が置かれていたからだ。
 洞川の緩やかな流れが生み出した巨大な鍾乳石のテーブルは、階段状に何段も末広がりに広がっている。そしてテーブルのそこかしこには、水晶の花が何本も顔をのぞかせていたのだ。どうやらもともとそこにあった水晶の鉱脈に、石灰質を多く含んだ洞川が流れ込んだらしい。その結果、長い年月をかけてこのような芸術品が生み出されたのだ。
 そんな天然の美術館のさらに奥まった所に、自然の物とも松明の物ともつかない明かりが灯る場所があった。そこには差し渡し二十mはあろうかという巨大なテーブル状の鍾乳石があり、天井部分に目を向ければ、まるで花火が大輪を広げるかのように、巨大な水晶の柱が何本も連なっていたのだ。
 煌々と灯る明かりは、魔法で生み出された光球(俗にいうウィル・オー・ウィスプだろう)によるもので、親指と人差し指で作った輪ぐらいの大きさのものが数個、天井の水晶の中で踊っていた。自然、水晶はシャンデリアと同じような役割を果たし、光球の放つ光を至る方向に屈折させ、その空間をより一層煌びやかな場所として照らし出していた。
 しかしその演出を行った人物は、そのことにまるで頓着していなかった。
 その人物の注意は、その広場の一角に鎮座する一際巨大な水晶に向けられていたからだ。
「貴方にこのような仕打ちを科すのは心苦しいばかりです」
 その人物――光球を生み出す術を所有していることから、魔術師であると容易に推察することができる――は、巨大な水晶を前に跪き、深く頭をたれ、生涯をかけて仕えてきた主人への礼節であるかのように、恭しい口調で言の葉をつむぎだした。
 しかしそれもほんの一時のことだった。すぐに苦々しいものが混じる。
「なれど本当にこれでよかったのですか? 何か別に方法を探すことはできなかったのですか? まだ今しばらくの猶予があったのでは?」
「・・仕方のないことなのです。導師。
 これ以外に、この世界の崩壊を止める術はないのです・・・」
 と、導師(この世界では魔術師のことを『導師』という)以外に誰もいないはずのその場に、柔和な女性の声が返ってきた。
「しかし!」
「導師・・私を困らせないでください・・・」
 導師は眦を決してなおも言い募ろうと声を荒げた。しかし頭を上げた視線の先、そこにある水晶の柱の中で、まるで眠っているような安らかな表情を浮かべている少女の姿を凝視するうち、彼は何をいっても無駄であると考えたか、頭を振って居住まいを正すのだった。
 そんな導師に、申し訳ありません。と少女は一言、謝罪してきた。
「さあ導師。最後の封印をお早く。時間はあまり・・無いようです・・・」
 少女の声がさらに響く。
 しかし少女の言葉に気にかかる節がある。少女は自らを封印しろといったのだ。
 何故?
 しかしその声色には、何かを決意した強固な意思が込められていることは容易に分かる。生贄や人柱の類の儀式が、今この場で行われるというのか?
 そんな水晶の中の少女を見上げた導師は、なお何か言い募ろうとするのだが、唇を戦慄かせることしかできなかった。その胸中にいかような思いが交錯しているのか。それを推し量るのはあまりにも躊躇われることだった。しかしそんな二人のやりとりには、一種の思慕の念を感じられてならない。だがどちらともそれを態度に現すことはなかったのである。悲恋といえばそうなのかもしれない。しかし二人にそこまで育んだ感情はなかった。あるのは主と従のそれ。そして今生の別れとも思われる覚悟めいた気配もあったのだ。ならば今暫く、二人に時間を与えられるのならば、そうしてそっとしておくことは出来ないものなのか。
 しかしそんな僅かばかりの猶予すらも、二人には与えられていなかったのだ。
「お早く。私が、彼女を抑えていられるのは、幾許もありません。
 早く・・はやくッ!」
 それまで安らかだった少女の表情が一変したのだ。柳眉が中央に寄り眉間に皺が刻みこまれ、苦しげなものへと急変したのだ。
「術式・・起動(プロ・マキス)・・・」
 それを見た導師が苦渋に満ちた表情で呟き、立ち上がったその刹那、殺意にも似た視線が導師を貫いてきた。
「・・フフフフ・・・
 このままおとなしく封印などされると思うたか。浅はかな! この世の破滅を願う妾が、これしきの事で押さえ込めるはずもなかろうに!」
 それまで春の日差しを思わせる穏やかなものであった少女の口調が、そして声色までもが、醜悪な年老いた老婆の、まったく別人のものへと急変したのである。
「・・く! 魔女め! あのまま大人しくしておれば良いものを!」
「クスクスクスクス。
 そうはいかぬ。妾が願いは、この世とともに破滅を享受することぞ。何者にも邪魔をされる謂れなどないわ!」
 言動が様変わりした少女の口から、罵詈雑言が飛ぶ。
「何をぬかすか、この悪鬼め! 姫が愛した世界を、醜悪なものへと変えたばかりでは飽き足らず、なお一層の破滅を望むとは・・不逞の輩め!」
 導師は傍らに置いていた杖を握りしめると、素早く空いた手で指を組み、呪印を切りはじめた。
 そんな導師に向かって、さらに罵りの言葉が投げられた。
「くはははははは・・・
 姫が愛したとな? 世迷言を。
 姫はこの世を愛してなどいないさね。
 何故自分ばかりが窮屈な思いをせねばならぬ。
 何故自分ばかりが苦しまねばならぬ。
 何故、何故、何故と呪うておったわ! 民草の不平不満を一身に受け、『卑女』なる身に窶した者供を呪うておったのだ! そのような唾棄すべき世界など、泡のごとく消え失せれば良い! それが『柱』たる我が身の最たる願いじゃ!」
 眉間に深いしわを刻みながら叫ぶ彼女の表情は、先ほどまでのものとはうってかわり、悪鬼、般若のそれとなっていた。しかし変わったのは表情だけではない。この世の全てを恨む怨念は、本来の彼女が持つ特殊な力を破壊、破滅の力へと代えていく。それは戒めたる水晶の柱にヒビを入れるほどに、強力なものへと成長しつつある。
 だがそれを見ても導師は怯まなかった。
「ほざけ! 確かに『柱』は供犠なる存在! だが俗世より隔たれた環境にてお育てしたものぞ! 斯様な思いを抱くはずがない! 益体ない戯言なぞ、聞く耳持たん!」
 かく言う間にも、彼女を封印する最後の印を起動させるべく、導師の指先がめまぐるしくその形を変えていった。その一つ一つが呪文の詠唱の代わりとなっているからだ。
 それを知っている少女に取り憑いたもう一つの人格は、
「止めよ! 『柱』たる妾の言葉が聞けぬのか!
 妾を封印すれば、この世界は破滅あるのみじゃ! 大罪人の名を被る気かや、導師よ!」
「・・聞く耳持たんと言ったはずだ!
 それに貴様を放っておいても破滅への道を辿るというのならば、こうした方がまだ救いがあるというもの!
 結界よあれ(ジ・オ)!」
 導師は呪印を切り結ぶと共に最後に呪文を唱えた。その刹那、水晶の柱の袂に魔法円が浮かび上がり、鍾乳洞全体が目映い光に照らし出された。そして魔法円のそこかしこから光の鎖が何本も伸び上がると、瞬く間に水晶の柱を縛り上げていく。
「おのれ、おのれぇぇぇぇぇぇ!
 許さぬぞ導師! 必ずやそなたを後悔させてやろうぞ。必ずぅ!」

 この世の破滅を願う悪鬼は、こうして一人の少女と共に封印されることとなった。
 だがしかし、悪鬼を封印したというのに、すべてが好転に向かったわけではなかったのだ。
 その証拠に、七度日の出、日の入りを告げる鐘の音が響き渡っても、暗雲は杳として晴れず、ついぞ太陽はその姿を見せることはなかったからだ。

 その世界の名はセフィーロ。
 破滅へと向かう黄昏の世界・・・



光の章

 青い空。緑の大地。そしてどこまでも澄んだ蒼い海。
 美しい光景が広がる世界であることは間違いなかったが、我々が住んでいる世界とは明らかに異なる部分が、そこかしこに点在する奇妙な世界だった。
 まるで独りでに向きを代える砂時計の如く、お互いの湧き水を掛け合う宙に浮いた二つの島だとか、文字通り大地を踏みしめながら移動していく巨木の群れ、森があるだとか。
 はたしてトランプの兵隊やタキシードを纏った二本足で歩く兎が出てくる世界とどっちがまともかと聞かれても判断に苦しむが、そんな具合に奇妙な世界なのである。この『セフィーロ』という世界は。
 さて、そんな奇妙な世界『セフィーロ』に絹を裂くような悲鳴が、宙天からドップラー効果を伴って、三重奏で響いてきたことからこの物語は始まるのだ。
 声の主は皆、年端も行かない少女達である。
 一人は癖っ毛の持ち主で、小学生かと見間違うほどの小柄な十四歳の少女だった。後れ毛を腰の上あたりまで長く伸ばし、それを三つ編みにして赤のリボンでかわいらしく結んでいる。そして赤のベストに白のでっかいリボンタイに、シックな黒のミニスカートという制服は、近所の小中学校の女の子達にも『かわいい』と評判のもの。当の本人も気に入っているのだが、同性の人気を煽る要因となっているのは否めなかった。
 二人目の少女は、さらさらストレートの髪が印象的であった。こちらは先の少女と比べると頭二つ分背が高い。長い手足と切れ長の瞳は外国人を思わせる容姿であったが、正真正銘、純血の日本人である。濃いマリンブルーのブレザーとブルートパーズの色をしたプリーツのスカートという青を基調とした制服は、彼女のその面立ちと起伏に富んだスタイルの良さを三割り増しで際だたせている。高校生に間違われる事もしょっちゅうなのだが、先の少女と同じく十四歳の女の子だ。
 そして三人目。彼女は他の二人のちょうど中間位の身長であった。亜麻色の髪は肩の辺りでカールする天然パーマで、そうと聞いた同性から羨望を集めることしきり。少し下がり気味の眦と、大きめの眼鏡。そして赤いカチューシャがこの少女のトレードマークだ。他の二人と同じように、彼女も彼女が通う学園の鶯色の制服で身を包んでいた。
「来たか・・・」
 そんな三人の少女達を、待ちかまえる人物の姿があった。
 その人物は輝石を埋め込んだ杖を持ち、そして額には水晶を基調としたアミュレットに体全体を覆い隠すようなマントという、一目で呪術師や占師を生業としている者と見分けられそうな装飾品で身を包んでいた。だがそのマントの下にある容姿は一際小柄な少年のもので、呪術師や占師の格好をして遊んでいる子供のようにも見えなくもない。
 しかしここはファンタジーの世界である。
 子供のように見える容姿をしていながら、実は七百余年を生き続け、人との関わりを断った山奥に身を置く仙人のような人物なのだ。
「術式起動(プロ・マキス)」
 まだ変声期を迎えていないような中性的な声が響く。
 彼が言葉少な目にそう呟くと、足下にボウッと光輝くの円形の模様が浮かび上がった。そして彼の右手が呪印を切り結ぶと、それに呼応して円の中に不可思議な文様が走り始め、魔法陣を形成していく。
「精獣召還(グラン・ゾート)」
 呪文とともに手にした杖で魔法陣を叩く。すると何もない空間からライオンの体に鷲の頭と翼を有した精獣、グリフィーンが甲高い叫び声を上げて、姿を現した。
「早速で悪いが、一働きしてもらうぞ」
 召還主である導師が呟くのを聞き、グリフィーンは我が意を得たりと羽ばたき一つで舞い上がると、見る間に空高く昇り始めた。目指すは一点。空から落ちてくる三人の少女達である。
「浮身(アブゾ・ノール)」
 それを見届けた導師は、自由落下している少女達をグリフィーンが確実に確保できるようにするために、更に空中浮遊のため呪文を唱えたのだ。
 一方、当の少女達は完全にパニックを起こしていた。
 普段の日常から非日常へ、突然放り込まれたのだから無理もない。ましてやパラシュートもなしのフリーダイビングである。平静でいられるわけがない。手足を動かしても安定するはずも無く、少しでも確かな物を得ようと突き出す手は、虚空をつかむだけだ。これで一巻の終わりと思ったのも束の間、耳朶を打つ風切り音がいつしか弱くなっているに気がついた。そればかりか落下速度も次第にゆっくりになっているようだ。それに宙に漂う綿毛のようにフワフワとした不可思議な感覚が感じられるのだから間違いない。
 事ここにいたって、ようやく彼女達は、まわりの風景を、この奇妙な世界の風景を目に入れる余裕が生まれたようである。
「どこ? ここ?」
 奇妙な風景に奇妙な浮遊感。十四年という短い人生の中で、こんな経験をしたはずもなく、夢ではないのかと頬をつねりたくなる衝動にかられる。そしてその時になって初めて、三人はお互いを意識したのだ。
「どこ・・なんだろう?」「さあ?」「こんなアトラクションがあるなんて聞いたことないわ」
 思い思いの言葉が堰を切ったように出てくるが、それに答えられるはずもない。
 その時である。
「キェェーーン」
 という甲高い声がしたので、なんだろうとそちらへ目を向け、そして点にしたのである。
 ギリシア神話に出てくる幻獣であるグリフィーンのような、鷲の頭と翼を持った四つ足の怪獣が、自分たちに一直線に向かってくるのだ。
 パニック。またもやパニックである。気分は鯨に一飲みされる鯵や鰯、烏賊の群れといったところ。立ち向かおうにも抗おうにも、自分たちには武器どころか手段もない。
 グリフィーンに採って捕まえられた後、おいしく戴かれるに違いない。
 そんな想像に支配された少女達であったが、実際はそうではなかった。
 グリフィーンは、もはや宙空でただ浮かぶだけになった自分たちの前でフワリと滞空すると、背に乗れとでもいうように嘴を癪ってみせたのだ。グリフィーンのそんな愛嬌ある仕種に圧倒されてか、三人は我知らず、傍にいる面々と見つめあった。しかしそこに浮かんでいるのは、一様に明らかな戸惑いばかり。
 とりあえず自分たちに危害を加えることはないように思えるのだが、確証なんてものはないのだから、どうしようかと目配せしつつ迷うことになる。それを見かねて、グリフィーンが早くしろと言うように、再び二回続けて嘴を癪ってきた。
「乗せて・・くれるんだよね?」
 そんなグリフィーンに三つ編みの少女が怖ず怖ずと尋ねてみると、今度はコックリと深く頷いてみせたではないか。そんな愛嬌を見せられた彼女は、瞳を輝かせてグリフィーンに手を伸ばした。それを見た長髪の少女が、
「ちょっと、食べられちゃうわよ!」
 と目の前でスプラッターな光景を展開されてはたまらないと注意するのだが、
「わ、フカフカ♪」
 と、グリフィーンの毛並みの感触に歓声を上げるではないか。
 思わず「あんたねー」と顔をしかめる長髪の少女だったのだが、その隣で「本当に」と同じようにしている亜麻色の髪の少女がいることに気づき、頭を抱え込んでしまった。
 そんな一人苦悩している彼女に、
「早くおいでよー」
 と、三つ編みの少女がグリフィーンの背から手を伸ばしてきた。さらに「怖くないよー」という呑気な言葉が後に続いてくる。
 そのあまりにもニコチャンマークな笑顔に、なにか文句の一つも言ってやろうかと思う長髪の少女だったのだが、次の瞬間、彼女は未だ経験した事のない感覚に襲われることとなった。なんとグリフィーンが彼女のブレザーの奥襟を嘴でくわえて持ち上げに掛かったのだ。
「ぎゃあああぁぁぁぁあああ!」
 普段、小言の多い学校の女性教師に聞きとがめられれば、軽く三十分はお説教を聞かされること請け合いな悲鳴を上げ精一杯抗おうとするのだが、グリフィーンはそんなことを全く意に介した風もなく、彼女を軽々と持ち上げるや、ペッとばかりに背の方に放り出した。
 そんな手荒い仕打ちに、「何すんのよ!」と非難の声を挙げるのだが、グリフィーンは「フン」と鼻息荒く吐き出し一蹴すると、もう興味もないとばかりに正面を向いてしまった。まるで「モタモタしてるおまえが悪い」とでも言いたげな態度である。
 ――頭の羽根、全部毟り取ってやろうかしら!
 髪を蛇のように逆立て、三白眼で何やら不吉なことを考えている彼女の横に、いつのまにか三つ編みの少女がやってきて「大丈夫?」と声を掛けてきた。グリフィーンの背中は三人が横並びに並んでも余裕があるほど広く、またベルベットを思わせる艶やかな毛並みは、なるほど確かにフカフカで触り心地は最高だった。手荒く放りだされはしたが、特に痛いところがあるでなし、彼女は平気と言葉短めに答えたのである。するとさも当然だと言いたそうにグリフィーンが声をあげてみせたのである。
「一々、癪に障る奴だわね」
 という彼女の文句を聞き流したグリフィーンは、頭を下げると翼をはためかせた。飛ぶぞと態度示していることを察した三人は、彼(?)の体毛にしがみついた。それを確認したグリフィーンは、目下に広がる森の一角を目指して飛び出した。
「どこかに連れてってくれるみたいだね」
 三つ編みの少女が、またもや呑気すぎる発言をする。
 ――もしかしたら、お腹を空かせた雛が待っている巣に連れて行かれるかもしれないじゃない。
 長髪の少女はその考えを口にはしなかったが、亜麻色の髪の少女も同じ考えだったようで、ちょっと困ったような表情をしているが見える。しかし地表はまだ遥かに遠く、グリフィーンの背から飛び降りて逃げ出したとしても、生きていられる保証は限りなく零に近い。どちらにしても、今はおとなしくこのグリフィーンの背に乗っている外なさそうだった。
 そうして悲観に暮れる二人の少女と、思いがけない空中散歩に上機嫌の少女、計三人を乗せたグリフィーンが旋回しつつ高度を下げ始めた。
 鬼が出るか蛇が出るか。覚悟を決めねばと思案する二人を余所に、あ。と三つ編みの少女が左を指差した。その先におかしな格好をした人が立っているのに気が付いたからだ。もちろんその人物とは、彼女達を魔法にて滞空させたばかりか、当のグリフィーンを召還した導師その人なのだが、そんな事を知らない彼女達は、見るからに怪しいその出で立ちに、お腹を空かせた雛がいた方が良かったかもと、別の不安を募らせるのだった。
 そんな心配をする少女達を余所に、グリフィーンは導師の目の前に土煙を一つ立たせることなく、フワリと降り立つと、忠犬のように腰をおろして長い尻尾をゆっくりと左右に振ってみせた。
「ご苦労だった。ガンペリー」
 導師は自分の身長よりも高いところにあるグリフィーンの頬を撫で、労をねぎらうと、手にした杖を呼びだした時と同様に打ち付けた。するとグリフィーンは、さも嬉しそうにクルルと喉を鳴らしながら、すうっと背後の景色に紛れるように消えていったのだ。
 その光景に、ただ呆気にとられる三人の少女の中で、長髪の彼女がいち早くそれに気がついた。
 目の前の人物は、自分たちが聞き分けられる言葉を明らかにしゃべっていたのだ。
 それを知ってか知らずか、導師は微笑を浮かべて三人に向き直った。
「よく来た。異世界の少女達よ」
 それを聞いた少女達の反応は様々だった。
「やっぱり!」
「日本語・・・?」
「言葉が分かる!」
 まるで、自宅の近所で外国人に日本語で道を聞かれた様な様々な反応を示す少女たちに、導師は一瞬惚けた顔をして見せた。しかしそれもほんの一時で、
「失礼した。私の名はクレフ。
 この世界、『セフィーロ』で導師を、呪いを生業にしている者だ」
 と自己紹介をしたのである。もちろん、彼女たちを落ち着かせる意図だったのだが、今自分たちが置かれている状況がまったく分からない彼女達にとって、彼の個人的な情報は意味を成しえなかった。
「ここ何処なの? セフィーロなんて遊園地聞いたことない!」
「なぜ私たちは、こんな所にいるんですの?」
「っていうか、さっきのでっかい動物はどこいったの!? 手品? マジック? ハンドパワー?!」
 少しでも確かな情報を求めて、唯一コミュニケーションがとれると判断した相手に、三人が一斉に詰め寄るのは当然の結果だった。
 そんな三人の勢いに圧倒された導師は、我知らず声を荒げ、
「あ、慌てるな!
 順を追って説明するから、大人しくしろ!」
 と、手にした杖を横に振って三人を遠ざけた。まるでジャッカルだかコヨーテだかの群れに取り囲まれ、孤軍奮闘している遭難者のようである。
 聞きたいことは山ほどあるのだが、クレフと名乗るこの人物の言葉に従う他ないと思った三人は、お互いに目配せなどして、大人しくその場に座り込んだ。
 それを確認した導師は、フーッと嘆息ついて、
「この世界はセフィーロという。始終穏やかな気候で平和な世界だ。
 いや、だった・・だな。
 なぜならこの世界は今、危機に直面している」
 まるで何かのゲームの取説に書かれている一説のようなことをクレフは穏やかに語り始めた。
「なぜなら一国の王女が誘拐されたのだ」
 だが、三人はそんなことはどうでもいいのだ。ここはどこなのか? なぜこんな奇妙世界に今いるのか? なぜこんな奇妙な世界が存在する? そういったこの世界の住人にはどうでも良いことがそれが分かればいいのだ。しかしそこでゲームの取説に書かれているようなことを言われては、からかわれていると思っても仕方ない。だからクレフの声色を真似た長髪の少女が割り込み、そのまま一人芝居を始めたのは無理からぬことだったのである。
「多くの勇者達が、王女をさらった魔王に戦いを挑んだのだ。
 何人も何人も。
 だが誰一人、未だに帰って来た者はいない」
 台詞を奪われ、思わずパクパクと口を動かすクレフを余所に、彼女はなかなか堂に入った演技を続ける。勿論その道のプロが見れば拙い演技ではある。しかし素人目には十分満足できるものであったから、三つ編みの少女などは、素直に賞賛の拍手を送ったりしている。
 そんな思わぬ賞賛を受けるとは思っていなかったのか、彼女は照れ隠しなのか幾分頬を赤らめつつ、
「・・ってな話じゃないでしょーね? もしそうならグーで小突いちゃうわよ!」
 握りしめたゲンコツにハーッと息を吐き吐き、袖をたくし上げながら導師ににじり寄るのだった。
 一方、八つ当たりめいた対象にされた当の導師にしてみればたまったものではない。
 突然一人芝居を始めたかと思いきや、今度はなんだか分からない理由で詰め寄ってきているのだ。乙女心と秋の空。それ以上に理解に苦しむ彼女の言動に、クレフは目を白黒させるしかなかった。
「多少語弊はあるが、まあそのようなものだ。・・ところでグーとはなんだ?」
 なんとか彼女を落ち着かせようとしたのだが、それが火に油を注ぐ結果になった。彼はあくまで彼女達の質問に答える立場にいなくてはならない人物だったのだ。幼稚園児でも知っていそうなことを逆に問い返されてしまっては、目の前の少女の不興を買うのは当然である。現に彼女は、青筋を立てて怒りだした。
「グーはグーに決まってんでしょーが! お姉さん達をからかって遊ぶんなら、もっとマシな設定を持ってきなさいよ! お遊戯やってんじゃないんですからねッ!」
 それを聞いたクレフは話しが噛み合っていないことに気がついた。だが、なにより見た目の容姿で扱われることを殊のほか毛嫌いする元来の性格が鎌首をもたげ、なおかつ人の話しも聞かずに茶々を入れてきた無礼な小娘への憤りがここに来て爆発したのである。
「ふざけてなどおらん!
 至ってまともな話だ! 余計な茶々を入れずそこで大人しく座って聞いておれ!」
 クレフは素早く杖を振り回すと、彼女の膝の裏を打ち付けた。
 思わぬ攻撃に体勢を立て直すこともできず、長髪の少女はそのまま尻餅をつくようにして転がってしまう。もうこうなっては売り言葉に買い言葉である。彼女も「その喧嘩買った」とばかりに眉をつり上げて体を起こした。しかし、彼女は目を疑う光景を見ることとなった。
「・・すまぬ。少々大人気なかった。
 いきなりこのようなところに呼び出されて不安な気持ちも分かるが、とにかく私の話を聞いてくれまいか。
 そして助けてくれ。頼む。この通りだ」
 と、手にしていた杖を横に置き、深々とクレフが頭を垂れていたのである。
 激昂していた目の前の人物が、いきなり紳士然とした態度を採られた事で、毒気を抜かれたのは長髪の少女である。今時の少女であれば更に度し難い行動に出たかもしれないが、そこは流石に名門私立の女学校に通う身。気勢を殺がれたのも相まってすごすごと元の位置に納まると、「ごめんなさい。続けて」と小さな声で申し訳なさそうに促すのであった。
 それを見たクレフは、「かたじけない」と呟くと、事の成り行きを三人に語って聞かせ始めた。
 このセフィーロという世界は、『柱』によって支えられているという。
 『柱』はおよそ四十年周期で世代交代を繰り返してきた。
 『柱』とは、セフィーロに住む人々の願い(煩悩)を浄化して、このセフィーロの安定と安寧を約束する、超常の力を有した特別な人間である。
 その『柱』が何者かによって拐かされたらしい。
 『柱』を失ったセフィーロは、(今四人がいる地方は、まだ随分ましだが)倒れる寸前の独楽のように、不安定な状態になっているという。
「なんだ。あたしが言ったことと大差ないじゃない」
 クレフの説明を大人しく聞きつつも、長髪の少女がボソッと呟いたのを、クレフは地獄耳さながらに聞き取ると、
「拐かされた『姫』を助けるだけならば、おまえ達のような小娘にすがろうなどと考えるものか」
 と毒づいた。
 途端、二人の間に紫電が飛びかうのを見た亜麻色の髪の少女が、国連安保理軍よろしく、仲裁に割って入る。この二人が無軌道に対立していては、進む話しも進まない。
「な、なるほど。よく分かりました。
 それでその『柱』という方は今どちらに幽閉されているのですか?」
「・・それが分かれば苦労はせん」
「な、な、な、なんですって〜〜〜!」
 クレフの『知らない』宣言に、長髪の彼女の堪忍袋の緒が安々と千切れ飛んだ。
「知らないってどういう事よ!
 それじゃなに? あたし達は足を棒にしてさらわれたお姫様を探す冒険の旅に出ろっていうの! 冗談じゃないわよ!」
 ――どうもこの少女と話をするとこじれるな・・・。
 と自覚しつつも、クレフは説明を続けた。
「話を良く聞け! 姫は拐かされたと『思われる』といっているのだ!」
 何とも歯切れの悪いクレフの言葉に、亜麻色の髪の少女が興味津々と言った面もちで、どういうことかと問い返した。
「姫が不在となったため、確かにセフィーロは不安定になってきている。その証拠に人里には滅多に降りてこないモンスターの数が激増した。
 だが増えだしたのは、姫が行方不明になった先月のことではない。三年も前からその兆しがあったのだ」
 突然話が見えなくなり、首を傾げる長髪の少女をよそに、亜麻色の髪の少女が先を続けるよう促す。
「つまり、『柱』である姫に何かしらの異変が三年前に生じたと私は考えているのだ。
 初めのうちはなんとか出来たのかもしれない。だが最近になって、それも難しくなってきた。
 それを悲観した姫自らが姿を隠したのではあるまいかと、私は考えているのだ」
 自分で自分を封印して、世界の崩壊をくいとめたというのか。
 それを受けて、何か悪い病にでも伏せったのかと問いかえすが、その可能性も薄いという。『柱』に四六時中付く官女の言葉だから、信憑性は高い。
 そうするとクレフの考えも、あながち間違っていないようにも思える。
 それでは、と亜麻色の髪の少女は、日本書紀に描かれている天照大神が天野岩戸に隠れてしまった神話の話を持ち出し、同じようにして『柱』を誘い出し、理由の一端を聞き出すことは出来ないのかと提案するのだが、隠れている場所が不確かな現状で効果があるのかと切り替えされては、返す言葉に詰まってしまう。
「そこでだ」
 ようやく本題に移れたことに、クレフはやれやれと思いつつ、
「姫を・・・」
「柱を探す旅に出てくれないか?」
 クレフの言葉を、再び長髪の彼女が奪ったので、たちまち二人の追いかけっこが発生したのはともかく・・・
「じょ、冗談じゃない・・わよ。
 どうして・・この世界の住人じゃない・・私たちが・・・」
 追いかけっこで息を切らせつつ、文句を言う少女を見上げながら、
「こ、この世界にもいろいろ・・あるのだ・・・」
 と苦々しい、この世界の実状をクレフが語り始めた。
 確かに『柱』によってこの世界は安定を保っている。しかし人々は『柱』を中心とした一枚岩ではなかったのだ。
 『プリムラ』『ステリナ』『リュクス』『ファセル・ヴェガ』という、セフィーロに存在する五つの大陸の内、四つの大陸が、そのまま一つの国家として成り立っていたからだ。(ちなみに『柱』が住まう大陸国家を『ワゴニア』という)
 国家が存在している限り、多少の軋轢は出てくるのは必定だ。その元となる最たるものが『柱』の存在である。
 世代交代するとは言え、『柱』は各国家から選出される訳ではなく、適正のある者が選ばれるのだ。そこに国家の威信というものが関わることは絶対にあり得ない。しかしその逆、『柱』を抱き込むことが出来れば、自然、自国の栄耀栄華は約束されることになる。それはどこの国の国主であっても思い描く幻想だった。
 すなわち、『柱』を拐かしたのは某国の密偵で、その恩寵を密かに独占しようとたくらんでいるのであるまいか?
 飛躍しすぎた妄想に近いものがあるのは否めないが、疑心暗鬼になるには十二分な考えである。そうして各国の国主達は、互いに互いを牽制しあい、そしていつ戦端を、戦争を始めてもおかしくない緊張状態を築き上げるに至っているというのだ。
 バッカみたいという素直な感想を述べつつ、
「おかしいじゃない。それじゃあんたのいう三年前云々って言うのは何処言ったのよ」
 と長髪の彼女が導師に詰め寄る。
「私個人の考えと、自国の利益しか考えていない連中とを一緒にするな!
 姫は私がお育てしたのだ。だから・・・」
 思わず本音が出たことに、クレフはハッとして口を押さえ込んだ。しかし時既に遅し。
 見回すと少女達の視線が、なにやら今まで違うことに気づいたクレフは、バツの悪そうな顔をして、
「あれは、素直な優しい娘だったからな。それにこうと決めたら曲げない気性も持っていた。おそらく自分で何とかしようと考えたのだろう。
 ・・馬鹿な娘だ・・・」
 それを聞いて、ようやくクレフが『柱』のことを『姫』と呼んでいることに合点のいった亜麻色の髪の少女が、何か他にも理由があるのかと尋ねた。するとクレフは言葉少な目に、
「あれは私の姉の血を引いていてな・・・」
 とポツリと呟くと、それきり何も答えなかった。
 セフィーロの世界の住人は、どんなに長く生きても九十がやっとだという。クレフのように魔術の技を極めれば、不老の術を手にする事も出来るが、それでも極めて希なのだ。一方『柱』はといえば、殊更短命であった。生まれ持った異能の力に磨きを掛け、セフィーロという世界を支える務めを、四十余年の日々を休むことなく続けるのだ。それは寿命を削る代償行為に他ならない。
 直接的な血の繋がりはないとはいえ、血縁にある者が『人柱』の任に着いているというのだ。複雑な心境にあることは間違いあるまい。
「ところで〜、どうしてもあたし達がお姫様探ししなくちゃいけないの? 拒否権は?」
「ないな」
「そ、即答!?」
 キッパリと、これ以上はないぐらいに素早く冷静に切り替えされ、彼女は思わず『ムンクの叫び』のポーズを取って悲鳴を上げた。
「私だって鬼じゃない。拒否権を与えられるのならば与えてやりたいさ。だがしかし、おまえ達がここに来たのは選ばれたからだ。
 この『聖石(コクーン)』にな」
 そう言ってクレフは懐から三つの親指大の石を取り出してみせた。
 聖石とは、柱が代々にわたって封印、管理してきた輝石の様に透き通った石であった。その存在は柱にしか知らされておらず、クレフ自身にもどういった物なのかよく分からなという。だがこれだけは分かったという。扱い方を間違えれば、百km四方を一瞬にして焦土に代えられるほどの魔力が秘められていることを。
 柱が行方不明になることで、聖石の封印が消滅した。そして聖石が発する巨大な力を察したクレフは、封印が成されていた場所に赴くと、そこに設えられていた碑文を読んで、そこに記された役目を負うことを決めたという。
 その碑文にはこう記されていたそうだ。

  我、三つの力をここに封印す。
  世に陰落ちし時、疎が力、自ら、御使いを呼び賜う。
  疎が力、御使いとともにあれ。
  疎が力、白き無垢なれば、如何に染まらんとし。
  ならば疎が力、陰に落ちること無かれ。
  星の導きと共に、世に救いをもたらさんことを

 それは初代の柱によって記されたものだった。
「初代は、三千年も前からこの様な事態の備えとして、この聖石を用意していたのだろう。ありがたいことだ」
 聖石を胸に押し抱き、熱い思いに打ち震えるクレフは、「それに・・・」と視線を動かした。
「あの者はやる気満々のようだが・・・?」
 え? とクレフが指さした方を振り返った長髪の少女は、その先に爛々と瞳を輝かせている三つ編みの少女を認めて、思わず顎をストーンと落としてしまった。そして次の瞬間、「作戦タイムね」となんだかよく分からない言い訳を残して、亜麻色の髪の少女の手をつかむと、三つ編みの少女元に駆け寄った。
「ちょっとちょっと。なにやる気モードになってるのよ!」
 と、クレフに聞こえないような小さな声でぽしょぽしょと問いつめた。
「え。だって、あの人困ってるんでしょ? 困ってる人は助けてあげなきゃ・・・」
 それを聞いた長髪の少女は、がっくりと肩を落とした。
 確かに親からはそういう風に躾られてきたけれども、今この状況でそれを引っ張り出されてはたまらない。訳も分からない世界に連れてこられた挙げ句、ひょっとしたら死んでしまうかもしれない危険な旅に出ろというのだ。いや、死んでしまう確率の方が格段に高い。そんなやっかいな話しを押しつけられて良いはずがない。自分たちは至って普通の女の子で、ゲームの主人公、勇者屋を生業にしているわけではないのだから、安請け合いするわけには絶対にいかないのだ。
「あんたねー状況分かってんの? 死んじゃうかもしれないのよ。それもよりによってあんななんだかよく分かんない石ころに選ばれたとかいう理不尽な理由でよ? 一円の価値もないわよ? 絶対に!」
「人助けに、損得勘定入れちゃいけないよー。
 それに『柱』ってお姫様を助ければ、きっとあたし達の世界に戻る手助けをしてくれるとかもしれないじゃない」
 前者の方に怒り心頭になりつつも、後者の方に一理あると判断した長髪の少女は、
「た、確かにそうかもしれないけど・・・」
 と挫けてしまいそうになった。
「ですが、そうならない可能性もありますわ」
「そう! その通りよ!」
 亜麻色の髪の少女の意見に、一も二もなく同調する。
「でもそんなこと言ってたら話が進まないんじゃない?
 それに拒否権ないって言ってたし。
 いやだーって言い続けてたら、もう知らないって放り出されちゃうかも。
 それこそ右も左も分からない状況になるかもしれないし・・・」
「・・・・」
 確かに『柱』は、このセフィーロという世界を支えるようなことを生業にしているのだから、いわゆる『神様』と同義と考えていいのだろう。ならば助け出して、その謝礼として元の世界に戻してもらうというのはアリな話だ。
 彼女の指摘にグゥの音も出なくなった二人は、互いに見詰め合うと、次の算段に取り掛かることにした。
 TVゲームであれば、裏技で最強装備を手に入れ、余裕綽々でクリアするのもアリだろう(それはそれでゲーム自体がつまらなくなる可能性が高いのだが)。同じように、戦いに慣れる時間はしようがないとしても、威力の大きい武器を手に入れることができれば、多少の不安はあっても、元の世界に戻れる確立を高くする事が出来る。つまり目の前の少年にしか見えない導師から、すこしでもいい条件で武器なり防具なりを手に入れることが、現時点で出来る確実性のある選択肢となる。
 ・・では、どうやったらいいのだろう・・・。
 両親や祖父母におねだりするのとは明らかに勝手が違う。そう。これは駆け引きなのだ。ましてや交換条件として渡す物は何一つ所持していないのだから、圧倒的に分が悪い。
 眉根を寄せて考え込んでしまった少女達を一瞥した導師が、
「何を考えているのかわからんが、少しは安心しろ。
 お前達のような子供をいきなり戦いの場に赴かせるわけが無いだろう。
 この世界を救ってくれるやも知れない、小さな可能性をむざむざ潰させるものか」
 と救いの手を差し伸べてきた。
 しかし導師の言葉に、刺があることを勘付いたのは、亜麻色の髪の少女だけだった。しかし長髪の彼女に話の腰を折られつつ、ようやく話の本題に辿り着いたのだから、彼の軽い意趣返しとしても、それぐらいは大目に見るべきと彼女は考え、敢えて何も言わず、にこやかに微笑んで受け流すことにした。
 しかし他の二人はそれに気付いた様子もなく、長髪の彼女は、単純にやったと小躍りしている。一方の三つ編みの少女は、これから始まる冒険に思いを馳せているのか、瞳をキラキラさせている。一瞬、導師の皮肉も当然かもと思い小さく溜息をついた彼女は、とりあえず他の二人を落ち着かせるために、一つ提案を口にすることにした。
「わたくしは鳳凰寺 風と申します。中等部二年生で茶道部に所属しております。実家では薙刀と合気道を祖父母から教えていただいております」
 彼女の自己紹介を聞いた他の二人は、一瞬キョトンとしていたが、すぐに得心したようで、長髪の少女が胸に手を当ててそれに続いた。
「わたしは龍咲 海。同じ二年生ね。フェンシング部所属。ついこの前、フェンサー中級の資格をとったばかりよ。最近は、ママと一緒にお菓子作りに凝ってるわ」
 下手なモデルよりもよっぽど美人であることを自覚しているのだろう。自然、手櫛を通す仕草は、それだけで絵になっていた。
「獅堂 光です。体操部に所属してます。あと近所に拳法の先生が住んでて、長拳と軽身功を習ってます。・・中学二年生でーす」
 最後の方は、消え入りそうなほど小さな声だった。二人とも自分より背が高いし、将来美人になりそうな容姿をしている。較べてちんちくりんな自分は、絶対小学生って思われてると思ったからだ。
「体操ってあれよね。リボンとかわっかを使う・・・」
「え?」
 でもそんな心配も何処へやら。余計に恥ずかしい一言が長髪の少女、海の口から極自然に出てきたのだ。
「そ、それは新体操。あたしがやってるのは床とか平均台、段違い平行棒の器械体操なんだけど・・・」
 根が正直な光は、戸惑いつつもそう答えてしまった。「なんでやねん」と突っ込んだ方が、この場合、相手に恥をかかせなくて済むなんて大人な考えは浮かびもしない。
「や、やーねーーっ!
 そんなの知ってるわよ。和ませようとワザと間違ったに決まってるじゃな〜い!」
 海は否定の言葉を慌てて口にしたが、耳まで赤面していては説得力があるわけがない。ましてやそれに追い打ちを掛けるように、
「ナイスなボケ方でしたわ」
 と、亜麻色の髪の少女、風が混ぜっ返すものだから、海は髪を振り振り「だからワザとだってば!」と力一杯否定するのだが、恥の上塗りのようにしか見ない。
 鳴いた鴉がもう笑っている。の言葉どおり、光は身体的特徴のことでしょげていたはずなだが、今はもう満面の笑みを浮かべていた。海にとっては不幸な出来事となってしまったが、光にとっては好転したようである。
「話を進めてもよろしいかな? お嬢様方」
 その声に振り返った三人の目の前には、青筋をありありと浮かべたクレフの姿があった。
 それを見た三人は、始業のチャイムが鳴っても席に着いていないのを教師に見とがめられた時の様な素早さで、あたふたと居住まいを正した。
「まったく。姦しいというのはどこの世でも同じらしいな」
 苦り切った顔をしてクレフが悪態を付くと、
「機嫌を損ねると、扱いが難しくなるのも同じだと思いますわ」
 先ほどのわずかにこめた刺に対して、さりげなくやり返してきた風を見るにつけ、クレフはわずかに口の端を歪めてみせた。
「まあいい。とにかく時間が惜しい。
 お前達はこの聖石と契約を結び、自分の物とした上で、いろいろと動いてもらわなければならん。それにはまず・・これを付けろ」
 クレフは手袋を懐から取り出し、少女達に手渡した。
「甲の部分には、私が魔術を施した宝玉がついている。どんな大きく重いものでも、八つまで仕舞いこんで持ち運べるし、遠く離れた私と言葉を交わすこともできる。地理に不慣れでも迷わないよう細工もしておいた」
 手袋は指の部分が切り落とされたタイプで、クレフの言葉通り、琥珀色の宝玉のようなものが取り付けられていた。しかしである。クレフの言葉尻に海が過敏に反応を示した。
「離れた・・って、付いて来てくれるんじゃないの?」
 それは正に寝耳に水だった。てっきりクレフが自分達と同行し、手助けしてくれるものだと思っていたからだ。いくらクレフを恐れ戦かせた聖石が手元に残ったとしてもだ。彼が同行してくれるのと、してくれないのとでは、生きて帰れる確率は雲泥の差があると思えたからだ。
「さっきも話したとおり、この世界に存在する国々は、一触即発の緊張状態にある。些細な衝撃で雪崩が起きるほどにな。
 自分で言うのも何だが、私のような力の強い導師が勝手気ままに動くということは、それだけでも戦争を始めるには十分な口実になるのだ。
 更に言えば、一分一秒でも早く、おまえ達の前から姿を消したほうが、この世界の平和をささやかながらも伸ばすことが出来るとも言えるのだ。
 お前達の不安な気持ちは重々承知しているが、分かってほしい」
 しかしいくら正論を言われたところで、三人を放り出すことには代わりがない。
 理不尽よ! と海が抗議しようと身を乗り出したその時、体に異変が生じたのである。
 どうしたことか、足がまるで根を下ろしたようにビクとも動かないのだ。
「え?」
 そして次の瞬間には、首から下がまったく動かない状態になっているのだ。
 今までに経験したことのない状態になってしまったことに、パニックに陥りそうになる。しかしそれを必死にこらえ、まだ自由に動く頭を左右に動かし周りを確認してみると、光と風、二人とも同様に身動きとれないでいるのが見て取れた。
 これはもう間違いなくクレフが機先を制して、自分たちの自由を奪ったのだ早合点した海が、文句を言おうと口を開いた刹那、
「影縫い(ゴーグ)か!」
 とクレフが叫び、辺りに鋭い視線を走らせているではないか。
 どういうことなのか戸惑っていると、クレフは素早く杖の石突きを地面に叩きつけて、対抗魔法を展開した。
 魔法は波紋のように広がり、三人の少女達をその波紋の中に取り込んだ。すると彼女たちを戒めていた術が破られ、体の自由を戻ったのである。
 急な展開にどういう反応をしていいのか戸惑っている彼女達に、クレフは自分のそばに来いと呼び寄せた。
 クレフほどの導師に一切感知させず、魔法を使って三人の少女達を拘束したのだ。よしんば敵意はなかったとしても、彼への『挑戦』と受け取って良い行いである。
 であるならば、彼女たちを庇って戦えるほど、戦上手とは自負しないクレフだ。だから彼は、彼女たちを防御結界の中に隔離し、後顧の憂いを排除しようと考えたのだ。
 だが、相手の方が早かった。
「さすがは大導師の称号を持つクレフ殿だ。こうも簡単に私の術が破られるとは思いませんでしたよ」
 と、どこからともなく、かしこまった口調の男の声が響いてきた。
 その声は遠くから聞こえたようであり、すぐ近くで囁かれたようにも聞き取れた。
 忍術で言えば口寄せの術に相当するものなのだろうが、そのような芸当をこなす人物など、我々の世界に絶えて久しい。故に、その声に驚き、つい立ち止まってしまった光を非難するなど、誰にも出来るはずがない。
「光!」
 思わず下の名前で叫んだ海は、その光景をはっきりとその目で見る事となった。
 彼女の背後、地面に伸びる影の中から、目鼻を覆う不気味な仮面を付け、そして不適な笑みを浮かべた、細身で長身の男が音もなく現れるのを。その様は、まるで舞台のせり出しに乗って現れたかのようだった。
 そして仮面の男は、素早く光の右手首を捻り上げると背中へ回し、彼女を人質にとってしまったのである。
 如何に拳法の練習で、暴力や痴漢行為への対抗手段をいくつか手解きされているとはいえ、目の前に現れた忍者の如き悪漢への対抗手段までは教えてもらっていない。いや、教えてもらえるはずがない。世界中どこを探したとしても、そのような技を行使できる人物が潰えて久しいのだから当然である。
「うあ!」
 痛みに顔を歪める光を見て、仮面の男は満足そうに口元をゆがめると、クレフに視線を移した。
「このような形で、御前に出ることをお許し戴きたい。導師クレフ。
 私は柱に仇成す魔獣の長、『デボネア』が僕、ストラーダと申します。
 以後お見知り置きを」
 それを聞いたクレフが声を荒げた。
 ストラーダと名乗った男は、確かに『柱に仇成す者』の関係者と名乗ったのだ。それは取りも直さず行方不明になった『柱』の手掛かりに相違ない。
「貴様らか! 姫を謀ったのは!」
 しかしストラーダは柳に風とばかりに、クレフの怒りを受け流し、
「謀ったとは人聞きの悪い。
 こうして我らが自由に動けるようになったのは、その柱の方が、我らが側に寝返えったため。そして我らがために、尽力してくれたからですよ」
 かしこまった喋り方が、この時ばかりは癪に障る。
 それでは何か。柱自らが、自分に不利益になる存在を呼び寄せたというのか。
 だがここで、クレフの懸念が確信へと変わったのだ。このセフィーロに起こり始めた異常は、やはり目の前にいる輩、もしくはその仲間が、柱に何かしらの手段を講じた結果ということだ。
「おのれ・・・」
 クレフの内に怒りの感情が湧き起こる。自然、ギリと奥歯がなった。
 そんなクレフの反応を楽しむが如く、
「あの方は仰っておりましたよ。
 なぜ汝がこのような責め苦を受けねばならぬのか。とね。
 目に見えぬ鎖から開き放たれ、思うが侭に力をお振るいになるお姿は勇ましいかぎりでしたよ」
 クツクツと喉の奥で漏らす笑いで口を歪めるストラーダ。
 そのデボネアの手先の言葉一つ一つが言霊となって、クレフの心に生まれた黒いシミを、より一層大きく広げていく。
「・・近頃徘徊している『悪意憑き』は、貴様らの差し金か・・・!」
 その問いに、ストラーダは再び喉の奥で漏らすような笑い方をした。それは取りも直さず肯定してみせたということである。
 『悪意憑き』とは、今まで見たこともないモンスター達のことである。通常の彼らの何倍も力を有した者で、打ち倒したあとには見知ったモンスターに戻るのが特徴である。その様は、まるで憑き物が落ちたかのようであることから、『悪意憑き』と呼んでいるのだ。
 ではこういうことなのか。モンスター達に憑けたモノを、『柱』に憑けたと!
 腑が煮えくりかえる想いに駆られるクレフ。
 だが次の瞬間、ストラーダから意外な言葉を聞かされたのだ。
「ですがどういうわけか裏切りの姫君は、志半ばで姿を隠してしまわれましてね。
 我々も八方手を尽くしてお探ししているのですが・・・」
 なんと言うことか。
 柱は一度ばかりは彼らの側についたが、今はどこへなりと姿を眩ましたというのである。しかも彼らもその所在を把握していないという。
 これは柱の行方不明という事件が発生してから、初めてもたらされた有益な情報であった。良いモノと悪いモノ、両方を含んでいたが。
 しかしこれでクレフの中で基本方針が定まったのは事実である。
 まず柱の行方を、目の前の敵、デボネア勢よりも早く突き止めること。そしてその間に『悪意憑き』を元に戻す方法を見つけること。
 どちらも難しい内容ではあったが、避けて通ることは出来ない問題だ。
 ならば突き進むまで。
 差し当たっては、このストラーダなる者を捕らえか、必要な情報を聞き出すのが肝要。
 見るとストラーダは、『悪意憑き』のことを、さも自分の手柄のように語ってみせている最中だった。どうやらこの輩、興が高じると饒舌になるらしい。
「どうせ柱の箱庭でしかないこのセフィーロを、阿鼻叫喚の世に陥れ意趣返しとするのであるならば、『ゼファー』を用いて、セフィーロに住むクズ共の手で行った方がより効果的だという意見が出ましてね」
 『悪意憑き』の元のなるモノはどうやら『ゼファー』というらしい。そう確信しつつ、
「フン。強欲な糞喰らいの下僕らしい短絡的な考えだな」
 文字通り唾棄してみせるクレフ。
 そうとは露知らず、ストラーダは調子付き、
「嫌われたものですな。
 しかし生きること、生き抜くことは生物の根源たる欲求ですよ。デボネアはそれを具現化し、四つの峠と五つの山脈を食らいつくす巨体を作り上げたのです。それほどまでに強大な力と意志に感銘を受けるのは、常に強き者を求めて止まぬ人間にとって当然ではありませんかな?
 それを押さえこみ、平平凡凡と朽ちていくなど愚の骨頂!
 ・・少し話が逸れましたか」
 彼個人の主張などに興味はないクレフは、半ば辟易していた。これまでにもストラーダのような手合いが何度か現れては、大なり小なり事件を起こしてきた。そしてそんな彼らと立ち向かう時には、決まってこのような押し問答が繰り返されているのだ。したがってストラーダが語ったことなど、既に語り尽くされたものであり、結局歩み寄ることのない平行線を描くがままだったのである。
 ところがこのストラーダなる輩は、無駄な時間を費やすことを是としない性格だったらしい。自ら話を本筋へと戻してきたのだ。つまりはクレフの懐にある物を差し出せと。
 恐らくはクレフと柱の関係を知り、何かしら柱の行方をつかんでいるものと考えやって来たのであろうが、クレフの懐からとんでもないアイテムが出てきたため、色めき立って飛び出してきた。というのが本当のところか。
 運良く人質を採ることが出来たのから、これらを交換しようと要求するのは至極当然のことである。
 それを聞いた二人の少女は、卑怯者。手を放しなさい。と非難するのだが、ストラーダはどこ吹く風と聞き流す。そればかりか、悪役冥利に尽きるというものと、高笑いする始末である。
 そしてその時、初代の柱が記した碑文の内容が三人の少女達の脳裏をよぎった。
 ――疎が力、白き無垢なれば、如何に染まらんとし。
 ――ならば疎が力、陰に落ちること無かれ。
 聖石に眠る力には正しいも悪いもない。ならば悪しき心の持ち主、つまりこのストラーダなる人物に聖石を渡してしまうことは、タダでさえ混乱しているセフィーロに、更なる災いをもたらすことになる。
 ――そんな!
 事態を認識した光はショックを受けた。
 自分の所為で、セフィーロに住む住人達に、更に迷惑を掛けるなんて、
 ――そんなことは絶対させない!
 そう判断した後の光の行動は早かった。
 それに気付いたクレフが止める暇もあればこそ、光は体を沈めるや、ひねり上げられていた右腕を肩より上へと押し上げた。そして信じられない角度で肩関節をまわして自由になると、体の向きを入れ替え、ストラーダと睨みあう体勢にしてしまったのである。
 人形のような肩関節であれば、グルグルと車輪のように回すことが出来るが、人間の肩はその様には出来ていない。コツをつかめば誰にでも出来る技なのだが、このような分の悪い取引を行っている状況下でやろうと思ってやれるものでもないのだ。体操の大会などで、光自身が鍛えた度胸あっての賜物といえるのだろう。
 しかし、その様を目の前で見せられたストラーダは、
「ど、どういう関節をしてるんですか。お嬢さん・・・」
 と動揺を隠しきれない口調で呟き、唖然とするばかりだった。如何にクレフを謀れる術を持っている彼であったが、このような芸当をこれまでに見たことがなかったに違いない。注意がそれ、足元に隙が生まれたのである。
「ごめんなさい!」
 鋭く短く、謝罪の言葉を口にした光は、踵でストラーダのつま先を思いきり踏みつけた。
 するとストラーダは、爪先に走った激痛に、思わずつかんでいた光の手を離してしまったのだ。そして間髪いれず、今度は無防備となった彼の顎を、光は蹴り上げたのである。
 如何に非力な女の子であっても、常に自身の体を支えている脚は、腕より発達した強力な筋力を有しているものである。さらに拳法で習い覚えた鞭のようにしならせた蹴りが炸裂したのである。ストラーダの体が衝撃で宙に浮き上がったのはある意味必然だった。
 放物線を描いて倒れたストラーダは、恐らく脳震盪を起こしているだろう。しばらくはそのままでピクリとも動けないはずだ。
 その手応えを十分に感じとった光は、クレフ達にむかって満面の笑みでチョキをしてみせた。悪漢の手から自らの力で脱出したのである。逸る心が思わずそうさせたのだろう。
 しかしその視線の先には意外な光景があった。
 海と風が手を伸ばしあって、クレフの目元を覆っているのである。
 何故そんなことをしているのか分からず、不思議そうな表情を浮かべる光であったのだが、程なくその理由に思い至るや、耳まで真っ赤に染めてその場に縮こまるのであった。
 彼女が着ている学校の制服のスカートはとりわけ短い。そんな短い丈のスカートで自分の身長より上にあるものを蹴り上げたりしたらどうなるか、想像に難くない。さらに間の悪いことに、普段部活の日には穿いてるスパッツを、今日に限って穿いていなかったのだ。
 ずぶ濡れの仔猫のように、体を縮こめてフルフル震えている光に同情しつつ、
「見てないわよね?」
 と、海が剣呑な口調でクレフに詰め寄った。
 が、当の彼はそれには答えず黙ったまま。まるで海と風の手の覆いが無いかのように、超然と佇んでいる。その気配があまりにも自然であったため、もしやと風が問うと、
「ああ。この目は当の昔に光を失っている。
 何、気配で周りの様子は分かるし、魔術でも補っているから、特に不自由したことはない」
 と、事も無げに答えたのである。
「じゃあこうしてても意味が無いじゃない」
 と呟いて海が覆いを外したのだが、思い当たるところがあって「やっぱり見たのね?」と念を押してみた。するとクレフは、視線を逸らしてフッと澄ましたではないか。
「やっぱり見てたんじゃない!」
 烈火の如く怒りを露わにした海を意識の外に追いやって、クレフはストラーダへと意識を向けるのだった。
 人質を捕ってまでして聖石を狙う輩が、あの程度で横たわったままでいるはずが無いからだ。ましてや忍術のような、影使いの技を扱う者である。人を油断させるのが常套手段と考えて間違いあるまい。
 だが光の蹴りは見事に決まっていたようだ。
「・・やってくれましたね。お嬢さん!」
 頭を振り、口の中を切ったのか、血が混じった唾を吐き捨てると、ヨタヨタとおぼつかない足取りでストラーダが立ち上がってきた。見るからに足にきているのが見て取れる。
 だがそれは、彼一流の演技だったのだ。
「魔獣召還(ガ・リアン)!」
 クレフが光を背後に庇うよりも早く、ストラーダは呪文を唱え魔法を起動してしまったのだ。
「下! 足下だ!」
 クレフが叫ぶとほぼ同時だった。縮こまっていた光を取り囲むように、地面を突き破りながらストラーダと同じ姿の人影が四つ現れたのだ。それは黒光りする石、黒曜石で生み出されたゴレームだったのだ。
「やれ!」
 ストラーダの短い命令が走ると、四体のゴレームは一斉に拳を振りかぶって光に襲いかかったのだ。
 一人の少女に四体のゴレームがよってたかって襲いかかるとは、卑怯だとか大人気ないと、誹りを受けるに十分ではあったが、光に足蹴にされたことがよほど腹に据えかねたのだろう。
 だが光とて、大人しくその場に留まって殴られる気などあるわけがない。ポーンとその場で跳躍。反動なしで二m近く、ゴレーム達の頭一つ分高い位置まで飛び跳ね、攻撃を躱してみせたのだ。
 しかし驚くべきは光の身体能力だ。身体測定などで実施される垂直飛びで、五十センチも飛び上がれれば結構なものだが、彼女の場合、その四倍以上も高く飛び上がっているのだ。なにもセフィーロの重力が、我々の世界のものより弱いとかそういうことではない。彼女が習っている拳法の修行方法の一つ、軽身功の賜物なのだ。
 軽身功とは、自分の腰よりも深く掘った穴から、助走無しで勢いのみで飛び出すという、跳躍力を強化する訓練法が有名である(ちなみに、穴は徐々に深くなっていく)。その他には、垂直にそびえる壁を走って渡る訓練などもある。つまり軽身功とは、それこそ忍者のような身軽な動きを可能にするための訓練方法なのである。
 では光が何故そのような訓練をしているのかといえば、理由は至極単純なものだったのだ。軽身功で培ったバネは、そのまま演技で高さを得ることができる。小柄な光が高さを自分のものにできれば、三回宙返りなど高さを要求される、より高度な技を習得できるようになるのだ。
 しかし人生何がどう転ぶか分からないということか。まさかこのような形で軽身功が役立つことになろうとは、彼女自身、とても驚いているのだ。
 さて、ゴレーム達の頭を飛び越えた光は、今度はスカートの裾を気にしつつ、ゴレームの一体の後頭部をしたたかに蹴りつけ、そしてその反動を利用し飛び退いた。
 少し離れた所に背面宙返りで着地。そしてすぐに綺麗なバック転を二回。十分な距離を取ったところで、ゴレーム達の攻撃に備え身構えた。
 がしかし、目の前の光景をみて、光はギョッとなってしまったのだ。
 なぜなら、跳び蹴りを食らわせたゴレームの頭が、どういう分けか彼女の目の前に転がってきていたからだ。
 ゴレームの体は黒曜石で出来ている。黒曜石はガラス質で構成されているため、簡単に砕くなど加工がしやすいのだ。だからこそ、石器時代にヤジリなどに多く利用された理由わけだが、どうやら光が蹴りを入れた際、その加工し易さから、首から上が綺麗に分かれてしまったらしい。そしてどうしたことか、他のゴレームに当たったかして、向きを変え、ゴロゴロと光のいる方へと転がってきてしまったのだろう。
 とはいえ、人の頭の形をしているものが目の前に転がっていることに驚いた光は、思わずそれを取り上げ、
「きゅ、救急車! じゃなくえーっと・・・」
 アタフタと慌てて右往左往してしまうのだった。
 するとその頭を返せとばかり、地響きを立てて頭のないゴレームが彼女目掛けて突進してきたのである。
「わ、わーーーーーーっ!」
 それを見た光は、悲鳴に近い声を上げると、手にした頭を突進してくる首なしのゴレームに向かって投げつけてた。
 するとどうだろう。
 がっしゃーん・・・
 というガラスが砕けるような音をさせて、首なしゴレームが頭もろとも粉々に砕け散ってしまったのだ。これには光も面食らってしまい、呆然と立ちつくしてしまった。
 その光景を少し離れたところで見ていた海と風も、開いた口がふさがらないといった顔をして、その光景をマジマジと見つめるばかり。
「や、やっつけちゃったの・・かな・・・?」
 思わぬ戦果にそう呟いた光に、事情を良く知るクレフが注意を喚起した。
「油断するな! ゴレームはその程度で退けることは出来ん!」
 そう叫んだクレフの言葉どおり、光の目の前で、粉々に砕けたはずのゴレームが、映画のフィルムを逆転させるかのように、元の姿を取り戻していくではないか。しかも事もあろうに、先ほどと同じ大きさで二体に増えたのである。質量保存の法則はどこにいったのかと突っ込みたいところだが、そこはファンタジーであるのだから笑って済ますしかない。
「それがゴレームの厄介な所だ。
 打撃による衝撃が加わると分裂して襲ってくる」
 訳知り顔で頷くクレフに、海と風がハモって怒鳴り声を上げた。
「なに悠長なこと言ってんのよ! のんびりしてないで助けなさいよ!」
「なにを悠長なこと言ってるんですか! のんびりと構えていないで助けてください!」
 耳元で二人に大声を上げられ、思わずしかめっ面をしながら、
「バカを言うな。あの程度のモンスターに梃子摺ってるようでは困る。
 あれより強いモンスターはいくらでもいるし、『悪意憑き』となれば、さらに数倍は強いのだぞ。何とかできないのならば、お前達に用などない!」
 とクレフはピシャリと言い放った。さすが拒否権はないと言いきっただけあって、一切、妥協しない。
「流石は導師クレフ。ゴレームのことをよくご存知だ。
 あのお嬢さんもよくやると思いますが、いつまで保ちますかね」
 光の蹴りのダメージから立ち直ったストラーダは余裕綽々といった体で、クレフの前に立ちはだかった。彼の言う通り、光は体操の床運動の動きと拳法で習った体術とで、二体に増えたゴレーム相手にうまく立ち回っている。しかし残った三体がまもなく合流し、合わせて五体のゴレームが相手では、それがいつまでも保つか保証の限りではない。
「さて導師クレフ。交渉再開といきますかな?」
 口元に不適な笑みを浮かべ、右手を差し出しながらストラーダがクレフの前に進み出てきた。一方の左手には、放電を伴う光球が漂っている。
 光を助けたければ、大人しく聖石を差し出せという無言の要求である。
 だがクレフは差し出された右手を一瞥すると、
「ふざけるな。この程度の脅し、受け入れるわけが無かろう。
 それにこれを託すのは、この娘達だ。お前などではない!」
 それを聞いたストラーダは、手を伸ばせば捕らえることが出来る距離まで近づき、まるで射殺すような鋭い視線を仮面の底から投げかけ、クレフと睨み合いを始めたのである。
 そんな男共の視界の外では、別の動きが起こっていた。
 ――聞け。二人とも。
「え?」
 突然、クレフの声が海と風の頭に響いてきたのだ。あまりに突然だったため、思わず声が出てしまったのだが、悟られては光を助けられなくなると言われては、それに従うほかなかった。
 クレフが使っているのは念話(キュイ)という魔法である。いわゆるテレパシーのようなもので、ストラーダと睨み合いをしている傍らで、彼に悟られることなく自分の意志を伝えるためにこのような小手先の術を使ってきたのだ。
 ――良く聞け。私がこいつの気を逸らしておく。その隙にあの娘を助けてやれ。
 素早くいくつか打ち合わせを済ませると、クレフが動いた。
 足下から魔法障壁を展開して、ストラーダを弾き飛ばそうとしたのだ。
 それを合図に、海と風の二人が防御結界から飛び出し、孤軍奮闘している光の元へと駆け出した。
「・・・」
 魔法障壁という虚をつかれたストラーダであったが、難なくこれをかわして距離をとってみせたのである。そしてふと動かす視線の先には二人の少女の姿があったのだが、クレフがその間に割って入る。それを受けてストラーダは口元に邪悪に歪んだ笑みを浮かべてみせた。
「小娘どもを貶したかと思えば発破をかける。
 あなたは一体どっちなんです?」
「言わねば分からぬとは、阿呆か貴様?
 それよりもどうする。聖石はここにあるのだぞ」
 そうして導師と影使いによる、魔術を行使した闘いの火蓋が切って落とされるのであった。

 五体に増えたゴレームに取り囲まれ、右に左に、矢継ぎ早に繰り出される攻撃の尽くを条件反射のみで交わし、孤軍奮闘ぶりを発揮していた光だったが、体力的な限界はもう目の前に迫ってきていた。
 かと言って立ち止まろうものなら、自動車に弾き飛ばされるような衝撃が、自身を襲うことになるのが分かっているだけに、それもできない。この時ばかりは、拳法の高等技術を習って置けばよかったと後悔が絶えなかった。
 光が習っているもう一つの拳法の長拳は、存在する全ての中国拳法の基礎として、習い始める場合が多いのだ。したがって、一撃必殺の奥義だとか、相手の動きを受け流す化剄と呼ばれる高度な技術は存在しないと言っても過言ではない。ただただ、技を打ち込んだときの姿勢だとか、次の技へ移行するときの流れの美しさだとかいった、流麗華美を尊ぶ実戦向きではない拳法なのだ。その分、体操の演技に役立つ所が多かったので、彼女自身、それで十分満足していたのである。たった今、この時点では、完全な裏目となってしまったのである。
 もうダメと思ったその時、ゴレームの囲いにわずかな隙間が出来たのを光は見いだした。
 その一瞬を逃せば、そんなチャンスはそう何度も訪れないだろう。そう考えるよりも早く光の体は動いていた。
 両腕を伸ばし、体を投げ出すようにしてその隙間に飛び込んだ。隙間は本当に極わずかなものだった。
 彼女の頬がゴレームにわずかに触れた。
 髪の一部が引っかかったのか、首が少し引っ張られた。
 曲げていた右の膝が完全にぶつかった。
 そしてそれほどデコボコしていない体型であることが好転したのか、彼女の体は完全にゴレームの囲いから擦り抜けることに成功したのだ。
 しかしホッとする猶予もない。転がりながら着地した光は、さらに体を投げ出して彼らの包囲から遠ざかり距離をとったのだ。その距離およそ十m。しかしそれだけの距離があれば、ゴレームの次の攻撃に移るまでに、十分息を整えることが出来る。頬にできた擦り傷だとか、ぶつけた膝小僧の心配なんかしている余裕は全くなかった。
 しかしその背後で短い悲鳴があがった事に、光自身、跳び上がらんばかりに驚いた。あわてて振り返ると、そこには、
「苦戦・・なさっているようですわね」
 という柔和な声をかける風の姿があった。そしてその後ろでなぜか尻餅をついている海の姿があった。
 悲鳴の主はまず間違いなく海である。そして尻餅をついているという事実から、どうやら自分が驚かせてしまった原因であると悟った光は、素直にごめんなさいと謝った。
 ごめんじゃないわよ。と、普段の彼女であれば言うところであるが、目の前の小柄な女の子が、頬と膝を赤く血で染めているのを見てしまっては、言えるはずもない。
 海は手を差し出す光の手を素直につかみ返すと、
「あんたこそ大丈夫?」
 と聞き返した。
 それに元気よく小さなガッツポーズで、大丈夫と答える光。
 そんな彼女を微笑して見つめる風は、光の頬や肩に着いたドロや埃をやさしく払いつつ、
「こちらこそすみません」
 と付け加えてきた。
「私たちだけ安全な場所に避難してしまって。あなただけ、危険な目に遭わせてしまいました」
 風が申し訳なさそうに言う。だが当の光は気にした様子もなく、満面の笑顔で「大丈夫平気もーまんたい♪」と繰り返し答えてみせたのだ。確かにあっちこちに擦りむいてはいるようだが、打撲や捻挫、骨折といったものは本当に無いようである。それを確かめ、風と海はようやく胸をなでおろすことが出来た。そして誰ともなしに三人は微笑み合ったのだ。
 お互いの素性をよく把握していない状態ではあったが、友好が生まれるきっかけにはなったのは確かである。
 そんな微笑ましい光景の背後で、ドシンと三人が跳ね上がりそうな地響きを立てる存在があった。
 ゴレーム達である。
 独特の女の子空間に踏み込むことが出来ず、攻めあぐねていたらしい。
「案外、律儀な方達ですわね」
 という風の評価をよそに、その実際の迫力に圧倒されたのか海などは及び腰になっていたのだが、光はまったく逆だった。一歩前へ踏み出したのである。
 直前まで彼らの攻撃を捌いていたのだから、臆する所がなかった所為もあるのだろう。でもその度胸には目を瞠るばかりだ。そんな彼女の勇ましい姿を見た海は、自然、肝が座ったらしく、部活のフェンシングでもよくするようにコンセントレーションを開始したのだ。どうやら負けず嫌いな性格に火がついたらしい。
 一方、光の勇ましさを好ましく見つめながらも、風は彼女を背後から優しく抱きしめ、押し留めた。当然、光は焦るのだが、彼女は光をそのまま抱きしめ続け、
「ほんの少しだけ頑張っていただけますか?」
 と海に持ちこたえろと持ちかけたのである。
 憤慨して然るべき場面ではあるのだが、予め二人の間で決めていたのだろう。海は何も言わず、細身の長剣を手にコンセントレーションを続けるのだった。ひょっとしたら集中のあまり、風に声を掛けられたことさえ気付いていないのかもしれない。
 海のそんな姿を見届けつつ、風は「これを」と呟いて、幅広の剣を光に差し出した。
 クレフの防御結界から出るとき、いつのまにか渡されていた代物だという。海は長い細身の剣を持っていたし、風はといえば、身長と同じぐらいの杖のような棒を持っている。それぞれ得意な武器を渡されたらしい。
「あとこれもですわ」
 光の左手を取った風は、そこにある手袋の水晶のような飾りを撫で擦った。
 すると剣道の防具のような胴あてと手甲がどこからともなく現れて、光の体を覆ったのである。だが剣道のそれと違ったのは、右肩のみ肩当てがあったのと、その何分の一も軽いことだ。材質はウレタンのように身体の動きに合わせて形を変えるのだが、突付くとコツコツと硬い音がする。かなり不思議な素材を利用しているらしい。
 そんな鎧装束に一人驚いている光を余所に、風は自分の手袋から手当道具を取りだしていた。その中から傷薬と思しき軟膏を取り出すと、光の頬と膝に塗りつけた。
 見慣れない薬に戸惑いを見せる光だったが、「しみますか?」と問うてくる風に、全然と笑顔で答えた。微笑み返した風は、さらに絆創膏を貼ろうと手当道具の中から探すのだが、どこにも見あたらない。
「案外不親切ですわね」
 と嘆息ついた風が気を取り直して光に向き直ったその時、絆創膏が存在しない理由が解明されたのである。なんとつい先ほど塗ったばかりの軟膏が、すでに寒天状に固まっており、それがムズムズと震えたかと思うと、ペロリと患部からはがれ落ちたのである。これにはビックリしたのだが、しかしてそこにあったはずの傷が、跡形もなく消えてしまったのだ。それを知って二人は再度ビックリ。まさかまさかと、膝のほうも調べてみてみれば、はがれ落ちるのに時間が掛かりこそすれ、頬と同じく跡形もなく傷が治ってしまったのである。
「・・すごいね・・・」
 思わずポカンとその光景に目を奪われた二人は、どちらともなく呟き、どちらともなく頷きあうのだった。

 光の治療を風に任せ、コンセントレーションを解いた海は、細身の長剣を翳し、ゴレームを鋭く見据えていた。
 自分より小柄な少女が孤軍奮闘していたのだ。発奮せねばならない!
 ――やったこと無いけど、サーブルと要領は同じはずよね。
 クレフからせしめた細身の剣は、柄の部分にアームガードがついていた。しかしそれは柄の半分までしかなった。というより、柄が拳二つ半程度の長さがあるのに、当のアームガードが拳一つ分しかなく、柄の真中あたりで留められていたのである。
 そして刀身なのだが、フェンシングによく見られる針金のようなものではなく、柳葉包丁のような直刀の部類に入るものだったのだ。
 ではそのような剣で、フェンシングができるのか? と素直な疑問が浮かぶのだが、その剣を手にする少女に、逡巡の色はどこにもなかったのだ。
 フェンシングにはフルーレ、エペ、サーブルという三種類の種目がある。
 フルーレはごく一般的に知られているフェンシングのそれで、プロテクターに護られた部分への攻撃のみが認められている競技である。対して全身への攻撃が認められているのがエペで、如何に早く相手へ攻撃を加えられるか決め手となる競技である。そしてサーブル。これはフェンシングの中で、唯一『切る』ことができる競技であり、フルーレと似た専用のプロテクターに身に纏って行う競技なのだ。
 そう。つまり海が手にしている剣が、正にサーブル用のそれに酷似していたのである。
 ちなみに女子の大会にはサーブル競技は存在しない。ために、海もまともに取り組んだことなどないのだ。
 だが大会に参加すれば、折を触れて男子の試合を見学することもある。そのダイナミックな鬩ぎあいは勇猛果敢の一言に尽き、そしてその緊張感は、板張りの床に針を落とした音さえ響いて渡るほどに感じる時があるほどだ。
 そこで繰り広げられた光景に、彼女が何を感じ取ったのか推し量ることもできないが、同じフェンサーとして、できないことはないという漠然とした自信が、そして自分よりも小柄な少女が奮闘していたという事実が、彼女を突き動かしたのは事実だ。
「やっ!」
 掛け声一番、海は右手に剣を、左手を垂直に曲げたフェンシング独特の構え(アンガルド)から、一体のゴレームの脇腹を袈裟切りに切りつけた。しかしゴレームの体は黒曜石だ。岩石の固まりと言い換えてもいい。そんなものは、居合剣術の達人中の達人でもない限り、一刀両断するなど難しい芸当である。当然、海のような線の細い少女が切りつけ程度では、ヒビを入れることすら出来なくて当然。ましてや、片手持ちのアンガルドの体勢からである。無鉄砲にもほどがあった。
 光が簡単にゴレームの頭を吹き飛ばせたのは、脇腹よりも格段に細い首筋だったからであり、また彼女自身が持つ人並みはずれたジャンプ力を、蹴りに用いた結果なのである。
 また、彼女は二つ目の間違いを犯していた。不用意に固いものを切りつければ、ダメージが返ってきて手首を痛めることになるのだ。普段『突く』ことしか行わないフェンサーは、『斬る』ことに慣れていないからである。
 ために、海は痛めた手首を押さえ、立ち止まってしまったのだ。
 試合中であれば、中断して傷の具合を見る事は出来るだろう。しかし今は待ったなしの場なのである。立ち止まることは、すなわち死の世界の入り口にたたずむに等しい行為なのだ。
 ゴレームだって目の前で留まった少女を見逃すようなお人好しではない。情け容赦なく、必殺の一撃が振り下ろされた。
 ゴレームの腕が唸りをあげて襲いくる。何度も言うようにゴレームの体は黒曜石で出来ている。ガラスで出来た斧のようなものだ。避けなければ、彼女の体は上下に分かれてしまうだろう。
 それに気付いたのは、手を伸ばせば届きそうな距離だった。
 海は慌てて身を沈めてやり過ごした。しかしなにやら足下にハラハラと落ちてくるではないか。
 何だろうと注視してみれば、それはよく見知った自慢の髪の一房であった。
 どうやら身をかがめた際に、髪が波打ったのだろう。先の方がほんの少し切り取られてしまったようだ。引っ張られる感覚がなかったことから、ハサミでカットしたような形で持っていかれたのだ。
 もし身をかがめるのが遅れていたらどうなっていただろう。
 その疑問に、海はサアッと青ざめた。
 ――試合に臨んでは、気迫負けなんて絶対してはダメ!
 その時、先輩の注意の言葉が脳裏を過ぎったのは、正に天啓である。
 何を弱気になっているのだろう。
 初めて扱う武器で、初めての攻撃をやっただけではないか。失敗して当たり前だ。ならば自分の得意な分野で攻めれば良いだけの話ではないか。
 この時ばかりは、部長のお小言が有り難く思えたことはない海だった。
 海は攻撃をかわされ、体を泳がせていたゴレームが体勢を整えるより早く、飛び退いて距離を取った。
 ――突く時の角度とタイミング、あと体重の乗せ方がバッチリならいけるはず・・・。
 手にする得物は初めて扱う物だったが、普段部活でやっているエペの要領で攻撃を加えれば、絶対、ゴレームにダメージを与えられるはずだ。連中の動きは遅い。懐に入れるのは、さっきの攻撃で容易と知れた。分裂して数を増やすというなら、分裂させなければいいのだ。肘の部分を突けば、前腕を切り落とせるはず。増えたとしても自分の身長より小さい奴になるかもしれない。そんな小さいのが相手ならば、先ほどのような怖い思いをしないで済む。
 海はいつも試合に臨む前に、勝つためのイメージを思い描くことを常をしていた(先ほどの攻撃はイメージを掴みきれていなかったのだ)。そしてゴレーム相手に、華麗に戦う自分を思い描いた。
 ――今度は絶対に負けない!
 そのイメージを現実の物とするために、意識を眉間の中央に集中する。針の穴を通すほどに細く。
 そして攻撃する姿は雷光のように! 閃光のように! はやく! 早く! 速く!
 ――アンガルド!
 そして海は、構えた。
 先ほどのゴレームの攻撃など、忘却の彼方へ押しやり、
 そして彼女は動いた。
 恐れずに、前へ! 前へ! 前へ!
 そうして解き放たれた矢の如く突っ込んでくる海を迎え撃つべく、ゴレームが腕を振り回した。
 しかし脳裏に描いた絶対勝利の映像を実現するべく動きだした海に、焦りは全くなかった。そんな心理状態にあっては、ゴレームのそんな攻撃などひどく単調で、ゆっくりしたものにしか見えない。
 海はゴレームの懐へ飛び込み、二段突きを放った。海がもっとも得意とする攻撃法、ユヌ・ドゥ・ファント(踏み込んでの二段突きという意味のフランス語)だ。
 もちろん懐に入られたとはいえ、ゴレームも立ちんぼの的ではないから、当然、彼女の攻撃を躱そうとする。しかし海の攻撃は、素早さこそを信条としていたので、ちょっとやそっとで躱すことなどできはしない。
 ガキッ!
 堅い物を擦りあわせた様な音が響いたかと思うと、ゴレームの右の前腕が崩れ落ちたのだ。
 まさに海の狙い通り、そして彼女の気迫の勝利だった。
「お見事!」
 そんな声に、海は視線だけ動かしただけだった。張り詰めた神経を弛緩させたくなかったからだ。
 その視線の先には、棍を持って構える風と、傷をすっかり治した光がいた。
「傷、大丈夫?」
 言葉短めに問うと、大丈夫だよと元気な声が返ってくる。
「なら、また頑張ってもらうわよ!」
「オッケー!」
 そう言って、光が二人の前に飛び出した。
 光はクレフから託された剣を受け取らず、代わりに自分のリボンタイを手に巻き付けていた。剣の練習をしたことがないというのがその理由だ。
 とはいえ、まともな散打(実戦的な乱取りのこと)の練習だってしたことがない彼女である。まともな攻撃が出来る分けがない。そこで、囮になる事にしたのだ。
 それを聞いた風は彼女を止めようとしたのだが、まともに戦える(かもしれない)のは海と風の二人だけなのだ。それならば、身のこなしを生かしてゴレームの注意を引きつけ、然る後に、隙をついて二人が攻撃すれば勝てる率は高くなると、光は言ったのだ。
 確かに一人で五体のゴレームの攻撃をかわしてまわった彼女の身体能力を以てすれば、その作戦は功を奏するだろう。しかし再び彼女に負担を強いることになる。さすがにそれは躊躇われた。しかしそれ以上の代替案は見いだせないとあっては、彼女の意見を入れるしかなかったのだ。
 拳を腰だめにして構える光に、
「苦しくなったらいつでも言ってください」
 そう言わずにはいられない風だった。
 一方、そんな打ち合わせがされたことを知らない海は、突出した光の行動に悲鳴を上げた。
「何やってんのよ!」
 海は光を止めようとしたのだが、その間に棍を構える風が割って入ったので、怒りの矛先を彼女に向けるのだった。
 だが風はそんな彼女に取り合わず、棍の真ん中を握って振り回し始めた。語るより態度で見せた方が早いと考えたのだろう。
 風は薙刀を祖母から手ほどきされている。競技用のものではなく、古流のそれである。そして今、彼女が棍を車輪のように回しているのは、そんな薙刀の型のうちの一つ、水車の型である。蛇足だが、同じように石突きの部分を握って振り回すのを風車の型という。
 共に、車輪のように振り回すことで、威力を増すことに主体を置く技である。
 しかしそんなことなど知らない海にとって、風の行動は異常にしか映らなかった。再度、光を矢面においておきながら、バトンを振り回すが如く、遊んでいるようにしか見えなかったのだ。
「ちょっと!」
 海が風の肩をつかもうとした時、最初のチャンスが訪れた。
 光が、また危なっかしくも紙一重でゴレームの攻撃をすり抜ける。振り下ろすような攻撃より早く、光はゴレームの足の間を滑り抜けた。そんな彼女を追いかけてゴレームが背中を見せたのだ。
 その瞬間こそが、まさに海が風の肩をつかもうとしたその瞬間であった。
 風は名前の通り一陣の風となって飛び出した。振り回す棍の水車はそのまま体の横へ。そして回転の力を損なわない最小限の動作で、スパッと棍を突きだした。
 引き絞られた弓から放たれた矢のような勢いで、棍は狙い違わずゴレームの背後から右肩に命中したのである。そして棍は、文字通り一点突破。ゴレームの右腕を砕いて落としたのだ。
 それを見た光が、やた! と短く歓声を上げると、風はニコリと微笑み返した。
 すると俄然やる気が出たのか、光は別のゴレームの腕に手をかけると、素早い動きでゴレームの肩へと昇ってしまったのだ。その一連の動きは、TVで見る体操の選手の鉄棒の演技そのままだ。ゴレームも黙ってそれを見ているわけではなかったのだが、素早い光の動きを捉えることができないのだ。
 そんな四苦八苦しているゴレームなど尻目に、光はゴレームの頭を腿で挟み込んで体を安定させると、空手の瓦割りのようにしてゴレームの左肩を砕いたのである。
 瞬く間に二体のゴレームの戦力を半減させることに成功した光と風の活躍に、海は呆然となってしまった。これでは必死にゴレームを迎え撃った自分の努力が無駄になってしまうのでは? 一瞬そんな考えが過ぎったのだが、別に手柄を争っているわけでもないのだし、ともかく攻撃力が半減したゴレームが三体になったのだからと良しとしなければ。
 そうと考えを改めた海は、チョロチョロとゴレームの足元を動き回り混乱させる光の動きと、ゴレームの動きに意識を集中する。
 まだ五体満足なゴレームが、光に向かってパンチを放った。
 それをまたもや避ける光。最早、完全に見切っているようだ。そして足元に生まれた隙を突くべく、海は飛び出した。
 その横を、同じように狙いを定めた風が並んで駆けている。二人は目配せすると、ゴレームのそれぞれ足を狙い、攻め入った。
 今度は手に衝撃が返ってこないよう、細身の剣を両手で握り、海はフルスイングで薙ぎ払った。
 棍の石突を握り、振り回す風もまた、腰の入ったスイングでゴレームの膝を強打した。
 結果、突然の攻撃にバランスを崩したゴレームは、膝を曲げた姿勢のまま、仰向けに倒れこんだ。
 そこへ間髪いれず頭に取りついた光が、瓦割りを再度叩き込み、ゴレームの頭をもぎ取った。海も、自分の攻撃によって生まれたヒビに二段突きを突きいれた。剣術である示現流のように、大上段から一撃を見舞ったのは風だった。
 これで五体満足なものは一体残すのみ。
 あとは片腕になった者、足を失い満足に立てなくなった者と、満足に襲ってくる状態にはない。

 そんな彼女たちの奮闘の裏で、二人の戦いは音もなく静かに繰り広げられていた。
 魔法による相手の機先を制しようという攻防である。
 先ほどストラーダが仕掛けた『影縫い』は、クレフの意表をついたものだった。しかし今度は違う。二人は互いの姿を目の前に捉えているのだ。ボクシングの緒戦のように、互いにジャブを出し合って相手の出方を伺うかの如く、魔法で攻め入ろうとすれば、それを対抗魔法で打ち消すといった具合だ。
 しかしそんな展開に、先に痺れを切らしたのはストラーダであった。
「光雷(リフター)!」
 彼の周りに描かれた複数の魔法陣の内の一つが、その呪文によって起動した。
 ストラーダとクレフの間、何もない中空にパッと光の円盤のようなものが浮かび上がったかと思うと、それは辺りを明るく照らすほどの紫電を解き放ったのだ。
「光雷!」「光雷!」
 しかも彼は影使いである。自分の背後、クレフに見えにくい位置に影法師を配し、これに同じ呪文を唱えさせたのである。なかなかに姑息な手段ではあったが、魔法を扱うもの同士の争いなど、こうした騙まし討ちは常套手段といってよかった。
 瞬く間に三発の雷がクレフに襲い掛かった。
 しかしクレフも然したるもの。手にする杖をほんの少し動かす程度で、それを無効化してした。これはさほど難しいことではなく、杖を避雷針代わりにすることで、雷の電流を地面に流してしまったのだ。
 だがこの雷の呪文でさえ、騙まし討ちのための手段にすぎなかった。実の攻撃は掌に治まる程度の小さなナイフだったのだ。ストラーダは雷の放つ一瞬の光に紛れて、ナイフを投じていたのだ。
「・・くっ!」
 苦痛に顔を歪め、クレフは二の腕に刺さったナイフを凝視した。ナイフは刀身の半分ほどを彼の身体の中に刺さっており、衣服を赤く染める血は、腕を伝って地面に斑点を作っていく。
 そんな彼に、勝ち誇った笑みを浮かべたストラーダが
「どうしました? 導師クレフ。
 このような小手先の手段で遅れをとるとは、貴方らしくないではないですか?
 それとも噂に聞こえし高名は、過去の栄光ですか?」
「どうかな・・・」
 勝ち誇ったストラーダにクレフが答えた瞬間、彼の身体が塩となって崩れて消えたのだ。目の見えぬクレフが、稲光に目を眩ませられるはずがない。投じられたナイフに気付いたクレフは、空蝉の術のようなものを使って身代わりをストラーダに攻撃させたのだ。
「・・! ぬかった!」
 ストラーダはそれを意識するより早く飛び退いた。間抜けにもクレフの仕掛けた罠にはまったのだ。それに一刻も早くそこから退かなければ、クレフから仕掛けてくる次の攻撃の、格好の的になってしまう。
 事実、クレフの姿を形作っていた塩の山が、意思を持ったかの如く蠢いたかと思うと、彼の足を捕らえるべく、盛り上がったのだ。
 しかしこれはストラーダの機転が功を奏し失敗に終わった。が、クレフの攻撃はそれで終わりではなかった。塩の山が突然、突風に巻上げられたように奔流となってストラーダに襲い掛かったのだ。塩は目の粗い粒から結晶となり、彼の身体を閉じ込めていく。これが封印を目的とした水晶結界の呪文であったなら相殺することは難しかったろうが、幸いこの魔法であれば対抗する事は容易であると思われた。
 しかしである。塩の結晶化が思いの外早いのだ。
 塩の結晶は、瞬く間に脚を取り込み、腰を取り込み、そして両の腕を取り込んでいった。対抗呪文を唱える暇すら与えない早さだった。そして結晶化は、彼の体を頭だけ残して止まったのである。
「その取り回しの良さが、それの良いところなのさ。
 覚えておくが良い」
 そう言って、クレフが塩の樹氷に取り込まれたストラーダの前に現れた。と言ってもそこにいるクレフは幻影によるものだった。捕らえたといっても口は自由にきける状態あるのだから、呪文を唱える事など造作もない。そんなストラーダの眼前に姿を容易にさらせば、どんな反撃を喰らうか分かったものではないからだ。
 そうしてクレフが幻影をストラーダの前に現したのには分けがある。恐らくストラーダが持っているであろう柱の情報を聞き出すためだ。
 だがその行為がストラーダの矜持を傷つけることになった。何度もいうが彼は影使いである。ましてや間抜けにも頭だけを残して体の自由を奪われ、軟禁されているのだ。そんな彼の眼前に十八番の幻影を持ち出すことは、挑発以外の何ものでもない。
「さてしゃべってもらおうか。
 姫はどこだ? どこにお連れしたのだ?」
 そのことに意を介さぬクレフは、単刀直入にストラーダに詰め寄った。
「・・これは異な事を。
 それを聞き出しに来たのは私の方ですよ。
 知っていたとしても、しゃべりませんがね」
 ストラーダのその一言で、彼らの周りの空気が凍り付いた。
「ならば生涯そこで、生き恥をさらすが良いさ!」
 最早どちらが悪役か分からないような台詞をはいて、クレフが凄んだその時、ストラーダが望んだ一瞬が訪れた。
 クレフが塩の捕縛結界に外圧をかけ、押しつぶそうと魔力を増大させたのだ。それをストラーダの影が感知し、クレフが身を隠していた場所を突き止めたのだ。それが分かればいつまでも囚われの身でいる必要はない。
 ニヤリと口元に笑みを浮かべ、ストラーダは反撃に出た。
「光雷!」
 ストラーダの影法師が、再度雷を放った。しかしそれはクレフに向けてではなく、ストラーダのすぐ近くにだ。塩の結晶は透明度のある純度の高いものだった。つまり光が通る。光が取った先には影が出来る。
 そうだ。その影を使って、クレフの直近に転移するのだ。そしてストラーダは確信めいたものがあった。
 現前に現れたクレフの幻影の目線が、微妙にこちらを見つめていなかったのだ。それから導き出せる答えはそう多くない。
「導師クレフ! 貴方は目が見えない!」
 転移した先にはクレフの姿があった。形勢逆転だ。クレフは魔法を発動させるためトランス状態に入っていてストラーダの存在に対応できない。
 ここでナイフを使い、クレフの心臓を一突きすれば全てが決まる。しかし矜持を傷つけられたストラーダはその選択肢を無意識のうちに外していた。
 そしてその下準備も整っていた。
 影を使った転移を行う前に、影法師に呪文を詠唱させておいたのだ。影法師は自分の分身。ならば呼び戻し、詠唱完了した呪文を主人格である自分が解き放つという使い方もできるのだ。
「九頭竜の牙!(ガフトノーシュ)」
 零距離で両手に蓄えた魔法を叩きつける。重なった親指、小指、そして残った六本の指から、怒り狂う竜にも似た衝撃波がクレフに襲いかかった。
 そんな至近距離でダイナマイトが爆ぜたような衝撃波をまともに喰らえば、まともな人間であればひとたまりもない。しかし瞬間的に障壁をはれる事に長けたクレフは、粉微塵になることは何とか避けることは出来た。が、ダメージを完全に受け流すことはできかった。
 懐に直撃を喰らったのだ。肋骨の二、三本は確実に折れていたし、その内のいくつかが肺を傷つけていたとしてもおかしくない。それを裏付けるように、クレフは吐血を繰り返した。
「くっ・・・がはっ!」
 吐血に咽せるクレフの傍らに、勝利を確信したストラーダが佇んでいた。こんな状態では、幻影や反撃の呪文を唱えられるはずがない。
「形勢逆転ですね。導師クレフ。
 さあ、貴方が持つ聖石を渡してもらいましょうか」
 蹲るクレフの髪の毛を鷲掴みにし、仰け反らせる。苦痛に歪むその顔は、より一層ストラーダの嗜虐性をいや増すのだが、酔いしれるのも一瞬のことだった。
 クレフを乱暴に立たせ、懐の隠しに手を潜らせる。しかし、そこには彼が望むものが存在しなかったのだ。
「な、ばかな! 無い! 無いだと!
 どこに! どこに隠したというのです! 導師クレフ!」
 予想外の出来事に慌てふためくストラーダは、クレフの外套を引き裂き、他に隠しがないのかあらためた。勿論、呪術的に亜空間に繋がっているような類のものもない。
「そんな馬鹿な!
 あのタイミングで聖石だけをどこかに飛ばすなんて芸当が出来るわけがない!」
 自然、ストラーダの視線がクレフに向かうのは当然の帰結だ。だが、そんな彼をあざ笑うかのように、クレフが血に咽びながら、
「フフ。
 わ、私が知る・・わけが、無いじゃないか・・・。
 恐らくは・・おまえに吹き飛ばされた拍子にでも、こぼ・・れたんじゃないのか?」
 それだけ言うと、クレフは再度吐血した。
 ストラーダの興味はその時点でクレフから完全に離れた。手に浴びた血を拭うのももどかしく、舌打ちしたストラーダはクレフを乱暴に放り出した。
 吐血の具合から見て、肺のダメージはかなりのものだろう。クレフほどの魔術を扱える者であれば、自分でそれらの怪我を完治させることもできるだろうが、それは如何せん時間が掛かり過ぎる。その間、こちらの邪魔をしてくることはまずありえないから、注力する必要性は、現時点で必要は皆無に等しい。
 そう判断した影使いは、散っていた影法師に周囲の探索を支持した。クレフの言う通り、力任せに接近戦を仕掛けたため、衝撃で聖石が三々五々に散ったのかもしれない。
 その考えは正しかった。影法師に指示を出して一分もしないうちに、発見したという報告が入ったのだ。
 だが、事はそう簡単には運ばなかったのだ。
 聖石が入った袋は、今正にゴレームと三人の異界から来た少女達が奮闘する現場の只中にあったのだ。
「ゴレーーーーム!
 その石を小娘共に渡すなっ!」
 ほとんど悲鳴に近い声を挙げて、ストラーダはゴレームに指示。ついで、自らも驚異的な瞬発力を持って駆け出した。

 さて少々時間を戻すことにする。
 四体のゴレームの戦力を半減することに成功した三人の少女達であったが、戦いは楽にはならなかったのだ。
 足を失ったゴレームは、まだ自由の利く両腕を。腕を失ったゴレームは頭突きや足蹴りなどで彼女達に襲い掛かってきたからだ。しかし、手負いの獣は恐ろしいという格言は本当だった。重心が狂った体を振り回すということは、力加減も狂うということだ。
 彼女達にしてみれば、ゴレームを押しているつもりだったのだが、その実は逆で、いつの間にか三人は取り囲まれる結果になってしまったのだ。
 そうして何度目になったのか覚えていられないほど繰り返した二段付きを海が仕掛けようと突出した時、それは起こった。それまでそれがあること自体、意識の外に追いやっていた、切り落としたはずのゴレームの前腕が、どういう分けか宙に浮かびあがり、海の特徴的なストレートの髪を鷲掴んで、彼女を引き倒したのだ。
「きゃあああっ!」
 悲鳴をあげ倒れた所へ、腕無しのゴレームが彼女を踏み潰そうと近寄ってくる。彼女の髪を掴んだ前腕は、今度は彼女の喉元に食いついた。一本一本が太い指が、グイグイと首をしめてくる。こうなっては迫り来るゴレームよりも、前腕に意識がいってしまう。そして気がついた時には踏み潰されることになる。
 そうと分かっているわけではないが、海は必死になって自分の首を締め上げるゴレームの前腕を振り解こうともがいた。しかしもがけばもがくほど、ゴレームの指は彼女の首に食い込んでくる。脳に酸素が行き渡らなくなり、意識が飛びかけたその時、
「ジッとしてて下さい!」
 そういう声が聞こえたかと思うと、なにか細長いものが唸りをあげてゴレームの指に襲いかかるのが見えた。そして次の瞬間には、首を絞めていたものが無くなったため、彼女の肺は過剰に生成した二酸化炭素を吐き出し、代わりに新鮮な空気を取りこみ始めたのだ。
 海の危機を救ったのは風で、彼女がビリヤードの正確なキュー裁きのように、棍を操ってゴレームの指だけを叩き潰したのだ。
 咽ぶ海を開放しつつ、風は周りに目を走らせる。
 前腕と連携して海を踏み潰そうとしていたゴレームは、光が相手をしていた。
 いつの間にか彼女の戦闘スタイルも変わっていた。解いたリボンタイを手に巻きつけて殴っていたのだ。もちろんにわか仕込みの戦い方だったが、それなりにセンスはよかったらしい。殴ることで、ゴレームがそれを受けようと重心を前にした瞬間、身体を入れ替えて足蹴りを放つのだ。するとゴレームは重心を動かした勢いも相まって、盛大に倒れこむのである。また飛蹴りで鳩尾の辺りを蹴る。そして連続技として体を上へ持ち上げ、頭(顎先)を蹴り上げる。
 これらは長拳、軽身功を習っている教室で、先輩や、師範といった人達に付いて、時々行なわれる他門との交流会の際に見た太極拳の一部であった。もちろん日本で定着している健康体操という誤ったイメージの太極拳ではなく、ちゃんとした戦闘用の武術のそれだ。実際には、何度も何度も反復練習を積んで、無意識のうちに技を出せるようになるまでに繰り返さねば、モノに出来ない。だから光が使う技は見よう見まねの稚拙で、我流といった方が良いようなものだった。ひょっとしたら、薙刀をやっている風の方が、よりうまく扱えるかもしれなかった。だが、この世界に留まる以上、利用できる知識はいくらでも利用しなければならない。そうしなければまず間違いなく『生き残る』ことは出来ないだろうから。
 風に助け起こされ、光に命を救われた海は、「やるじゃない」と短く礼を言った。助けられてばかりのような気がするが、自分だって風や光が危ないときには手助けしたのだ。持ちつ持たれつである。
 しかし最早、三人はボロボロだった。
 光などは肩で息をしている状態だ。そして相手は疲れることを知らないゴレームである。素人娘たちが相手にするにはやっかいすぎる相手だった。だが、そのゴレームが合体して、巨大な姿になるとあっては、やっかいを通り越して、嫌味にしか思えなくなる。
 そうだ。腕をなくす。足をなくす。まともに戦える個体が存在しなくなった五体のゴレームが最終的に取った作戦が、一体に合体するということだったのだ。
 これには三人の少女たちは言葉を無くしてしまった。
 読んで字の如く、山が動いて迫ってくるその光景は、立ち向かう勇気を挫き、恐怖で手足を振るわせる。
 一番小さな光との体格差は三倍以上。いくら体操の練習で、打ち身とか捻挫当たり前と光が強がっても、これほどの巨体からの攻撃をまとも食らえば、いとも容易く死んでしまうだろう。
「じゃ、弱点・・・。
 そうよ、こいつに弱点って無いのッ?」
 半ベソをかきつつ、海が苦し紛れにそんなことを口走った。
 確かに、不用意に攻撃すれば分裂し、場合によっては複数の個体と合体する。このような習性を持った敵には、弱点が存在するのが常だった。しかしそれは我々の世界での、しかもマンガやアニメの世界での常識で、今目の前に立つ巨大ゴレームにもそれが存在するのか、甚だ疑問だった。
 巨大ゴレームが、ズシン! と一歩踏み出すと、一テンポ遅れて、光達を地面から浮かび上がらせた。それだけ重量があるというパフォーマンスに違いなかったが、その効果は絶大だった。
「・・いや・・ダメよ・・・絶対無理!」
 海などはヘナヘナとその場に座り込んでしまった。巨大ゴレームの迫力と恐怖とで、腰が抜けてしまったのだ。
 光は何とかその場に踏みとどまってはいるが、どうしても腰が引けてしまう。
 風は毅然と立ってはいるのだが、膝が小刻みに震えるのを、どうしても止めることが出来なかった。
 そんな彼女たちを更に射竦めるかのように、ゴレームが一歩踏み出したその時、悲鳴に近い命令がかけられたのだ。

「ゴレーーーーム!
 その石を小娘共に渡すなっ!」
 その声に一番最初に反応したのは光だった。
 ゴレームがその命令に従い、辺りを見回し聖石の入った小袋を見つけるため、巨体をゆっくりと動かす。その様は、動物園の象が回れ右をするかのようにひどくゆっくりだった。
 その時だ。光を助けにいけ。と海と風に語りかけてきたときと同じように、クレフの念話が三人の頭に響いてきたのだ。
 ――娘達よ。その聖石を守るんだ。守り抜かねば、お前達の未来はないぞ。
 極めて短く一方的な念話だった。実情を知っていれば、その短さにクレフが如何に危うい状態であるか察することも出来たのかもしれないが、三人はそれを知る余裕も、状況にもなかった。
 そんな念話を聞かされた海は、なんて傲慢な命令をするのだろうと憤り、
「卑怯な事言ってくれるわよね!」
 と不満をはいたものだが、その裏で巨大ゴレームの恐怖から脱することに成功していたのだ。
 三人の中で、すぐに聖石の在処をつかんだのは光だった。めまぐるしく動かした目線の先に、赤く光る軌跡をとらえたのだ。
「あそこ!」
 見みればゴレームも、まさに聖石を見つけたようだった。巨大な体をゆっくりと動かし、右腕を伸ばそうとしている。
「海ちゃん! 風ちゃん!」
 我知らず、下の名前で光は呼びかけた。
 もちろん二人ともそれを咎めることなどしない。そればかりか、光が何を言おうとしたのかちゃんと理解していたのだ。
 そして光は手足を体に巻き付けるような仕草をした。これも拳法の教室で見た『箭疾歩』という技だ。拳を遠くの敵に突き入れるための特別な撃ち方であり、長い距離を一気に縮める最良の方法だった。
 海はフェンシングの構えをとった。心境は敵に先制されて後がない状態。これで逆転しなければ、自分の負けになってしまう。ならばとことん突き進んで、相手が出すすべての攻撃を交わし前に出るのみ!
 風は無の境地にあった。もちろん祖父や祖母のそれには遠く及ばない所ではあったが、自分では今までにないぐらい深いところまで踏み込んでいた。目指すは稲妻が瞬くわずかな時間の狭間。雲耀の間。それは居合い抜きの達人のみが踏み込める究極の反応速度の世界だった。
 そしてそれぞれの世界が、同時に、異なる方法で動き出した。
 目指すは、ゴレームの向こう。ただ一点!
 ゴレームの腕が小袋に伸びる。
 光の手足が、巻き取られていたバネが解き放たれたかの如く伸び上がる。
 海の体重がかかっていた右足が一瞬浮き上がり、左足が彼女の体を前へと押し進める。
 棍を中段に構えていた風は、体をひねり突き出した。
 赤と青と緑の色をした一陣の風が、一点を目指して疾走する。
 しかし勝負の女神は三人に微笑まなかった。
 わずかにゴレームが伸ばした腕の方が早く、地面に転がる小袋に届いてしまったのだ。
 だが、運命の女神は違った。彼女たちの味方だったのだ。ゴレームの指が小袋を持ち上げる。しかしストラーダの攻撃の際に出来た裂け目から、中身の聖石が三つとも、ぽろぽろとこぼれ落ちたのである。
 その間隙を縫って、三人がそれぞれ一つずつ聖石をつかみ取った。
「やた! とったー!」
 光が小さく歓声を上げる。気分は運動会の徒競走で一等を取った時のそれだ。しかしそれもほんの一時にすぎなかった。
 聖石の確保に失敗したと判断したゴレームが、直ぐさま指を開いて治し、自らの脇を擦り抜けようとする海の体を、鷲掴みにしたのだ。鈍重な動きをしつつも、判断が素早いというのは、現状の彼の欠点を補って余りある。
「は、放しなさいよ。この石はあたしのなんだからー!」
 拾ったものは自分のものと宣言するのは如何なものかと思われるが、もともと三人はこの聖石によってこのセフィーロという世界に召還された身だ。ある意味、海の文句は正当なものと言えたが、簒奪者であるストラーダにとって、そんな主張を聞き入れる義理など少しもない。
 彼はゴレームの陰の中から、高笑いと共に現れた。
「はっはっは。良くやったぞゴレーム」
 ゴレームが小袋から聖石をこぼした瞬間などは、この役立たずめ! と罵ったことなど忘却の彼方だ。
 そしてストラーダがパチンと指を鳴らすと、光と風の影が、まるで意志を持ったかのように動きだし、伸び上がった。ストラーダの影法師の魔法だった。
 実体を持った影は、そのまま二人の体を拘束した。抗う隙こそ与えない早業だった。
「さてお嬢さん。その聖石を渡してもらいますよ。
 抗えば、大事なお友達がどうなるか・・・。言わなくても分かるでしょう?」
 ストラーダがそう言うと、聖石を掴む光の右手の下に、影法師の手がヒラヒラと動いて見て取れた。光が右手を開けば、そのまま影法師が聖石を受け取るというのだろう。
 だがこの聖石は他人に渡してはいけないものだ。特にあの仮面の男には。光はそう考え、頑としてその要求を突っぱねた。同じように拘束されている風もまた同じように拒否している。
 しかしだ。
「き、きゃあああぁぁぁぁぁ!」
 二人の耳に海の悲鳴が突き刺さる。そうだ。海を人形のように握りしめているゴレームが、僅かばかりに力を込めたのだ。
「卑怯な・・・」
 風が柳眉をつり上げる。しかしそれ以上のことが出来ない現状にあっては、負け犬の遠吠えでしかない。
「早くなさい!
 影法師に渡すだけでしょう。何をそんなに躊躇うのです?」
 ストラーダが二人を急かした。
 僅か十四年の生涯の中で、このような重い選択を迫られるなど、終ぞ考えたことのない少女たちである。
 いっそ泣き出してしまえばどんなに楽であったろう。そしてそうしてしまえば、誰かが代わりにこの難局を打開してくれるかもしれない。
 だが、あくまでもこれは目の前で繰り広げられている現実で、自分で判断し、自分で解決しなければならない問題だった。思考停止による逃げの一手は許されない。
 そして追い打ちをかけるかのように、クレフの弱々しい念話が、
 ――渡すな。渡したところで、解放されるとは限らない・・・
 それを聞きとった光は、なぜクレフと戦っていたはずのストラーダが目の前にいるのか。そしてクレフの念話が何故こうも弱々しいものなのか、理解したのだ。
 そして決心した。
 逃げることは許されない。
 まして友達を見殺しになんかしたりしない。
 絶対、負けるわけに、いくもんか!
 ギリッと歯を食いしばる。
 そして頭の中でクレフに呼びかけた。
 ――助けてなんて言わない!
 ――こんな事を平気でするような奴になんか負けたくない!
 ――契約だって何だってするから、教えて! 早く!
 そうしている間にも、聖石を渡せと影法師が彼女の体を締め上げる。しかし決心した光に、そんな苦痛を感じる余裕などなかったのだ。
「早く教えて! クレフーーーーーーッ!」
 一瞬、苦痛の余り悲鳴を上げたのかと考えたストラーダだったが、それが全くの見当違いであり、且つ何故その可能性を考慮しなかったのかと、自身の愚かさに腹を立てた。
 脅迫という手段が生温いのであれば、実力行使に討って出るまで。ストラーダは影法師に聖石を握る右手を、直ぐ様くびり落とせと命じたのである。
 だがそれはほんの少し遅かった。
 光の右手から、強烈な赤い煌めきがこぼれだしたからだ。

 気が付くと、光はなにか暖かいものに包まれているような感覚の直中にあった。
 僅かに目を見開くと、そこは彼女が見知っている場所でも、セフィーロの世界でもない光景が広がっていた。
 無限に広がる暗闇の世界。しかし波打つ水面のように波打つ地面は、微かに赤く光っていた。
 体の拘束は解かれていて、自由に動かせる。だが周りに風の姿も、海の姿もなかった。
 自分一人、またどこか別の世界に迷い込んだのかと思い始めたその時、目の前に赤い人魂のようなものが現れると、彼女は少なからず驚いた。
「無茶する嬢ちゃんだな」
 人魂はそう語りかけてきた。
「だ、誰ですか?
 もしかして私死んじゃったの?」
「それはないから安心しろい。外の世界じゃ一秒だって時間は経っちゃいねーよ。
 んなことよりどうだい。オレっちが力を貸してやろうか?」
 それを聞いた光は、ここがどこなのか確信した。
 ここは聖石が自分に干渉したか、何かして生み出した精神世界に違いない。
「できるの?」
「無理に・・とは言わねーがな」
「お願い。力を貸して。私の大事な友達が危ないんだ。力を貸してくれるんなら、なんだってする! だからお願い!」
「自分の命と引き替えにしてでもか?」
 その問いに、光はなんの戸惑いも躊躇もなく、あっさりと頷いてみせた。
 知り合ってわずか半日も立たない人間を友達と言い、そしてその友達のために命だって投げ出すというこの少女の思考回路は少し異常と言えた。だが彼女にしてみれば、それは極当たり前のことだった。目の前で困っている人がいれば、彼女は誰にだって手を差し伸べる。そういう性格の持ち主なのだから。
 知り合ってからの時間が、長かろうが短かろうがそんなことは関係ない。掛け替えのない、このセフィーロで知り合った大切な仲間を助けたい。ただそれだけなのである。
 それを理解したのか、人魂は豪快に笑い声をあげてみせた。それにあわせて水面が大きく揺れる。
「ハッハッハ!
 自分の命と引き替えにたぁ、ちっとやそっとじゃ出てこねー啖呵だぞ。
 そーまでして守りてーのか? あの二人を?」
「うん! だって二人はこの世界に着て初めて知り合った大事な友達だもん!
 二人にはいつだって笑っていてほしいし、絶対元の世界に戻ってほしいもん!」
「そのためなら、例え自分はどうなっても・・ってか?」
「うんッ!」
「救いようがねーバカだな。おめーは!
 自分たちが助かる代わりに、おめーが死んだとして、連中がそれを有り難いと思うって、悲しまないって考えねーのかよ。
 オレっちはそんなことされたもちっともうれしくねー!
 なんでかって? ダチってのは、そーいうもんじゃねーのかよ!
 おめーのは単なる自己犠牲の上に胡座かいてる自己満足ってんだ。そんなのダチでもなんでもねー!」
「・・で、でも・・・!」
「・・焦れってー奴だなー。
 連中も助けて、おめーも生き残れつってんだよ! スットコドッコイ!」
「・・う、うん・・・」
「わかったんなら、さっさオレっちを呼びやがれ。かっちょいー名前でよ。
 みんなで元の世界に帰れるように、オレっちが手助けしてやらー!」
 それが契約だった。この人魂と心を通わし名前を与える。その事が。
「・・あ、ありがと・・・。テス」
「あ? 聞こえねーぞ。
 もっとハッキリ、ヘソの下に力込めて呼びやがれ!」
「うん」

 手と言わず足と言わず、影法師に雁字搦めにされた三つ編みの少女の手のひらから、赤い光が洩れ出した次の瞬間、少女の体は紅蓮の立ち上る炎に包まれた。
「テスタロッサーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」
 自由になった少女は、天を仰いで声の限り、絶叫したのである。
「応!」
 そしてどこからともなく掛け声が返された。
 するとその掛け声に呼応したように、少女を包んでいた炎が、螺旋を描いて天へ天へと立ち上っていった。まるで熱く燃える溶岩を吹き出す火山のように。
 それを見たストラーダは呆然と呟いた。
「紅蓮の・・炎・・・。赤眼・・・。
 まさか、あの聖石に封じられていたとうのか・・・。
 導師クレフ! 貴方はあの小娘どもに何を渡したのか理解しているのですか!
 あれは・・あの力は・・・!」
 だが、わななく彼の傍らには、問いかけられた人物の姿はない。未だ少し離れた場所で、傷ついた肺などを、魔術を用いて修復することに全力を傾けているのだ。だが、彼の意識はハッキリとしていた。紅蓮の炎をまとった竜の化身を見上げ、口の端を満足そうに歪めていたのだ。それは異界から来た少女と聖石が契約を結んだことを喜ぶというよりも、ようやく練りに練った仕掛けが動き始めたことを喜んでいるようにも見受けられた。
 しかしそんなクレフの内心など、推し量る術を持たないストラーダは、事の成り行きに困惑するしかなかった。彼の目の前で展開されている事態は、とてもじゃないが彼一人の総意で納められる問題ではなくなっていたからだ。
「・・一体何を、何をたくらんでいるのです? 導師クレフ!
 あれは間違いなく『赤き炎の瞳』の力!
 わからない! 一体あなたが何をたくらんでいるのかまったくもってわからない!
 ハッ?」
 困惑するストラーダの目の前で、立ち上る炎がかき消えた。
 そしてそこから現れたのは、銀に輝く眩い角と、燃えさかる炎のように赤い体毛に覆われた、狼のような見たこともない獣を引き連れたあの少女だったのだ。
 少女の目には、つい先ほどのまでにあった憔悴の色はなく、確固たる意志を示すものが宿っていた。その少女の手が、傍らの赤い一角獣の頭をなでる。
「いけるな。光」
「大丈夫だよ、テス。
 海ちゃんと風ちゃんを助けるよ!」
 それに答えるように、テスと呼ばれた一角獣の銀の角が眩い光を放ち始める。そしてパッと一瞬輝きを増したかと思うと、一角獣の姿がその場から消え去った。代わって、光の装いが一変した。
 赤い宝石を配した金のティアラと赤い衣服。クレフからもらった胸当てはそのままだったが、手甲が追加装備されていた。察するに、一角獣が光の体を覆う鎧の一部と化したらしい。
 そして少女にだけ聞こえる声で、一角獣が囁いてきた。
 ――まずは先制だ。
 ――度肝を抜いてやれ!
 光と一角獣、テスタロッサは正に一心同体。テスタロッサが何をさせたいのか理解した光は、右手を握りしめた。
 意識を集中すると、右手が熱くなるのが分かる。それは魔力だった。魔法を使えないはずの彼女が、テスタロッサと同化することで、魔法の力を手に入れたのだ。そして彼女が手にしたそれは、燃えさかる炎の力だった。
 そして光は、右手に集めた魔力を解き放った。
「炎の矢(バウ・アタッカー)ーーーーッ!」
 野球の投球のような形で解き放たれた魔力は、燃えさかる炎の一矢となって、海を捕らえて離さない巨大ゴレームの右肩に命中した。
 バァン!
 まるで爆弾が爆発したような音を響かせて、炎の矢が炸裂。ゴレームの右肩が粉々に吹き飛んだ。
 それに驚いたのは、海と風だけだった。ストラーダは光とテスタロッサが一心同体になったことを見て取るや、聖石の奪取と状況の不利を悟り、一早く撤退したのだ。お陰で労することなく風を解放することが出来た。
 一方、炎の矢が炸裂した拍子に解き放たれた海は、たまったものではなかった。突然、至近距離で耳をつんざく爆音を浴びせられたばかりか、巨大ゴレームの腰のあたり(二mぐらいの高さはあった)から放り出されたのだ。結果として、腰を打つは、あっちこっち擦り傷が出来るは、自慢の髪はバサバサになるはで、散々な目にあったのだ。だが、文句は言ってられない。これ以上そこに留まることは、光の戦いの邪魔になってしまう。というより巻き込まれるのはゴメンだった。
 だが魔法使いとなった光を明確な敵と認識したゴレームにとって、海の存在などどうでもいい事だった。というよりも、ストラーダが姿を消したことで自立行動を許された現在、敵対行動をとる存在の排除が最優先されるのだ。よって、今のゴレームに取り、海の存在は路傍に一匹でたたずむ蟻と同義でしかない。
 そうしてゴレームは、砕かれた右腕をそのままに、光目指して突進を開始した。自立行動を許されたゴレームは一種のバーサーカーと言える存在だ。敵と認識した者が活動を停止したと認識するまで、破壊の限りを尽くす。まして痛みどころか疲れも知らぬゴレームである。この上なく厄介な難敵と言えるだろう。
 しかし
 ――あんなもん、小魚が群れなしてるのと同じでー!
 ――丸ごと焼き尽くすか、粉微塵に吹き飛ばせば良いんだよ!
 ――凪ぎ払っちめー!
 光の中に宿った変な江戸弁をしゃべる奴が、彼女を叱咤した。
 それに応えて、光は内から生み出す魔力を最大に解き放った。
「紅蓮の業火(ロンバルディア)!」
 光の両手から、バスケットボール大の火球が生み出された。火球は彼女の手を離れ、螺旋を描いてゴレームに叩きつけられた。
 それがこのセフィーロの世界に召還された、異世界の少女が手にした初の勝利となったの瞬間だった。
 
 体の奥底に走るむず痒さを覚えたことで、ゴレームが倒されたことを知ったストラーダは、少年のような姿をした導師の姿を思い浮かべ、屈辱に身を震わせた。
「いいでしょう。導師クレフ。
 あなたがその力を利用しようというのならそれも良いでしょう。我々もその計略に載って差し上げるまで!
 しかしそう易々と思い通りに事を運べると思わないことです!」
 今に見ていろとストラーダは地団駄を踏むのであった。しかしそれもほんの一時で、彼はまた何処かへと姿を消していったのだ。
 このセフィーロを更に破滅へ導くために・・・。


エピローグ

 ゴレームを倒した光は、海と風の目の前で前のめりになって倒れ込んだ。
「光!」「光さん!」
 それを見た二人は、彼女に駆け寄って抱きかかえた。
 すると二人の目の前で、気絶した光が纏っていた鎧が音もなく消え失せた。彼女の体のことを心配した二人であったが、光の穏やかな呼吸を聞いて、安堵の溜息をもらした。
「こんなにボロボロになって・・・」
 海がそんな光を膝枕に載せ、彼女のクリクリとした癖毛に手櫛を通した。
「本当に」
 そう呟いた風が、光の頬に新たに出来た擦り傷に傷薬の軟膏を、そっと塗りつけた。
 そうして互いの傷が治るのを待った二人は、傍らで『待て』の状態でかしこまっている一角獣に向き直った。
「嬢ちゃんのことなら心配いらねーよ。
 いきなり全力で魔力を解放したもんだから、目ぇ回してるだけさ。じきに気が付くだろうよ」
 変な江戸弁をしゃべる、変な生き物のその口から光の無事を聞かされ、少しばかり胸をなで下ろした二人だった。が、しかしそうするとこの一角獣のことが気になり出す。なんで江戸弁を喋るんだろう?
「あんた誰よ。」
「テスタロッサ。この嬢ちゃんはそう呼んでくれたぜ」
「テスタロッサ〜〜〜?」
 変な江戸弁をしゃべる変な生き物に、まったくもって似合わないと談じたのは海である。だが光が命名したというのであれば、受け入れるしかないだが、やはりそこはかとなく納得がいかない。そんな顔をしている海を余所に、風がたおやかな笑みを浮かべ、
「イタリア語で確か、「赤い頭」という意味だったはずですわ」
「へー。そんな意味があんのかい。
 なかなかオレっちにピッタリじゃねーか。気に入ったぜ!」
 と犬のような口の端を歪めるテスタロッサ。どうやらニヒルな笑いを作ったつもりらしい。それを見た海は、似合わなーいと内心毒づくのだった。
 すると、弱々しい声が海のすぐ近くからあがった。光だった。
「ありがとうね。テス・・・」
 力無く呟いた光は、そのまま海と風に、「二人とも、怪我はない?」と尋ねるのだった。
 もちろん。と二人は笑顔で返した。

 そして光を囲んで、犬っころみたいな呼び方すんな! お似合いよ! という掛け声のあがるその場所に、傷だらけの体を押して、ようやくその人物が姿を現した。
 クレフだ。
 彼は傷ついた臓器の修復を終え、なんとか歩けるようになったところで、ようやくここへ赴いたのである。かかる困難において力を貸せなかったことを、クレフは三人に詫びた。そして銀の角を持つ赤い獣に向かって深々と頭を垂れたのだった。
「永久の眠りよりの覚醒、まずはお喜び申し上げます」
 という言葉と共に。
 本能的にテスタロッサとは反りが合わないと感じ取っていた海は、クレフのそんな態度が非常に奇妙に映ったものだ。どうしてこんな犬っころもどきに頭を下げるのか。と。
 だが、クレフにしてみればそれは当然のことで、残る二つの聖石と共に覚醒するであろう神獣は、この三人の少女たちと共に、セフィーロを崩壊の危機からから救う、絶対に必要な存在だったからだ。それにおおよそ敬う神々しさを伴わない少女たちよりは、何十倍もその価値がある。
 その評価を聞いて、海は不平タラタラ。風は困った表情を作り、光に至っては、今にも眠りに落ちそうとあっては、クレフの酷評も無理からぬ事だった。
 だが次の瞬間クレフは、三人にむかって華々しい笑顔を作り、
「この世界を、セフィーロを救ってくれ。
 それが出来るのはお前達だけなのだから」
 それを聞いた海は、
「やっぱり付いてきてくれないんだ」
 と、落胆して見せた。
 クレフは済まないと言葉少な目に謝罪をし、それから暫くして、三人の元を去っていった。
 気がかりだった聖石との契約は、光が体験したことがすべてだったから、残った二人も、時がくれば契約することが出来るだろうとクレフは言い残した。

 ・・こうして光、海、風、三人の少女達の苦難の冒険の旅が始まったのである・・・。




 外の光が一切及ばぬ暗い空間。
 そこは鍾乳洞だった。
 その奥には鍾乳洞と水晶で彩られた広い場所があり、そこには封印の水晶結界によって閉じこめられた少女の姿があった。
 まるで眠っているかのような穏やかな表情をしているその少女を見上げ、導師クレフは異世界からきた少女たちに見せたものとは真逆の、凄惨な笑みを浮かべるのであった。



 その世界の名はセフィーロ。
 花咲き乱れ、楽園だった世界。
 そして、破滅へと向かう黄昏の世界。





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