魔法少女リリカルなのはA's VerH −宵闇の小夜曲−




 季節は初秋である。
 暑かった残暑も通り過ぎ、鈴虫の声も遠くなりつつあるそんな時期。
 八神はやては、掛かりつけである海鳴大学病院にいた。
 もう杖を突いた状態でも、問題なく私生活ができるようになっていた彼女ではあったが、精密検査やリハビリテーションなどといったアフターケアはまだまだ必要としていたからである。
 彼女はいま、車椅子に乗って病院の屋上にて風に吹かれていた。
 痛くても我慢してしまうきらいのある彼女である。多少強引にでも車椅子に! とシグナムから厳命を仰せつかったお供のヴィータが、忠実に命令を果たした結果だった。
 久しく使っていなかった車椅子に、再びご厄介になったはやては、高くなりつつある秋の空を見上げていた。
 が、その表情は少々険しい。
「まったくみんなして過保護なんやからー」
 プンスカとへの字口で不平を洩らすはやての頬は、どこぞのアンパンを配って回る怪人のように膨らんでいたが、守護騎士たちの心中もわからないでもないので、しゃーないと短く嘆息するのであった。
 そこでふと落とした視線の先には、待機状態にある魔杖リインフォースがあった。
 嘱託魔導師として時空管理局に登録することとなった彼女は、すぐさまデバイスの作成に取り掛かった。登録までの合間に管理局開発部や知人であるユーノの助力により、ミッド式、ベルカ式両方の魔法を操るデバイスの開発は進められていたが、なのはのレイジングハートのように薄氷を踏んで渡るような調整では飽き足らず、それこそ真剣の立てた刃の上を歩くような精緻さを要求されたその開発は、困難を極めるものだった。
 結果として、ベルカ式の融合型をベースに開発が進む方針が決定(これまでに行われたデバイス開発は水泡に帰し、がっくり肩を落とすユーノらがいたのは言うまでも無い)し、はやての内に移されていた蒐集による情報領域は、それを統括管理する管制人格と共にリインフォースの欠片内に納められる事となったのである。
 今彼女の手元にある魔杖は、そのモデルとなったオリジナルと比較するのははばかれるほどの機械的な人格(パーソナル)が与えられている程度である(と言っても、レイジングハートやバルディッシュと比較する気など毛頭ない)。
 それでも泣き虫だったあの子の生まれ変わりと信じるそのデバイスに、笑顔と幸せな時間を与えたいと常に思っているはやては、感傷だなと自嘲しつつも、バージョンアップをその都度繰り返しているのだった。
 そんな魔杖をギュッと握り締め、亡きあの子に思いを馳せる。
 そんな時だ。
 不意にかけめぐった強い風が、膝掛けにしていたストールを舞い上げて飛ばしたのだ。あわてて手を伸ばして掴もうとしたが、すんでのところで間に合わない。
 手を伸ばした格好で、はやてはストールを視線だけで追いかけた。幸いにも、ストールは屋上のフェンスを飛び越えることなく、少しばかり離れたところに舞い降り、そして留まった。
 セーフ。と内心呟きつつ車椅子の向きをそちらに向ける。すると、ストールの先に一人の少年の姿が佇んでいることに、はやては気が付いた。
 年の頃はクロノと同じ十五、六。身長ははやてより頭一つ分は高めだが、シグナムほどには高くない。短かく切りそろえられた髪は銀色で、尖がるようにワックスで固められていた。
 黒のTシャツに黒のチノパン。袖をめくった赤のライダージャケットからは、浅黒く日焼けした肌が晒されている。その出で立ちから見るに、この夏はバイクでツーリング、もしくはモータースポーツに明け暮れた結果と、容易に推察できた。
 少年は病院の屋上から海岸線を臨んでいたが、足元に飛んできたストールに気がつくと、すぐにそれを拾い上げ、左右に頭を巡らせた。
 果たしてその持ち主はすぐ近くにいて、車椅子を慣れた動きでこちらに進ませてきているのだから、間違えるはずもない。
「すんません」
 はやては一言そう言って、ほにゃっとした笑顔を浮かべてみせた。そして少年と目が合った。一瞬、瞳の色が赤に見えたのだが、すぐに甘栗のような黒に近い茶色になった。光の具合でそう見えたのだろうと考えたはやては、大して気にも留めなかった。
「はいこれ。風が少し強いから気をつけないと」
 少年は少し太めの声で呟くと、拾い上げたストールをはやてに手渡した。
 風体からは意外なほど丁寧な口調に違和感を覚えつつも、顔に出さないよう気をつけながら、すんません。と、はやては再度言いながらストールを受け取り、膝にかけ直した。
「寒くない?」
「全然。若いんやし」
 小さくガッツポーズをとるはやてを見て、少年は穏やかな笑みを浮かべてみせた。どうやら少年は、その笑顔のように穏やかな性格の持ち主であるらしかった。外見は仲間内に染められたと見るべきなのだろう。
 外見じゃ判断できないモンもあるってことやね。
 内心でそう呟きつつ、同じように笑顔を返したはやては、少年と同じように海岸線の方に車椅子を向けると、その先の風景を見やった。
 日はまだ中天の辺りにある。なので、きれいな夕日がそこにあるわけもなく、少年が何を見つめていたのか少しばかり興味を持ったからだ。が、やはり見るべきものは何もない。
 ベタ波の海が臨め、時折小さなヨットや漁船が、小さな逆波を蹴立てていくぐらいだ。特に何を見ていたというわけではないのだろう。
 だからはやては、
「お兄さん、あんまり見かけん人やけど、どこから来たん?」
 なんとなく、そんな風に少年に声をかけたのである。
 なにしろ彼女は、この病院への通院暦が長いのだ。病院周辺に住んでいる人や、掛かり付けにしている人の顔はもうほとんど覚えてしまっている。そんなたくさんいる顔見知りの中に、少年は含まれていないのだから、当然、市外やもっと遠い町からやってきたという事になる。
 そんな何気ない問いかけに少年は、
「俺? ん〜ちょっとした事故にあってね。
 友人達とあちこち見て回ってる最中だったんだけど・・・。まったくついてないよ。アンラッキーってやつ?」
 と気さくに、そして心底残念そうに答えてきたのである。
「事故って・・大丈夫なん? なんや随分ピンピンしてるように見えるで?」
 あまりにサバサバと答えてみせる少年に、はやてはちょっとビックリしてみせた。
 そんな彼女を見つめ返した少年は、自分のことを慮ってくれたのだと合点すると、
「俺じゃなくて、友人の方。
 でも大丈夫だよ。ほんのちょこっと縫っただけだから」
 と言って、左の二の腕を右手の人差し指で、外から内側にかけてなぞってみせた。そこを切り、縫ったというジェスチャーである。
「今は他に異常が無いか検査してる最中」
「そーかー。大事無ければええなぁ」
 大した怪我でもなく、大事無いということが分かったはやては、心底安堵したというように、ほっと溜息を吐き出してみせた。その様子を見た少年は、ありがとうと呟き、口の端を軽くあげてみせた。
「はやてー。は〜や〜て〜〜」
 と、はやてを呼ぶ声が屋上に響いたのはそんな時だった。ヴォルケンリッターのヴィータである。
 いい加減、薄着では肌寒く感じる時期だというのに、デフォルメされたドクロマークがプリントされた袖なしTシャツ一枚に、黒のプリーツのミニスカートといういでたちで、はやてのリハビリに付き添いとして来た彼女は、はやてを車椅子に預けると、すぐにドリフトをかますような勢いではやてを屋上に連れ出した。精密検査の順番待ちで、しばらく時間がかかると担当の医師から言われたためである。
 通い慣れ、知り合いが多いと言っても病院の待合い席やコーナーには、鬱積とした雰囲気がある。そんな辛気くさい場所よりは、多少寒くても開放的な屋上の方がはやてには良いに違いない。そう考えた彼女は、一も二もなくはやてを屋上へと連れだし、そして待ち時間をつぶすために飲み物の確保に走ったのである。
「ミルクティーは売り切れだったから、はやてはレモンティー・・な・・・」
 なんでもえーよーというはやてのリクエストに、お子さま味覚全開で応えたヴィータは、湯気が立ち上る紙コップをこぼさないように注意しつつ、はやての元へとやってきた。
 そしてその時になって初めて、はやての傍らに見知らぬ少年が立っていることに気づいたのである。
『はやてに近づく知らない奴』いこーる『悪い奴』(カシャカシャチーーーン♪)
 というすばらしい短絡思考、もとい論理展開を完了した彼女は、はやてからその悪者を全力で遠ざけるべく、素早く行動を開始。飲み物の入った紙コップを放り出すや、スパッとはやてと少年の間に割り込んだのである。
 両手を広げ、三白眼で少年をねめつける。それこそ「ワン!」と吠えそうな勢いでうなり声まで出す始末だ。それはもう全力で排除する気満々のオーラ全開である。
 そんなヴィータの眼力に思わず怯んでみせた少年を見るにつけ、
「こらヴィータ。初対面の人に、そんなことしたらあかん言うたやろー」
 と、はやてはまるで魔法のようにヴィータを自分のほうに向き直らせると、次の瞬間にはヴィータの鼻を、クリクリとつまんで引っ張りあげた。
「む、むにゃー! 痛い! イタイよはやて〜〜〜」
 車椅子のはやての膝に乗っかるような格好になったヴィータは、白のパンツが見えそうになるのもかまわずジタバタと手足を動かして抗議する。
「ごめんなさい。もうしません言わへんと、ゆるしたげへんで」
「ふにゅ〜〜〜〜〜〜!」
 と、そんな二人のじゃれ合いに割って入ったのは、事の発端である少年であった。
「プ。アハハハ。仲良いんだな二人とも。姉妹?」
「ちゃいます〜。でも家族みたいに大事な子〜や〜〜」
 そう言いながら、はやてはヴィータをギュ〜っと抱きしめた。するとそれまで暴れていたヴィータが、借りてきた猫のように大人しくなった。かと思うと、
「あ、あたしだって、はやてのことがスッゲー大事だい!」
 と、はやての細い腰に抱きつき返した。すると今度は、ウチのほうが! あたしのほうが! という抱きしめあい合戦(幸せ空間の展開とも言う)が繰り広げられると、もはや誰も入り込める余地が無くなってしまった。
 そんな二人を、少し離れてうらやましそうに眺めやる少年に、声をかけてくる一人の人物が現れた。
「ここにいたのか、レイ」
 禿頭で比較的ガッシリした体格(人間形態のザフィーラと同等、もしくはそれ以上)。そして少年と同じように黒のYシャツにスラックス。襟元には白のスカーフという出で立ちの男が、はやてとヴィータの存在を気にした様子も無く、少年の元へと近寄ってきた。
「ああゼム。ゼラの容態はどうだって?」
 レイと呼ばれた少年は、二人の女の子を見ていたときとはまったく違う様相で、目の前の男、ゼムに聞き返した。
「特に問題はないそうだ。念のため今日一日入院したほうが良いだろう・・と」
「そう。じゃゼラには伝えといて。ゆっくり養生しなって」
「・・わかった」
 言葉短めにそう応えると、ゼムは踵を返し、階下の病室へ繋がる階段に姿を消していった。
 ともすればマルボウの人に見えなくもない風体のゼムを、実直を体現しているという意味ではザフィーラと似てるなぁ。という的はずれな感想を持ちつつ見送ったはやては、
「お友達、なんともなさそうでよかったやん」
 と、素直におめでとうの言葉を贈った。
「いやまったく」
 対して、両手を挙げてやれやれとジェスチャーをしてみせたレイは、
「じゃ俺はホテルに戻るとするよ。必要なものとかあるはずだし。
 じゃーね、はやてちゃん」
 と別れの言葉を口にして、ゼムの後を追いかけるように階段の方へと歩み去っていった。
 そんな少年、レイの後姿を、はやての膝の上に乗る形で見やったヴィータは、
「なぁ、はやて・・・、誰あいつ?」
 相も変わらずはやて至上主義な彼女は、その時になって、はじめて少年の素性に興味を示したようだ。
 そんな彼女の頭をなでつつ、はやては、
「風に飛ばされてもたストール拾ってくれた、親切なお兄さんや」
「それにしたって随分仲良さそうだったじゃん?」
「あー、ヴィータ。それって焼きもちかぁ?」
「バ、ち、ちげーよ! そんなんあるわけ無いじゃんか!」
 ガバチョと身を起こしたヴィータは、はやての鼻先で思いっきり否定してみせた。
「ん〜でもレイ君、案外かっこよかったかもー。
 あーしもたなぁ。ケータイの番号聞いとけばよかった〜」
 ふふーんと意地悪そうな顔をつくったはやてが、パチンと指を弾いて悔しそうにすると、ヴィータの負けはもはや確定的だった。
「は、はやてー!」
 こりゃ夕飯は好きなもんいっぱい用意したらなあかんなぁ。
 そんな風に思いつつ、はやては再び空を仰ぎ見た。
 天高く通り過ぎる雲は鰯雲。
 それから程なく、つるべ落としのように日は沈んで行くだろう。
 平和な日常と幸せな時間が作り出すの風景がそこにあった。


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