魔法少女リリカルなのはA's VerH −宵闇の小夜曲−



  ◇

「以上が、ガスパール氏による報告の全てです」
 そこはミッドチルダ首都クラナガンに聳え立つ超高層建築物群の一棟。そしてその最上階の程近くに設けられた会議室である。
 照明が落とされたうす暗闇の会議室では、今、一人の女性がプロジェクターが投影する光に照らし出されるように立っていて、手にした資料を元に報告の真っ最中であった。
 会議室には、企業の重役然とした男達が十人。そして女性の姿が三人あった。
 内、十二人は会議室に据えられた円卓の周りに座しており、企業の重役を思わせる恰幅のよさ、そして威厳を身にまとっていた。そして残りの一人は、プロジェクターに照らし出されていた女性である。しかしそんなお偉方を前にして、彼女の立ち居振る舞いに不安要素は微塵もなく、むしろ堂々としたものであった。
 報告役である彼女は、名をローラン・ペーネミュンデといった。エーデルハイネにある保養施設の地下に埋設されている実験施設を訪れた女性だった。
 彼女は今、彼の地に訪れた時と同じく、秘書然とした乾いた砂漠の砂のようなカーキ色のスーツにタイトスカート、そしてパンプスという出で立ちで、プロジェクターの光に照らし出されるアイスブルーの瞳は、スーツとの色合いから、まるで砂漠のオアシスのように映るのだった。
 ギースが寄越した報告は、管理局の技術部で行なわれていたデバイスの開発記録から延焼事故に至るまで、事細かに納められていた。勿論、その目で見たものでない以上、憶測に過ぎないものがほとんどだったが、今この場に参集している者達にしてみれば些細なことだった。
 何故なら彼らが注目していたのは、『ギースが作り上げた失敗作が、自分たちにとって不利益たる存在になるか否か?』という一点に尽きていたからだ。
 幸いにも、管理局にはゼーレ達の資料が残っていないと確認できている。となれば、デバイス開発に携わった者が不審な動きを見せなければ、彼らにとって不利益な事態が起こりうるはずがない。
 その事が分かっただけでも、彼の地にローランを送り込んだ甲斐はあったと、皆一様に胸を撫で下ろしたものだった。
 が、それだけでは安心できないのも確かだった。
 なおも戦闘が繰り広げられている現場には、当のゼーレの面々が実在しているのだ。彼らと敵対する組織や企業は星の数ほどもある。そんな連中に、ゼーレの情報が漏れるのは非常におもしろくない。
 ではどうすればいい?
「決まっている! 彼の地を隔離した後、連中を処分してしまえばいいんだ。我々自身の手で! 物のついでに担当捜査官も亡き者にしてしまえば、後々都合がいいだろう」
「ほう! それはおもしろい」
「管理局内部でも、未だ闇の書への負の感情はあるだろうし、こちらの言葉も容易く飲むかもしれんな!」
 ゼーレ抹殺を理由に、闇の書事件の中心人物である八神はやての抹殺を唱える強硬派がいれば、それ対して異を唱える慎重論派の者ももちろん存在した。
「ちょっと待て。よしんば隔離がうまくいったとして、失敗作共々容易く葬り去れると本気で思っているのか? 逆に返り討ちにあうとは考えないのかね?」
「そうだ。そうなった場合の損益をどうやって取り戻す?」
「管理局の内部にはスタンドプレーで現場を引っかき回すような輩が目立つそうじゃないか? もしそんな連中と迎合されでもしたら、損益回収どころの騒ぎではなくなるとは思わないのかね?」
「臆病者め。やる前から負けることを考えていては、勝てる勝負も勝てなくなるぞ!」
「突進するしか能のない者には分かるまいよ」
「・・・ッ!」
 一転、会議室内の空気は、一触即発の危険なものとなった。
 コングロマリットとは言え、固い一枚岩で出来上がっていた分けではなかったのだ。複数の企業の集合体故、利益の見込めない部分は情け容赦なく切り捨てる。そうして、管理局との密約を結ぶまでに成長してきたのである。そして今この瞬間にも、彼らは進んで企業体の崩壊へと舵を切ろうとしていたのである。
 だが、そんな場の空気を一転させてしまう存在があった。
「いい加減にしたまえ! 子供の内輪もめでもあるまいに!」
 会議室の一番奥まった場所、上座の位置に陣取っていた初老の紳士である。
 彼こそが、この場を総べる中心人物なのだろう。その証拠に彼の一喝で、場は水を打ったように静まりかえってしまったのだ。そして彼がいるからこそ、企業体はコングロマリットとして有り続ける事が出来たのである。
 静まりかえった場を、満足そうに見据えた老紳士は、整えられた顎髭を一撫ですると、未だスクリーンを背にしたまま、身じろぎ一つしていなかったローランに声をかけてみせた。
「ローラン・ペーネミュンデ。君ならばどうするね?」
 何故、彼が彼女を指名したのか? それは単に彼女が彼の秘書であり、もっとも信頼している配下の一人だったからだけではなかったのだ。彼女は彼の跡を、目の前にいる十二人の企業の重鎮達を統べる地位を継ぐ者として目されている人物だったのだ。
 つまり彼女の言葉はそのまま老紳士の言葉たり得、そしてそれをアピールするために、老紳士は彼女を指名してみせたのだ。
 そんな差配を面白く思わない者が、その場には何人か存在していたのだが、彼女はそれを察しつつも、失意の軽い溜息をはき出した後、僭越ながらと前おいて口火を切ったのだ。
「・・僭越ながら、申し上げさせていただきます。
 彼の地を時空間閉鎖するのは最善の策だと判断します。しかし、我々配下の部隊を現地に派遣し、彼の者達を処分することに対しては承伏いたしかねます」
「ほう・・なぜだね?」
 堂に入った彼女の物言いに、老紳士は満足の笑みを浮かべて問い返した。
「現場の者にも意地というモノがありましょう。それを無視した指示を出せば、無用な反発を来たし、うまくいくモノもいかなくなるでしょう。
 まかり間違えば、敵対行動に出るやもしれません」
「そんな馬鹿なことが・・・!」
「それが『夜天の王』とその周囲の人物像ですから」
 キッパリと断言してみせ、否定的な意見を遮ったローランは「出すぎた発言でした」とでも言うように頭を下げるなり、一歩下がって控えの体勢に入った。それ以上、自分は口を差し挟みたくないとでも言わんばかりの態度でだ。
 コングロマリットを継ぐ者が、そのような態度をとるとは何事か!
 そんな彼女の態度に、怒気を隠そうともしない者や、サワサワと両隣にいる者に耳打ちする者。そして苛烈なまでのその存在感に、早くも心酔にも近い眼差しを向ける者と、会議室は種々様々な視線と思惑入り乱れる坩堝と化した。しかしそんな中、老紳士の押し殺すような笑いが会議室に小さく響き渡ると、潮が引くように静まりかえっていくのだ。
 この子は本当に面白い。正に太陽のように人の目を引きつける。
 ローランをそのように表した老紳士は、しかしそれを声色に微塵も感じさせず、
「他に意見のある者は?」
 と、円卓に座る者達を見回した。しかし彼女の意見は自分の意見。たとえ他の意見を聞き入れるような事を口にしたところで、はじめから聞く耳など持ってはいないのだ。
 だからシンと静まりかえった会議室の静けさに満足の笑みを浮かべた彼は、穏やかな口調で宣言したのである。
「採決をとる」

 会議は、老紳士の思惑通りの結果となって幕引きとなった。
「とんだ茶番だ!」
 と、退室時に舌打ちしながら出て行く者の姿もあったが、彼はそれを全く意に介そうともしなかった。
「あの坊やの利かん気も変わらぬな・・・。昔のまんまだ」
 むしろ、好々爺がイタズラ小僧の孫を慈しむようにして見送る始末。
 そんな彼の傍らには、苦笑を浮かべてみせているローランの姿がある。
「・・何か言いたそうだな。かわいい孫よ」
「いいえ。何も」
 そうかね。と嘆息して答えた老紳士は、イスに深く座り直すと、瞑目しながら天を仰いだ。
「この決定は私のわがままだ。組織的には、何の利益ももたらさない。
 お前はこれを感傷と言ってくれるのかな?」
「そのようなことは。ただ・・・」
 言いにくそうに言葉を苦らせたローランを肩越しに振り返り、言ってみなさい。と彼は目線で促した。
「・・何故、彼女、八神はやてに、准捜査官程度の存在に肩入れなさるのです?
 他の方々同様、並々ならぬものを感じます」
 躊躇いは確かにあったが、意を決して彼女は祖父に向かって問い質した。
 祖父は、管理局と敵対関係にもある武器製造業の複合企業体を、そしてその裏では管理局と密約を結び、軍事バランスをコントロールし、莫大な利益を生み出す組織を一代で立ち上げた立役者だ。
 そんな彼が敵方の、それもヒヨッコと言っても差し支えない駆け出しの特捜の見習いなどに、いったいどうして興味を持っているのか疑問に思えて仕方がなかったのだ。勿論、彼女自身のコネクションを利用して、祖父との繋がりがどこにもないことなどチェック済みだ。ならば何故? ローランは自問する。場合によっては祖父と袂を分かつ事態に発展しかねないその問題に、彼女はあえて立ち向かったのだ。好々爺然としたこの男の深部に潜む、魔物と対決するために。
 彼女は何となく理解していたのだ。彼の跡を継いでこの組織を掌握したとしても、そこかしこに、だが確実に、この老人の目が光っているに違いないという事に。死してなお、生き残った人間を掌の上で操らんとする、この男の底知れなさを。
 だからその問いを投げかけた後、ローランが我知らず生唾を飲み込んだとしても、無理からぬ事だったのだ。
 だが、祖父の反応は淡々としたものだった。小さくはき出すような、ハハという笑いの後、
「ある人との約束だからだよ。遠い・・遠い日の、約束だ・・・」
 そう呟いた老紳士は、遠き日の出来事でも思い出しているかのようにして、深く深く、重いため息をはき出してみせたのだ。その様は、彼女が思い描いていた彼のイメージとは酷く掛け離れたもので、疲れ切った一人の老人のような哀愁を感じさせたのだ。
 そしてそれ以上、老人は何も語ろうとはしなかったのである。
 『ある人』というのが、いったい誰を指すのかローランには図りかねた。が、彼がそれ以上の詮索を望んでいないことを態度で表明している以上、彼女はその場から退出するしかなかったのだ。
 しかしその一方で、八神はやてという人物に興味を覚えずにはいられなくなった。
 この三人の間には、必ず何かがあるはずだ。
 ローランは確信めいたものを感じた。それをつかむ事が出来れば、老獪なあの男の元から逃れる事が出来るかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなくなる。彼女は、個人的なコネクションを総動員して、この謎を調べる事に決めた。だが当面は、先ほどの評議会で可決された問題と、今後の対応にどう対処するかで忙殺されることだろう。だがあわてる事はない。時間はまだまだ有り余るほどにあるのだから。
 自信のほどをその歩みの中に滲ませて、ローランは屋上階に用意されたヘリに乗り込むべく、エレベーターホールへと急ぐのだった。

 一方、誰もいなくなった会議室に一人取り残された老人は、しばらく無言のまま、無為に時を過ごし続けた。
 ようやく三十分もすると、ゆっくりと席を立ちあがり、しかし確かな足取りで窓辺に歩み寄ると、遠くに見晴るかす港湾地区へと視線をむけたのである。
 二十四時間態勢で動き続けるその場所は、距離があるためミニチュアのように見えたが、巨大なアトラクション施設のようだった。だから時折、そうして童心に返って見つめ続けるのが、彼は好きだったのだ。
 陽はそろそろ中天にさしかかる頃にある。日差しによって暖められた陸地に向かって海風が吹いてくる頃合いだ。それを証明するかのように、うまく上昇気流に乗って旋回している海鳥の姿が、青い空を薄くかすめる靄の間に、何羽も見つける事ができた。
 彼は、そうして遠くの風景を見つめているのが好きだった。港湾施設を見る事も好きだったが、それ以上に広い海とどこまでも広がる空を見つめる事が好きだった。
 翼を広げ、自由に空を飛ぶ鳥の姿を見つめるのが好きだった。
 どこまでも広がる大海原に思いを馳せ、刻々と時間とともに変化していく海の色が好きだった。
 そうして無為に過ごす、穏やかな時間が好きだったのだ。

 いつしか陽は中天にまで昇りきり、日差しを照り返す海が眩しい頃合いだ。歳をとるとその照り返しが辛くなる。だから彼は大きな溜息をはき出すと、しびれるような鈍痛が滲む眉間をもみほぐした。
 一体どれほど、そうして遠くの風景を見ていたのか分からなかったが、体の程度から一時間はそうしていたらしい。
「ふむ。老いたものだよ」
 老人はそう独りごちると、疲れた体をほぐすように両手を上に伸ばし、次いで肩を撫でさすりながら会議室を後にした。
 普段の声色とは一オクターブも違う、ちょっと調子外れの鼻歌を口ずさみながら・・・。



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