魔法少女リリカルなのはA's VerH −宵闇の小夜曲−



 その光景をモニターしていたはやては気が気ではなかった。
 何しろ、大事な家族を文字通り丸呑みするような輩が相手なのだ。シグナムだからこそ、全幅の信頼を置いてはいるが、ともすれば生理的嫌悪、怖気を感じるような者が相手となれば、一抹の不安がよぎるのは無理からぬことだからだ。
「心配ですか?」
 知らず握り締めた右手を小さな胸に当てモニターを凝視するはやての横から、シモーネが声を掛けてきた。
「そら心配です。あんなん相手にするんは、えらい難儀やと思うから」
「でも大丈夫と、思っているのでしょう?」
「え・・そ、それはもう。うちの自慢の騎士達ですから」
「なら、期待しましょうね」
「・・そですね」
 そんな会話をしているうち、締め付けるような胸の苦しさは薄らいでいることに、はやては気づいたのである。
 励ましてくれたんだと、感じ入りつつシモーネを見つめる。
 お母はんが元気やったら、こんな感じやったんやろか・・・?
 なんとなく暖かくなった胸のうちに、知らず頬が緩む。そしてそれに気が付いたシモーネが、なんですか? と聞き返してくると、
「なんでもあらしません」
 と朗らかに返した。そんなはやての表情から何かを感じ取ったのか、
「・・甘えても良いんですよ?」
 とシモーネも同じように、朗らかに返してきた。
 そんなやり取りに気恥ずかしさを感じたのか、はやてはアセアセと照れ笑いを浮かべつつ、モニターに視線を戻すのだった。
「今は任務中ですよ」
 と照れ隠しの言葉も忘れない。
 一方のシモーネは少しばかり残念そうに溜息をつくと、次の瞬間には、ニルヴァーナ艦長の顔になり、同じようにモニターに視線を移すのだった。

    ◇

 人間形態への復元を完了したゼムゼロスは、首を捻っていた。
 先ほどシグナムを捕え、取り込もうとした際、わずかばかりの違和感を感じ取っていたからだ。
 生体であることは間違いない。だが何か希薄な感じがする・・・
 だがその思考は中断することとなった。シグナムが猛然と突っ込んでくるからだ。
 彼はそれを傲然と迎え入れた。何より戦闘用として作られた彼である。戦いの場に赴くことへの歓喜に、胸躍るからだ。
 そしてそれとは別に、ハンティング中に獲物が自ら飛び込んできたような、愉悦の念もある。だがそれにこだわる理由もない。何しろ獲物は一つだけではないのだから。
 そのための布石は既に打ってある。勝つことはできなくても、負ける不安など微塵も無かった。

 シグナムが気合のこもった雄たけびを上げ、ゼムゼロスに切りかかった。
「トライホーン」
 ゼムゼロスが手にするインテリジェントデバイスに呼びかけた。
《Roger! Combat mode Wakeup!》
 途端、トライホーンの青い宝玉が光を放った。
 宝玉を掴む三本爪の飾りが消えうせ、代わりに宝玉を中心に埋め込んだ三本の角を持つ槍のような姿へと変形したのである。
 ノーマルのステッキの状態で、シグナムの斬激を受けてみせたゼムゼロスである。槍の扱いもなかなかのものだった。
 矢継ぎ早の打ち合いで十合を交わしたが、お互いに刃先で火花を散らすだけで、決定打のようなものは入らない。お互いの体格差と伸長差があるために、シグナムが大上段から仕掛けても、ゼムゼロスには胸から下へ攻撃にしかなりえない。頭部への攻撃が少なくなる分、ゼムゼロスの方が立ち回りやすくなる。
 加えてゼムゼロスの二対の腕だ。
 槍を片手で軽々しく扱いシグナムの攻撃をあしらうや、太い腕がラリアット気味に飛んでくるのだ。誰の目にもどちらが有利か一目瞭然だった。
 だがシグナムの目から闘志は消えていない。ともすれば巨大な壁がそそり立っているかのようなプレッシャーを与えてくるゼムゼロスを相手に、果敢に攻めの一撃を入れてみせる。弾かれ防がれるのは承知の上という心積もりなのだろう。とにかく手数を多く打ち込み、相手の身体的スペックを調べ上げることを主眼としているからだ。
 そうしたシグナムのクロスレンジの攻めに業を煮やしたゼムゼロスが、槍をふるってシグナムを弾き飛ばした。当然シグナムも足を踏ん張り、転倒しないように受けきる。そうして十m程度の距離が生まれた。互いに手にする得物ではミドルレンジ相当だが、魔力による攻撃ならば、この程度の距離はまだまだクロスレンジだ。
「バルカン」
 弾き飛ばした分、ゼムゼロスの方に呪文を唱える余裕があった。トライホーンがそれに瞬時に応答。秒間二十発ほどの速さで魔力弾を打ち出してきた。
《Panzer hindernis!》
 レヴァンティンが反射的に魔力シールドを展開。それを弾いてまわるが、威力はなのはの魔力追尾弾ディバインシューターEX相当、もしくはそれ以上はあるらしい。瞬く間にシールドにヒビが入った。だがそのわずかな時間が出来ただけでもシグナムにとっては有難かった。膝を曲げ、ゼムゼロスの攻撃の力を受け流しはしたものの、上体が泳ぐ格好になっていたからだ。
 ――シャマル!
 脇構えに剣を構えたシグナムは、踏み出すと同時シャマルに思念通話で呼びかけた。
 途端、目の前に旅の鏡が出現。打ち合わせも何も取り決めていなかったが、阿吽の呼吸でそれはそこに出現したのだ。そして何のためらい無く飛び込んだシグナムは、そのまま体を振るって右から左上へと剣を走らせた。さらに体が伸びきる前に、残した左足を振り上げ、飛び上がって威力を追加させる。
 果たして彼女が飛び出した場所はゼムゼロスの懐の内だった。そして走った剣筋は、左の脇腹から右肩へと刻み付けられている。タイミング的には完全に獲っていた。
 が、シグナムはやはりと舌打ちする。一瞬感じた手ごたえはすぐに無くなっていく。それはまるで、一人で演舞でもしているかのような錯覚を起こさせた。
 だがそうなることは百も承知。昇竜拳気味に宙に飛び上がっていた彼女は、すぐさまレヴァンティンをシュランゲ・フォルムに代え、真下に位置するゼムゼロスに陣風を叩き込んだ。
 相手が如何に群体として成り立っていようとも、所詮は個体の集合体である。ならば切って切って切りまくり、個体単体の状態にまで追い詰めれば、いずれ決定的なダメージを叩き込めるはず。
 それを見極める!
 だからシグナムは、はやてとの思念通話による回線をつなぎ、彼女の持つストレージ空間にアクセスしたのである。

 息をもつかせぬ攻防。
 手数の多さから、一見すればシグナムが有利に見えたかもしれない。
 しかし戦局は、まったく別の様相を呈していたのだ。
 あるいはニルヴァーナからのバックアップ体制がしっかりしていれば、それを容易に看破し対応できたかもしれない。しかしクリスを始め、ブリッジクルーの誰もが、そしてシモーネやはやてでさえも、その伏兵に気付かなかったのである。
 ゼムゼロスから分離した個体の一つが、いつの間にかシャマルの背後に忍び寄っていたのだ。

    ◇

「ストレージ、オンライン。
 アーカイブ、アクセス。
 ダウンロード!
 穿て、ブラッディダガー!」
 はやての中に構築されたストレージ空間より呼び出した魔法を一つを、シグナムはコマンドセットとして呼び出し、そして解き放とうとした。だがその刹那、
「あ、ああああああああッ!」
 シャマルの絹を裂くような悲鳴と、
 ――待って! シグナム!
 というひどく慌てたはやてからの思念通話が割り込んできたのだ。
 瞬時、シグナムは何が起こったのか悟ってみせた。そしてそれは十分に考えられる事態であり、警戒を怠らなければ容易に回避できる問題だったとして、彼女は自ら犯した失態に、砕けんばかりに歯噛みするのだった。

 いささか無粋だったな・・・。
 今しばらくはシグナムの奮闘振りに敬意を払って、付き合うのも一興と考えていたゼムゼロスだったが、分離していた個体からの精神リンクが復活(シャマルの妨害が解除された事を意味する)したことを確認すると、嘆息しつつそう独りごちるのだった。
 だが、そこからもたらされた情報を読み進めるうち、清々としていた平静さは、マグマの如く湧き上がる憤怒のそれに取って代わっていった。
 たかがプログラム風情が高説を垂れるとは・・お笑いじゃないか!
 方や守護騎士プログラムとして。方や戦闘用魔法生物として。互いは正に作られた存在である。だのに前者はベルカの騎士として時空管理局内での実務に従事し、自由と権利を与えられている。だが後者は野に下り、辛酸をなめるような恥辱を味わっている。
 この差はなんだ!
 ゼムゼロスは激しい憤りを感じずにはいられなかった。
 我らの願いは拙いものだ。
 貴様らが手にするものと何ら代わりはないものだ!
 だのに貴様らは我らの邪魔をする。
 許せん。
 許せるわけがない!
 一片足りとも余すことなく、そのプログラムを喰らいつくせ!
 憤りは激情となって爆発した。

 繋がったままの思念通話を通して、シャマルの現状をモニターしていたはやては、悲鳴ともつかない声を上げた。
 ――なんやあのおっちゃん! シャマルに侵食・・いやハッキングかけてきとる!
 ――なんですって!
 はやてのその言葉どおり、シャマルに喰らい付いた男の分身は、遠目にもケロイド状のそれと分かる状態となって、彼女の肩口から拡がって行く様が見て取れた。
「喰らうだけでは飽き足らず、リンカーコアごと捕りこむ気か!」
 その様を見たシグナムは、相手の目的を瞬時に理解した。
「まあそんなところだよベルカの騎士シグナム。そして時空管理局特別捜査官候補生、八神はやて嬢」
 ゼムゼロスが飄々とした口調で二人の思念通話に割って入ってきた。
 思念通話でのリンクを辿ったのか、彼はほんのわずかな時間で、シグナムの名と彼女達の主であるはやての情報を入手したらしい。下手をすると、シャマルが指摘みせたとおり、ニルヴァーナの現在位置、そしてロストロギアの保管場所まで特定してしまうかもしれない。普段バックアップとして情報管制を行うことが多いシャマルは、多くの情報を濃密に保持している。それがこんな形で仇となるとは!
 だがそうしている間にも、シャマルの体はゼムゼロスにどんどん侵食されていってしまう。
 ――シャマル! 旅の鏡使こて、肩から先をパージするんや! 早う!
 シグナムを救出したときと同じことをする様に、はやては切羽詰った調子で指示を出す。
 勿論、はやての方から管理者権限を利用して、守護騎士プログラムの強制シャットダウンをかけることも出来ただろう。しかしそれではシャマルの身にどんな影響が残るかわからない。となれば、侵食により影響が出ている部位を早急に分断し、正常な本体を確保するしかない。
 ――しかし、主はやて!
 ――リンカーコアとプログラムカーネルが無事なら、ボディの方は何度でも修復できる! 全部持ってかれるよりなんぼかましや!
 何よりも家族としてヴォルケンリッターの面々を大事に思っているはやてである。捜査活動中での出来事とは言え、大事な家族を失いたくないという気持ちは人一倍強い。自ら指示を出し、傷を負わせるというのは苦渋の選択に違いなかった。
 だがそんなはやての悲痛な声は、ゼムゼロスの侵食から主要なプログラムを守るために全力を傾けているシャマルに、届いていなかったのだ。
「最早手遅れ。
 このプログラム体とリンカーコアは戴く。ゼーレのゼムゼロスが!」
「させるかっ!」
 最早、シャマル自ら腕を切り離すのを待っている猶予はない。ならば取るべき道は一つだけだ。そしてレヴァンティンは、その主の意思を汲み取ってみせた。
《Reladen. Blutiger Dolch!》
 一度は発動しかけた魔法『ブラッディーダガー』を再発動させたのだ。
 シグナムを始め、ヴォルケンリッターの面々は中長距離対応の砲撃魔法を得意としていない。騎士として成り立っている彼女らにしてみれば、砲撃魔法など騎士の本懐に反するからだ。
 しかしそれは建前でしかなく、彼女達は前衛で敵対者と交戦しつつ注意をそらし、その後衛からはやてによる大出力の砲撃魔法で薙ぎ払うという攻撃パターンが出来上がっているため、砲撃魔法による打ち合いを行う必要性がないというのが実情だったのだ。
 だが時空管理局に詰めることとなった現在、単独での任務遂行の場が増えるにしたがって、そうも言ってられない局面に立ち会うことがしばしば発生するに至り、はやては、ある対策を講じたのである。
 旧リインフォースより彼女が引き継いだ蒐集能力。この巨大ストレージともいえる情報の塊は、あらゆる魔法の術式、詠唱が千に万にと溢れかえっている。これをヴォルケンリッター達に開放し、自由にアクセス出来るよう共有化すれば、必要に応じて最適な砲撃魔法なり、空間攻撃魔法なりを行使することが出来るようになると考えたのだ。
 それほど急務でもない問題だったが、極めて簡潔に解決できるのであれば、利用しない手はない。
 それがこの局面で生きることとなったのである。

 シグナムが振るった腕の先、赤い焔が灯って揺れた。
 そして次の瞬間には、シャマルの右腕の周りに、そしてゼムゼロスの本体の周りに、
 黒色の短刀が、赤い曳光を引きながら輪となって現れ出でて、さながら紅の光を引いて走る猟犬の群れの如く、殺到したのである。

 シャマルの腕に群がった刃は計十二本。
 一方、ゼムゼロスに群がったそれは、計二十本。
 刃は、仕留めた獲物に群がる狼の如く、獰猛に襲い掛かった。
 刺し、貫き、穿いて、引き裂いた。
 そして血に染まった刃は、紅蓮の業火を巻き上げ、炸裂、炎上した。

 シグナムは内心で許せとシャマルに詫びながら、地を蹴った。
 彼女の右腕を切り落としたことに。
 そして斯かる事態を招いてしまったことに。
 跳んだ先には、激痛のためか、それとも侵食に対する防御への疲れのためか。
 苦痛にゆがむ表情を浮かべたシャマルの姿がある。
 そしてシグナムは、彼女を油断無く抱きとめた。

 ほぼゼロ距離で現れたそれを、ゼムゼロスは回避する事はできなかった。
 だから数の多いほうを優先して防御する事にした。
 生き残るために、小を切り捨てるのは当然だからだ。
 爆圧を表層で弾き返すのは愚の骨頂だ。かえって内部にまで衝撃波が浸透し、再生に困難なダメージを負うことになってしまう。だからリアクティブアーマーの如く、表層の構成体を自ら爆裂崩壊させ、衝撃波を相殺する事にしたのだ。
 そうしてゼムゼロスは、シグナムの攻撃を易々と凌いでしまったのである。

「さすがにこれは堪えたな。
 だがこの程度では、私は倒せないよシグナム・・・」
 ひき肉の山を捏ねてまわすような音をさせながら、ゼムゼロスは爆煙の中から現れた。
 その姿は、さすがにただでは済まなかったことを示すように、体格は元の三分の一程度の細さになっていた。
 が、それもほんの一時。
 見る間にその体は元の状態へと戻っていく。
 その様は、まさにバケモノとしか形容のしようがなかった。
 だがそんなバケモノの言葉に答える者はいなかった。
 いなかったのである。
《Sorry. I missed targets》
 ゼムゼロスが手にするデバイスが、彼女たちが姿を消した事、そして見失った事を詫びてくると、ようやく彼は事の次第を理解したのである。
 思わず、「まさか」と口について出る。
 だがつぶやく彼の視線の先に、シグナムとシャマルの姿は確かに消え失せていたのである。
 意表をつかれ、しばし呆然としたゼムゼロスだったが、
「・・なるほど・・熱くなったように見せつつ、シャマルの安全確保を第一に考えたか。 もう少し目の前の戦闘に固執するタイプかと思ったが・・・。
 さもありなん」
 ブラッディーダガーに傷つけられた体の修復状況を傍観しつつ、ゼムゼロスはそう独りごちた。
「まあ良いさ。向こうの戦力の情報が手に入ったのは重畳。少しは対処が易くなる・・というものだ」
 そう呟く間にも修復は進み、最後に肩口にできた大きな裂け目が、ピタリと合わさった。さらに数呼吸もしないうちに傷跡は、跡形もなく消え去って修復が完了した。
 無造作に首を右へ左へと捻ったゼムゼロスは、調子を確かめるように腕を大きく回してみせた。そうすることで、骨格形成をした個体が関節の接合具合を調整しているのだろう。
 トライホーンも元のステッキの状態に復帰すると、どうやらバリアジャケットだったらしい彼の衣服もまた、元の状態に戻ったのである。
 そして少しばかり離れたところに転がっていた帽子(こちらは自前らしい)を拾い上げ埃を払い、喉を鳴らすような笑いを漏すのだ。
「さて、我らの希望の成就のために、今ひとつ精進するとしようか」
 そう呟くと、ゼムゼロスは空高く飛翔し、何処へと飛び去っていくのだった。


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