魔法少女リリカルなのはA's VerH −宵闇の小夜曲−


   ― 2. 躍動 ―

「シャマル!」
 ニルヴァーナに帰還したシグナムとシャマルは、彼女たちの主によって出迎えられた。
 はやての眼じりには、今にもこぼれそうな大粒の涙が光っており、彼女がどれだけ家族のことを心配していたか如実に現していた。
「申し訳ありません、主はやて。
 私が不甲斐ないばかりに、シャマルを・・・」
「誰も相手の体があんなけったいなことになるなんて、思いもせーへんかったんや。
 何言うても仕方ない」
 髪を振り乱して泣き叫ぶようなことをはやてはしない。
 そんな態度をとれば、かえってシグナムを追い込むだけで、何も事態が好転しないことを理解していたからだ。
 誰に教わったわけでもないのに、そんなことを極自然にやってのけるというのは、やはり天性の素質といって良いだろう。
「はやて・・ちゃん・・・」
 そんな最中、介抱するはやての腕の中で、シャマルが息も絶え絶えに薄目を開けて彼女の名前を呼んできた。彼女はこの後、損失した体構成の修復と、侵食によって汚染されたプログラム部分の分離、修復、および最適化のため、待機状態にあるリインフォースの作業領域内に格納される手筈となっていた。
 ざっと見積もって二日ほどの戦線離脱である。
「なんやぁシャマル」
 そんな彼女を慮ってか、激痛による脂汗で額に張り付く前髪をやさしく梳きながら、はやてはまるで母親がそうするように、シャマルにやさしく呼びかけた。
「ご、ごめん・・なさい。ドジっちゃいました・・・」
「いつものことやん。気にせんでえーよ。次で取り返せばえーんやし」
「はは・・ひどいですよ、はやてちゃん」
 力なく笑い返すシャマル。そんな彼女を見て、
「そんだけ笑い返す元気があるなら大丈夫やなぁ。リンカーコアもプログラムカーネルも問題なさそうやし、すぐ元気になれる。
 だから安心しておやすみぃ。
 そんかし次に目ぇ覚ましたら、たくさん働いてもらうで」
「・・了解です・・・。
 ・・その前にこれを・・・」
 シャマルはクリスタル状のメモリーキューブを震える左手の平に実体化。はやての目の前に浮かび上がらせた。
 現場の状況をつぶさに思念通話でモニターしていたはやてにとって、報告書のようなものを提出される理由などない。だから少しばかり怪訝な表情を浮かべてメモリーキューブを見つめることになった。
「なんや。これ?」
「あの人に侵食されたときのデータを元に、抗体・・みたいなものを作りました。
 これを、みんなに・・・」
 流石はヴォルケンリッター参謀役兼後方支援担当のシャマルである。気を失いながらも、ニルヴァーナに運ばれるわずかな合間に、やるべきことをやっていたのだ。
 それを受け取ったはやては満面の笑みを浮かべ、
「すごいなぁシャマル。流石あたしの自慢の騎士や」
「・・なにより・・です・・・」
 フフと力なく笑みを浮かべたシャマルは、少し休みますね。とだけ告げると、淡い緑に光る魔方陣の中へと消えていった。そして後に残ったリンカーコアは、はやてが首から下げるリインフォースの首飾りの中に収まって消えたのである。
「ゆっくりおやすみぃ」
 リインフォースをぎゅっと押し抱いて呟いたはやては、眼じりにたまった涙を拭うと、すっくと立ち上がり踵を返した。
 ヴィータとザフィーラの二人が、既にゼムゼロスの仲間、『ゼーレ』と名乗った容疑者グループの一人と接触、交戦の真っ最中だ。急ぎシャマルが残した抗体を完璧なものに仕上げる必要があったが、現状のまま二人に送ったとしても無駄にはならないはずだ。
「ついて来ぃシグナム。
 状況によっては出張ってもらうかもしれへん。いつでも出れるようにしといてな!
 シャマルが元気になって帰ってくるまで、二人分働いてもらうで!」
「はい!」
 凛とした声で指示を出すはやての姿は、若干十一歳の、どこにでもいるような少女のものではなく、気高かくも四人の騎士を従える君主のものだった。

   ◇

 時間は、シグナムとゼムゼロスが邂逅したころにまで遡る。
「・・駄目だな。ここには残留魔力はほとんど残っていない」
「チェッ! 無駄足かよ〜」
 ヴィータとザフィーラの二人は、つい先ほどニルヴァーナが観測した、ロストロギアが重要参考人によって回収されたという現場の調査を行っている最中だった。移動中、シグナムとシャマルが、付近に移動する魔力反応があると呼び出されたため、代わって現場に赴いたのである。
 場所は人間の手が入っていない原生林の直中で、まるで円形脱毛症によって髪が抜け落ちた後のようにポッカリと、直径五十m程度の同心円状に切り開かれていた。さらによく観察してみると、木々は、鎌で刈られた稲のように同じ高さで切り倒されており、さらにその断面は、カンナをかけたかの如く滑らかな表面を晒していたのである。
 つまりは、重要参考人の一人は、ここにあったセフィロトの枝片を見つけ出すために、邪魔な木々を魔法を使って倒して回った。ということなのだろう。
 だがそれは多くの手がかりを残すことになる。
 時間経過による減衰から逆算し、瞬間最大の魔力値を知ることができる。
 また木の断面から、どういった系統の魔法を扱うのか、そしてその練度を類推することもできるだろう。曳いてはどういった嗜好の持ち主かも大雑把に窺い知ることができるのだ。そうして得られた情報は、重要参考人のグループとの邂逅を果たしたとき、大いに役立つはずなのだ。
 もっともそれらはひどく地味で、根気と辛抱強さが要求される作業となる。ヴィータなどは、特に向かない作業の第一位と言って過言ではないだろう。
 案の定、ヴィータは現場のほぼ中心付近で、大の字になってひっくり返っていた。
 だが決してサボっているわけではない。
 彼女の勤務態度や評価は、そのままはやての評価につながる場合がほとんどである。よって得手不得手で手を抜くなどもっての外なのだ。はやて至上主義である彼女らしい行動論理といえよう。
 今彼女は、シュワルベフリーゲンを用いた捜査用探知デバイス(特別捜査班支給品)を放って、広域調査を行っている真っ最中だ。
 半径十km圏内を飛び回る探知デバイスの数は三十をくだらない。通常のシュワルベフリーゲンで用いる弾丸数は十にも満たないが、扱う魔力量は探知デバイスのほうが格段に低い。それにコントロールに要する精神力もそれほど必要ではないため、これだけの数を一度に操ることができるのだった。しかしそれでも集中力を要求されるのは代わらないため、大の字になってコントロールに集中しているという次第だ。
 一方、鼻を活かして相手が残していった魔力の残滓を探しているのは、獣モードのザフィーラである。だが、成果は思わしくないらしい。軽いため息と共に頭を上げ、ヴィータの様子を見やった彼は、今回はまともな調査だな。と独りごちるのであった。

「ザフィーラは張り込み番なぁ」
 以前、逃亡中の時空間犯罪者を追跡する任務の際、ザフィーラははやての命令の元、潜伏中の犯人の住居近辺に張り込むという機会があった。
 目立たないように。ということで子犬モードで活動することになったのだが、
「もっと怪しまれないようにしねーとな」
 とヴィータが毛布を敷き詰めた段ボール箱を持ってくると、抗う暇も与えずザフィーラを押し込んだ。
 それを見た途端、シャマルが口元を押さえて「可愛がってください」などと段ボール箱の端にマジックで書き加えると、八神家はにわかに賑やかになった。
 ヴィータは文字通り抱腹絶倒で転げ周り、はやてはシャマルと一緒になって目の端に涙を浮かべて苦しそうに笑いあっている。そしてあろうことか、あのシグナムまでもが苦しそうに腹を抱えて忍び笑う(その光景の方がよっぽど貴重かもしれないが)という事態にまで発展したのである。
 そんな彼女達を目の当たりにした彼は、「どうにでもしてくれ」とばかりにため息をつき、そのまま毛布に包まって体を丸めるのだった。
  勿論それを見たはやてがフォローを入れたのは言うまでもなかったが、それからしばらくの間、段ボールを見かけては、口元に手を当てるか、軽く噴出すメンバーを見るにつけ、何故か背後に枯葉が一枚舞っているような気分になるザフィーラである。

「・・はやての勘が当たったみたいだぜ」
 そんなヴィータの呟きに、我に返ったザフィーラがそちらに頭で向き直ると、ヴィータのしたり顔がそこにはあった。
「ロストロギアの反応だ」
 現場百回の格言どおり、ロストロギアの現れた現場の近くに、もうひとつのロストロギアがあったのだ。重要参考人が前回、この現場でロストロギアを回収した際に、このもう一つが発見されなかったのは、不幸中の幸いといっていいだろう。
 ヴィータからおおよその位置情報を受け取ったザフィーラは、
「まさに目と鼻の先だな。
 ・・ならば慎重に動くとしよう。近くに参考人の誰かが隠れているかもしれない」
「あいよ」
 ザフィーラの言うことは至極最もだったので、ヴィータはそれに素直に従った。
 ニルヴァーナにロストロギア発見の報告を入れる傍ら、探知デバイスに集結コマンドを送信。そして彼女は原生林の樹上スレスレを、渡り鳥が飛んでいくようなゆっくりとした速度で進み始めた。
 対してザフィーラは、原生林の木々が生い茂る合い間を、風のように駆け抜けていった。空からの警戒をヴィータに一任しつつ、ロストロギアに接近する腹積もりだ。こうすることで、魔力反応に敏感な相手がいたとしても、ヴィータの方に注意が向き、ザフィーラの存在は感づかれにくくなる。二年の歳月で身につけた捜査方法の一つだった。
 だがそれは取り越し苦労に終わることとなった。
 ヴィータがロストロギアの真上に到達しても、ついに相手は現れなかったのである。
「・・なんか拍子抜けだな」
 シグナムとは違った意味での戦闘好きな、ヴィータらしい感想がこぼれて出る。このような喧嘩っ早さが矢面に立つ性格の持ち主が、説得交渉をできるのかと問われれば、如何な成績優秀な彼女達の主であっても弁護は難しいだろう。それに、今回パートナーを組んでいるザフィーラにしても、口数は多い方ではない。
 人選ミス。
 という言葉が脳裏をよぎるのも無理からぬことであるが、しかし得手不得手でチーム分けをしているようでは、近い将来、不足の事態に対応できなくなるだろう。こうした問題もまた、はやてが一人前として第一線で活躍するようになるまでに解決すべき問題だった。
「気を緩めるな。今はいなくとも、これを持ち帰るまでに襲ってくる可能性もある」
「それぐらいわかってんよ。それよりそっちこそどーなんだよ」
 ミスすんじゃねーぞというヴィータの文句を馬耳東風と聞き流しつつ、ザフィーラはロストロギア、セフィロトの枝片が眠るその場を凝視していた。

 セフィロトの枝片は、ジュエルシードと同じく、願いを叶える類の宝具である。
 だが枝片は十個全てが揃わないとその力を発現しない(またどうしてバラバラの状態で散在しているのかも、詳細は不明)。そこがジュエルシードと趣を異にする性質だった。
 しかしその一方で、厄介な性質も有していたのだ。
 枝片単体では、安定したどこにでも転がっているような石でしかないのだが、二つ以上集まった途端『道』が形成され、莫大なエネルギーと魔力干渉波を発生するようになるのだ。先の時空震はこの現象により発生したものと、容易にうかがい知ることが出来る。
 しかし良く出来ている事に、枝片が三つ以上集まり、それぞれを結ぶ『道』も三本以上形成されると、三竦みの状態にでもなるのか、途端安定し、沈静化するのである。
 ニルヴァーナ内での見解では、恐らく構成された『道』が一本だけでは、その中を流れるエネルギー量が多すぎる、もしくはベクトル的に衝突するなどして不安定な状態になり、結果、魔力干渉波などのエネルギーが溢れ出し、時空震を引き起こすのではないか? そして枝片が三つ、さらに『道』が三本構成され、三角形を形作ったとき、エネルギーが一定方向に巡回するようになるため、安定するのではないか? というものだった。
 つまりセフィロトの枝片を回収するには、一箇所に集めてはならないという矛盾した前提が成り立つのである。しかし空間的に断絶された封鎖空間なり、カプセルなりを用意すれば事無きを得るわけだ。例えば魔導師のデバイスが持つシーリング機能などがこれに該当する。
 ということは、先の時空震は、重要参考人が所有するデバイスに何らかのトラブルが発生し、このシーリング機能に障害が発生したため、枝片同士が干渉したということなのだろうか?
 答えは否。である。
 インテリジェントデバイスは確かに扱い難いモノではあるが、システマティックに統制、制御されているデバイスの内部空間において、枝片同士が干渉するような事故が起こる可能性はほぼ皆無。と断言できる。
 ではなぜ、時空震は発生したのだろうか?
 仲間内でのトラブル?
 あるいは故意に干渉させ、誘蛾灯に集まる昆虫のように、
 誘き出された・・のか?
 そうした疑念を持ちつつ、目の前の枝片(バスケットボール大のただの石のように見える)を見つめるザフィーラは、意を決すると、ゆっくりと、且つ慎重に手を伸ばしていった。
 その時である。
 不意に、近場の草むらから一匹の蛇が、彼に向かって襲い掛かってきたのだ。
 しかし、たかが蛇如きに襲いかかられても、叩き落して退けることは容易にできた。しかし次から次へと、群れなして襲い掛かってきたとなれば話は別だ。
 その光景にザフィーラは我が目を疑った。
 まさか蛇の巣穴にでも紛れ込んだのかと思った彼は、舌打ちしつつ素早く飛び退いたのである。インテリジェントデバイスを扱う魔法生物が相手と思うあまり、蛇の大群を認識できなかったとは何たる失態! 自戒しつつ距離をとった彼は、蛇の大群を睨み付ける。
「!」
 しかし間髪いれず、蛇がまるで濁流のようにザフィーラ目掛けて殺到してきたのである。
 面食らいこそすれ、極めて平静を保っていたザフィーラは、蛇の群れに対し、魔力障壁を展開して、その突撃を阻んで凌いでみせた。
 しかしそのあまりにも統率の取れた一連の動作をいぶかしんだ彼は、確かに見たのである。障壁越しに、蛇が目だけでニヤリと笑ったのを。
 馬鹿な。と頭を振ったザフィーラは、右の拳で障壁を殴りつけ、障壁破壊のエネルギーをダイレクトに蛇の群れ叩きつけ吹き飛ばした。そして返す左腕で、機関銃のようなジャブにのせた、魔力の砲弾を叩き込んだ。
「何やってんだよザフィーラ。そんなのとっととのしちゃえよ」
 その様子を上空から見ていたヴィータが、つまらなそうな口調で茶々を入れてきた。大山鳴動して鼠一匹という状況そのままの光景を目の当たりにして、白けきっているのだろう。
 言われるまでもない。
 とザフィーラは内心毒づき、足元に魔方陣を展開する。簡単な氷雪系の魔法で、蛇の群れを中心に冷気で包み込むことにしたのだ。蛇は寒さに弱いというのは、どこの次元でも共通した常識だからだ。それに、無用な殺生をするまでもないと考えた故である。
 しかし、
 ――油断したらあかん!
 はやてからの、悲鳴のような思念通話が割り込んできたのは、正にその時だった。
 折りしも、シグナムとシャマルの二人が、ゼムゼロスに襲われる様子をモニターしていたはやては、その蛇の群れとその行動に、ゼムゼロスと同質の雰囲気を感じ取ったのである。そしてその疑念は、思念通話を通して二人にもたらされた。
「群体? なんだよそれ?」
 ヴィータが信じられないといった口調で叫ぶと同時、蛇の群れに変化が起こった。
 群れは群れで無くなり、一個の巨大な、そして長大な体を有する蛇竜の姿が、あっという間に現れたのだ。
 蛇特有の平たい頭に、竜の眷属あることを示す、硬くて鋭い角を目の後ろに二本伸ばした蛇竜は、二股の長い舌と、四本の牙を覗かせて「ジャー」と低い声を轟かせた。
 管理局が収集した参考人グループの情報に、このような蛇竜のものは含まれていなかったが、まず間違いなく彼らの仲間と見ていいだろう。額の青く輝く宝石のような物は、インテリジェントデバイスのコアパーツのようであったし、なによりロストロギアの周辺に潜んでいたという事実が、裏付けを後押ししている。
 それにしても考えたものである。
 蛇は、このランスベルク世界においてもそう珍しく無い存在である。個体で行動することにより、魔力反応を極端に小さくすることが出来たのだ。ために、ヴィータの探知網を掻い潜り、ザフィーラの至近で虎視眈々と構えていたのだ。
「・・厄介な相手ということに間違いはなさそうだな・・・」
 長大な体をくねらせ威嚇の声を発する蛇竜の姿を仰ぎ見て、ザフィーラが苦々しく呟いたのも無理はない。
 そんな矢先、蛇竜の額の水晶に文字が躍ったのである。
《Chain Bind!》
 途端、蛇竜の体を覆う鱗が煌いたかと思うと、その一つ一つから茜色の光の縛鎖が、ザフィーラ目掛けて伸び出したのだ。その数は十や二十ではなかった。完全確実に、彼を捕らえて離さないつもりなのだろう。
 回避行動をとろうにも数が多すぎた。が、大人しく捕まるつもりも微塵ない。ザフィーラは魔力障壁を両手の先に展開し、正面からの縛鎖を弾いて凌ぎに出た。
 だが、その程度で防ぎきれるものではない。障壁を迂回して、縛鎖が襲い掛かってくる。だが彼はあえてそれを無視した。なぜなら、
「喰らいつけーっ!」
《Schwalbe Fliegen!》
 ヴィータの援護があったからだ。
 ヴィータが放った魔力誘導される鉄球の群れは、障壁を迂回する縛鎖の先を追尾強襲し、叩き落した。
 バインド系魔法の自動追尾性能はどれも無いに等しい。目標をロストするか、横槍が入った時点で魔法プログラムが終了、完結してしまうからである。ヴィータはその特性をついたのだ。そうしてヴィータがチェーンバインドの無効化に努めている間に、ザフィーラは障壁の隙間から討って出たのである。
「縛れ! 鋼の軛!」
 アッパー気味に振り上げた左腕の動きに合わせ、衝撃波のような光条の柱の群れが、蛇竜にむかって突き進んだ。そして一瞬にして、蛇竜の体はそれら光条によって下から貫かれ、拘束されたのである。
「・・捕縛とはこうするのだ」
 その様を見つめながら、ザフィーラがつぶやいたその矢先、あたり一面に、爪で黒板を引っかくような耳障りな声が響き渡った。
 思わず耳を押さえて、「ウルセー!」と騒ぐヴィータをよそに、蛇竜は拘束から逃れようと、周りの木々を何本も薙ぎ倒しながら体を激しく揺り動かした。しかし穿たれた光条が、そう易々と抜け落ちるはずがない。
 無駄な足掻きだ。
 と内心呟いたザフィーラの目の前で、蛇竜の体の表面が、一瞬あわ立つように見えたのだ。そしてそれもほんの一時。蛇竜は個体へ分離して散会すると、ザフィーラを中心にした反対側に集結。合体して元の姿に戻ったのである。
「む・・切りが無いな」
 厄介な相手だとザフィーラは再度呟いた。
 分離合体する個体全てを殲滅すれば、あるいは攻略することもできるかもしれないが、個体の数が多すぎる。実行したとしても、波打ち際で砂の楼閣を築き上げるが如き作業となる。
 だがそれは、この蛇竜が裁かれるべき犯罪者であった場合だ。敵対行動をとるとはいえ、相手はまだ『重要参考人』である。そのような立場の者への過剰な武力行使を許すほど、管理局の法は寛大ではない。だがその法が、現場の者を苦しめる枷となっているのは皮肉以外の何者でもない。
 ではこのまま、座して蛇竜に弄ばれるしか道はないのか?
「押してだめなら、引くまでだ!」
 そう叫んだヴィータが、何を思ったか蛇竜に向かって再度、シュワルベフリーゲンを打ち込んだのだ。正にこの八方塞の状態を打開するのに、ふさわしい人物はいないだろう。(単に何も考えていないだけなのではあるが・・・)
 しかし蛇竜の巨体に、シュワルベフリーゲン程度の攻撃が通用するはずもない。だが、先ほどチェーンバインドを無効化したのがその魔法だったことを思い出した蛇竜は、注意をヴィータに向けたのである。
 再度、耳障りな声を上げて、蛇竜はヴィータに向かって突進し始めた。
 ――ザフィーラ! そっちは任せたぞ!
 ヴィータからの思念通話を受けたザフィーラは、その意図を素早く理解すると、その身を蒼き狼へと代えるや、気配を消して、木々の間にまぎれると、何処かへと姿を消したのである。


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