魔法少女リリカルなのはA's VerH −宵闇の小夜曲−



   ― 3. 策動 ―

 その日の朝の喧騒は、はやてにとって生涯忘れられないものとなった。
 寝入ったのが遅かったにもかかわらず、アリサの要望をきいたファリン(夕べの騒動の痕跡など露ほど見せていない)が、六時前に起こしにきたのだ。
「キッチンの用意は完璧です!」
 と、お仕置きの疲れなど微塵も見せず、ファリンがニッコリ笑顔で言うのだが、霞がかかりハッキリしない頭にまったく入ってこないはやてである。
 着替えを終え、眠い目をこすりながら気だるそうにファリンの後を付いていくと、月村邸のキッチンに通される。
「なんや、朝ごはんはあたしが作るん?」
 事情がよく飲み込めていないはやては、そんな約束したっけ? と寝ぼけ眼半分、アクビ半分で至極当然な疑問を口にするのだが、
「ちっがうわよ、はやて! アンタ寝ぼけてんの?」
 と言う声に振り向けば、そこには私服の上にファリンから借りたメイドエプロンをかけたアリサが、よく来たな待っていたぞ。と、どこぞの熱血バトルマンガの敵役みたいにキッチンの真ん中で仁王立ちしていたのである。
「アホがおる・・・」
 とは、なんとか働いた自制心で飲み込んだものの、やはりそこでアリサがそうしている理由が一向にわからない。
 首をかしげ、頭の上でクエスチョンマークを点灯させるはやてに、ジリジリしだしたアリサは、
「早く支度なさい。時間無いんだからッ」
 と、用意してあったもう一つのエプロンを突き出すようにして渡してきたのである。
 そうして言われるがまま、エプロンに袖を通すはやてを残し、アリサはキッチンの奥へ踵を返した。そしてそこに用意されていた軽量カップだの振るいだのオーブンだのをチェックしつつ、小麦粉に薄力粉、牛乳、卵、バターの他に、シナモン、ココアパウダー、シュガーパウダーその他諸々が用意されている事を確認。満足げな表情を浮かべてみせたのである。
 そんな彼女を見て、ようやく夕べ、睡魔に半分意識を持っていかれた状態で、
「良いはやて。明日は早起きして×××ー作るわよ。良いわね? ちょっと聞いてる?」
 とかなんとか、両頬を引っ張られながら言われた事を、はやてはようやく思い出した。
 が、何を作ると言われたのか、夢の世界に片足を突っ込んだ状態だったために、どうしても思い出せない。それをそのまま、目の前でやる気満々でいる友人に、素直に聞いていいものやら考えあぐねていると、髪をツーテールに結い上げた救いの神が現れたのである。
「オッハヨ〜、アリサちゃん。はやてちゃん。
 進み具合はどんな感じ?」
 夕べのサバト、もとい宴の疲れも見せず現れたなのはは、見れば、さも当然と言うようにエプロン装備であった。という事は、この場で行われる作戦の追加要員であることは明白。そして作成する目標物を知っているに違いない!
「白い悪魔が観音様に見える」
 とか洒落にならないことをぼやきつつ、はやては「おはようさん」と朗らかに挨拶を返した。
「それがさー、はやてったら寝ぼけてて、役に立ってないのよ」
 傍若無人なアリサちゃんにかかったら、誰も彼もが役立たずですぅ。と、声を大にして叫びたい気持ちをグッとこらえ、はやてはキッチン用の座部が小さめなイスを引き寄せ、そこに腰掛けた。さすがにまだまだ長時間の立ち仕事は、脚がついてこないのだ。
 そんな彼女の様子を見たなのはは、アリサちゃんてばまた〜。という顔をしながら、二人の間に割って入る形で立つと、
「さ、時間もないし、手早くやっつけちゃおう!」
 左腕を上に伸ばして、ガンバローと切り出すと、早速アリサに薄力粉を振るいに掛けるよう、そしてはやてには、オーブンレンジの余熱をお願いしたのである。
 ――クッキーだから一五○度ぐらいでいいよ〜。
 その隙にと言うわけでもないのだが、なのはからの思念通話が入る。あまりに明け透けな感じで話しかければ、すぐにアリサがへそを曲げかねないと考えたからだろう。
 そんな気配りにはやては感謝しつつ、
 ――クッキーいうたら、翠屋でも作って売ってるやん。持ち込んでええの?
 ――お母さんに理由話したら、ソッコーでオッケーって。その代わりアリーナ席で観戦させてもらうって言ってたけど・・・。
 ――かなわんな〜。
 イスをガコガコ言わせながら、はやてはオーブンのまん前に移動。かがみこんで、オーブンレンジの温度設定をいじりつつ、スイッチをいれた。
 その間に、なのはは無塩バターの固まりをボールにあけ、電子レンジに投入。無造作にゴンゴン暖め始めたかと思うと、唐突にレンジのドアを開け、ミトン片手にボールをヒョイと取り出した。そしてこれまたヒョイとスプーンを取り出すと、暖めたバターをツンツン突く。「まだ硬い〜」とか鼻歌交じりで呟いたなのはは、また電子レンジの中にボールを投入。再加熱。また唐突に取り出してバターの状態を確認する。
 そしてある程度柔らかくなったことを確認すると、今度はグイグイ押すようにして柔らかく伸ばし、マヨネーズ状のベタベタした状態にしていった。
 彼女の一連の作業は、一見、大雑把に見え、ともすれば遊んでいるようにも映る。だがパティシエである母親に鍛えられた故の、迷いのない手際の良さと考えれば、自然、パティシエとしてのオーラのようなものを、纏って見えるのだから不思議である。
 だから、気付けばもう次の段階に進んでおり、はやてはただただ、感嘆の声を洩らすばかりだ。
 「おいしょ」と言う小さなかけ声でエプロンでボールを包んだなのはは、やはり慣れた手つきで、計量カップで粉砂糖八分の一カップを掬い上げると、手早く混ぜ込み始めていく。
「・・って、アンタが作ったんじゃ意味ないでしょーが!」
 そのあまりの手際のよさに、一心不乱に振るいをかけていた手を止め、思わず見とれていたアリサが、忘我の際から復帰。なのはに突っ込んだ。
「ありゃ! ・・てへへ〜ゴメンゴメン」
 いつものくせでつい。とか言いながら、ペロッと舌を出しておどけて見せるなのはである。
「も〜。ハイはやて、あとはアンタがやんのよ」
「ハイハイ。お奉行様の仰せのままに」
 鍋奉行よろしく、その場を仕切りだしたアリサに逆らうのは得策じゃない。はやては、なのはからボールを受け取ると、同じ要領で残った粉砂糖を八分の一カップづつ、柔らかくなったバターの中へと混ぜ込んでいった。
 そして粉砂糖が混ざりきると、
「たっまごーたっまごーたっまごっさん〜♪」
 そんな事を口ずさみながら、はやては卵を一個、片手で割ってボールの中に放り込んだ。そしてスプーンからゴムベラに得物を切り替えると、再度ボールの中身を混ぜ込んでいく。
「さっすがはやてちゃん。手際が良いね」
「やは〜なのはちゃんほどじゃないよ〜」
 ネリネリとはやてがボールの中身が音を立ててかき混ぜるその横で、
「なのは、薄力粉こんなもんでいいの?」
 鼻の頭を白くしたアリサが、振るいにかけた薄力粉の山をみせてきた。
「ん。いいんじゃない? じゃーはやてちゃんのに少しづつ混ぜちゃって。その後ココアパウダーも同じ要領で投入するように」
「オッケー」
 なんだかんだ言いつつ、結局なのはが現場指示を出す事になっていたりするのだが、もはや誰も気にした様子もない。
 餅は餅屋。心得のある喫茶店の娘の指示であれば、それが当然と思い込む心理が働いている所為もあるのだろう。だが何よりも、教導隊での実務に関わるうちに備わってきた貫禄が、無意識の内に周りにそうさせるのかもしれない。がしかし、十二歳の女の子が醸し出す貫禄とは、一体全体どういうものなのかは、甚だ疑問ではある。
 さて、はやてとアリサにココア味のクッキーを任せたなのはは、プレーン用のクッキーに使う小麦後を、今度は自ら振るいにかけ始めた。二人の作業が終わるまでに、この作業を終わらせる腹積もりである。
 しかし黙々と作業が継続されるはずがなんであろう。女三人集まれば『姦しい』という言葉通り、
「はやてちゃん。プレーンには何か入れる?」
「ん〜シナモン・・くるみ・・ナッツ?」
「あ〜どれも美味しいよねぇ」
「プレーンはプレーンで良いんじゃないの?」
「定番でココアとあわせて、市松とかマーブルでもええなぁ」
「動物・・は流石に子供っぽいか」
「それなら食紅混ぜて、桜の花びらってのもあるよ?
 見方によってはハートマークになっちゃうけど・・引かれちゃうよね? あはは」
 ウンウン。
 結局、『男のハートは胃袋の隣にあるんだから、手作りクッキー持参してそこを突くぞ大作戦(長!)』は、エプロン共同体による合作となったのである。
「ところで、はやて分ってる?
 これあんたが直接、相手に渡すのよ?」
「忘れとったのにぃ〜〜〜〜ッ!」
 頭を抱え込んだはやての声が、むなしく響き渡る月村邸のキッチンだった。

    ◇

「警戒待機中のか、各位に伝達。
 そ、捜索指定であるロストロギアの反応を、本艦のセンサーが、ほ、補足しました」
 緊張で途切れ途切れになるクリスの艦内放送が響き渡る。
 だがその知らせを一日千秋の思いで待っていた者達がいた。現在もニルヴァーナ艦内で任務に従事しているヴォルケンリッターの三名である。
 彼女達は、ニルヴァーナ艦内に設けられた専用の執務室で、思い思いの姿勢で待機していた。
「数は二。
 惑星表面、第一象限四七、三八、九九。
 第五象限一三、七二、八四です。
 き、急行願います」
 何故か執務室に敷かれている畳の上で、レバンティンを肩に立てかけ、座禅を組んでいたシグナムは、他の二人の視線が自分に注がれていることを肌で感じつつ、
「・・こちらシグナム。
 ヴォルケンリッター各位、報告を受諾した。
 私は第一象限で確認されたロストロギアの確保に。
 ヴィータは第五象限。ザフィーラは艦内にてバックアップ」
「り、了解しました。
 武装隊の援護要請はどうしますか?」
 クリスの問いに、一瞬、拒否を考えたシグナムだったが、
「おそらくゼーレを名乗る容疑者グループと接触する可能性が高い。封鎖結界維持のため、半径二十km以遠に配置を」
 現地では、十中八九、戦闘は回避できないだろう。ならば結界維持よりも戦闘に注力する必要性が高くなって当然だ。武装隊には申し訳ないが、後方支援に専念してもらおう。それに結界が破られなければ、こちらの勝ちは揺らがない。とシグナムは踏んだのだ。
「り、了解です」
 気をつけて。というクリスとシモーネの応答に感謝の返事を返しつつ、座禅を解いて立ち上がったシグナムは、
「さて、一両日中には、主がシャマルと共に戻られるはずだ。
 その時、無様な姿を晒さないよう、精進しよう」
 と、なんとも彼女らしい訓示を述べてみせた。
 だがしかし、何を今さら。という顔のヴィータと、獣モードでフイと顔を背けるザフィーラがいれば、沸々と怒りが込み上げ、握った拳が震えるのは当然である。
「貴様ら・・・」
「何、気負ってんだよリーダー。
 そんなことじゃ、連中に出し抜かれて、醜態晒す羽目になるんじゃねーの?」
「・・それをお前がいうのかっ」
「んだよザフィーラ! 言っちゃ悪ぃのかよ!」
 そんなやり取りが目の前で展開されると、現場に赴く前の緊張感も何もあったもんじゃない。とうな垂れたくなるシグナムである。
 だが、
 気負いすぎ・・というのも確かだったか。
 と、角を突き合わせている二人を見て、あらためて思い直す余裕が生まれるのもまた事実。
「もうそれぐらいでいいだろう二人とも」
 と、嘆息しつつ仲裁に入ったシグナムは、
「ザフィーラ。済まないが手はず通り、後詰めで申し訳ないがよろしく頼む」
「・・シャマルの二の轍を踏んで、我らが主を悲しませるわけにはいかないからな」
 任せておけ。と呟いた彼は、シャマルが置いていった抗体プログラムを額に載せると、先程までシグナムが座禅を組んでいた畳を陣取って、魔法陣を展開したのである。
「我は盾の守護獣。その名において、彼の者達を守る防壁とならん」
 呟きと共に抗体プログラムが霧散すると、ザフィーラが展開した魔法陣に吸い込まれて消えさった。すると今度は、その魔法陣からシグナムとヴィータに対して、幾何学模様の線が延びていく。それは、旧リインフォースを送り出した『別れの魔法』の時と同じ光景だった。しかし今度のそれは明らかに内容を異にするものである。
 シグナムとヴィータへと伸びる線は、二人の足元に、同じように展開した魔法陣と接触。直後、目まぐるしい明滅を繰り返し始めたのである。
《Ein Eibischpaste programm, Saphir, Verabredung》
 しかしすぐに明滅は止まり、代わりに二人のデバイスが、アンチウィルスプログラムとザフィーラのプログラム的接続を確認したと報告してきたのである。
 つまり、抗体プログラムの未完成部分を、ザフィーラの守護獣がもつ特性で補おうというのである。
 これほど力任せな方法は終ぞ見たことがない。
 その現場をもしエイミィが見ようものなら、そのような感想を洩らしただろう。
 だが今の彼女達には、この苦肉の策でしか、ゼーレによる『侵食』という絶対的脅威から身を守るほかなかったのである。
《Programm ist normal》
 再度デバイスの報告が上がると同時、二人の頬に、変化が現れた。
 ネイティブアメリカンの戦化粧のように、黄色と赤の二本の線が両の頬に刻み込まれたのだ。だがそれは、闇の書の防衛プログラムを髣髴させるものだったので、ヴィータなぞは、趣味悪ぃと呟やきもしたが・・・。
「では行ってくる」
「頼りにしてるぜ。ザフィーラ」
 魔法陣の中で、ピクリとも動かなくなったザフィーラを一人残し、シグナムとヴィータは執務室から表へ。そしてそれぞれの担当区域へと飛び立っていった。

    ◇

 ココアの生地とプレーンの生地が出来上がり、形押しして思い思いの形を整え、全ての準備が完了。
 あとは熱く熱したオーブンに放り込んで、焼き上がりを待つばかり。となった頃、
「がんばってる〜?」
 まるで春の柔らかな日差しを思わせる笑みをたたえた忍が、颯爽とキッチンに現れたのである。
「第一陣が今さっき焼きあがって、第二陣を放り込んだところで〜す」となのは。
「第三陣まであるから、あと三〜四十分ってとこ?」とオーブンのタイマーをいじりながらアリサが答えると、
「あそ。じゃー、ちょこっとはやてちゃん借りてくわねぇ」
 と言うが早いか、忍は魔法のようにはやてを否応もなく背負うと、焼きあがったクッキーには目もくれず、キッチンから退去していったのである。
 そのあまりの早業に、残された二人は「なんだったんだろう?」と、不思議そうに顔を見合わせるばかりだった。

 忍におぶさる形で拉致されたはやては、「どこに行くんです?」と忍に問いただした。
 が、当の忍は「い・い・と・こ・ろ」と答えるだけで、一向に要領を得ない。
 仕方なく、成り行きに任せるしかないか。と諦めた矢先、肩越しに忍の双丘に目を止めたはやてである。
 自称おっぱいはんたーを名乗る身の上としては、非常に興味をそそられる対象だ(そのうち「ひゅーほほほほ」とか笑い出さないか作者は非常に心配である!)。
 ちょこっとさわってみてもいいかしらん?
 などと邪なことを考えた矢先、忍が白亜の両開きのドアを潜り抜けたことにはやては気が付いた。
 北向きで大きく取られた明り取りの窓からは、冬晴れの青空の光が差し込み、廊下一面を薄青く浮かび上がらせていた。そしてその扉の取っ手は、菊の形を模した真鍮製で出来ており、そしてそれがひどく印象に残る。そんな作りの扉だった。
 それが忍の部屋のドアだと知ったのは、中で待つある人物に会った直後(ちなみにすずかの部屋のドアはチョコレートのような飴色のドア)だった。
「はい、おまたせー」
 ズンズンと何枚かある仕切りを分けて入った忍は、寝室のベッドの横にしつらえた、姿見と見間違うばかりの大きさの鏡台の前に腰掛ける女の子に声をかけた。
 サイドのアクセントを降ろした状態ではあったが、金色の髪質で、それが誰かはすぐに分かった。フェイトである。
 その彼女が、忍の声にゆっくりと振り返った。
 が、そこには見知った顔ではなく、能面のようなノッペリとした白い顔があったので、はやては思わずギョッとなった。が、よくよく見てみれば何の事はない。パックに包まれているだけのことだったので、「なんや」と胸を撫で下ろした。
 しかし当のフェイトはと言えば、
「・・ひどいです。忍さん」
 と消え入りそうな声で、友人の姉を非難してきたのだ。
 どうかした? と理由が分からない忍が問いただすと、
「パックした途端、私を一人にして、どこかにいっちゃったじゃないですか。
 ・・心細かったんですから・・・」
「あら、それはごめんなさい」
 パック系のスキンケアは、施行後、十分近く放置するのは周知の事実。その間に忍ははやてを拾うため中座したのだが、その間、その場に一人取り残されたフェイトは身動きがとれず、途方にくれるしかなかったのである。
 最前線では勇ましい戦闘風景を繰り広げる彼女であっても、実際には十二歳にもならない女の子である。十二畳はあるシンと静まり返る寝室に、ポツンと一人取り残されれば、心細くなって当然。しかし当の部屋の主は、長いことそこを使い込んでいるので、そういう感覚とは迂遠になっていたので気づかなかったのだ。
「ごめん。ごめんね〜フェイトちゃん。もう大丈夫だから。
 はやてちゃんも連れてきたから、もう平気よ」
「はやても?」
「ん。ここにおるよフェイトちゃん」
 パックでまともに目を開けられない彼女の隣に降ろされたはやては、そっと腕を伸ばして、その手をやさしく握り締めた。その手の感触にようやく安心したようで、フェイトはその手をゆっくり握り返すと大きく息を吐き出したのである。本当に心細かったらしい。
 しかし何でまたパックなんかしてるんやろ?
 はやては、疑問をそのままフェイトに尋ねてみた。
 ――この後昼二で、兄さ・・クロノと打ち合わせがあって・・・。
 思念通話で説明するところを見ると、忍には聞かせにくい内容なのだろうか? しかし人前ではまだ気恥ずかしいのか、義兄をファーストネームで呼ぶことがまだまだ多いフェイトである。そんな彼女の態度にクスッと笑みを一つ浮かべたはやては、先へと促すのだ。
 ――ほうほう。そんで?
 ――その事を話したら、じゃあちょっと悪戯してみない? って話になって・・・。
 ――ほうほう。ほんでほんで?
 ――少しお化粧してビックリさせようって・・・。
 ――なるほど。ほんでパックか〜。
 ――う、うん・・・。
「なんだ」
「なんだじゃないよ〜っ」
 突然声を上げた二人に、あれやこれやと化粧品の品定めをしていた忍は、どしたの? と目をパチクリさせる。それを視界に納めたはやては、なんでもないと頭を振ってみせた。
 ――てっきりエイミィさんと結託してなんか仕掛けるんだと思ったんよ。堪忍。カンニンな。
 ――む〜。・・でも仕掛けるって、例えばどんな?
 ――ん〜そやなぁ。あ、バリアジャケット昔のに戻して、視覚心理戦なんかどやろ?
 ――視覚心・・って、それ、色仕か・・ダメッ、絶対にダメ!
 お下がりのYシャツは普通に着こなすくせして、なんでそっちはダメなんやろう?
 と、ひどくもっともな感想を持つはやてだったが、あえて口にはしない。
 ――・・もしかしてはやて、夕べのこと、根に持ってない?
 ――ん〜ん〜〜。んなことないよ〜。フェイトちゃんのほのかな思いを代弁してあげただけや〜。
 ――・・ゼッタイ嘘だ。
 珍しくフェイトが拗ねたような口調で返答してきた(見ればパックの下で、可愛らしく口を尖らせているのが分かる)ので、はやてはそのフォローに入り、平謝りすることにした。
 夕べの一件で、どうやら自分は、押しの強いアリサに振り回される傾向にあると、自己分析したはやてだったが、打って変わってフェイト相手になると、逆転した応対をとってしまうらしい。
 なんやプライベートなフェイトちゃんは、ずぶ濡れのちっこいニャンコみたいで、構いたくなるんよねぇ・・って、ちょう待って! あたしは至って健全のはずや! 百合とかSとか、そんなんちゃう!
 などと、自分の新たな一面を確認したりして、戸惑い慌てふためくはやてであった。

 一方、そんな二人の声にならないやりとりは、魔導師の身の上ではない忍に分かるはずもない。だが手をつないだまま、二人がなにやら楽しそうな雰囲気を生み出していることぐらいは容易に分かる。
「なぁに〜? 二人してコソコソ内緒話?」
「や、別に忍さんのこと噂してたわけやないよ。な、フェイトちゃん?」
「え? うん。この後のこと、相談してたんです」
 ともすれば、取り繕ったような返答にも受け取れたが、忍はあえて取り合わない。代わりに、
「ふ〜ん。まあいいわ。
 それよりはやてちゃん、今日、デートなんですってね〜?」
 ニンマリとはやての鼻先で笑みを浮かべ、にじり寄ってくる。
 ここにも悪魔がおった・・・。
 瞬間、背筋に寒気のようなものを感じたはやてだったが、時既に遅く、逃げだそうにも出来ない状況にあると、遅まきながら理解した彼女は、
「その、何と申しましょうか、みんなにそそのかされたっていうか、たばかられたっていうか、そんな感じで・・・」
 歯切れの悪い返答をしてしまう。そんなはやてを見た忍は、なにやら得心顔になると、
「まんざらでもなしっ・・と」
 と、芸能レポーターよろしく、どこからか取り出したメモ帳に、何やら書き込んでみせたのだ。
 そんな彼女の行動に、思わず新喜劇のようなリアクションをとってしまったはやては、震える手を伸ばして、
「し、忍さん・・何メモってるんです?」
「何って、はやてちゃん観察日記。後でシグナムさんたちに報告してあげようかと思って」
「絶対に、やめてください!」
 そんな全部を言わせない勢いで、メモ帳を奪い取ろうと手を伸ばすはやてだったが、身長差を生かして頭上に掲げられてしまうとそれも適わない。だからといって諦める気も毛頭なく、ん〜! と必至な形相のはやてから視線をそらした忍は、悪いことしちゃったかな〜とかいう顔。そんな意味深な態度が物語ることは一つしかない。
「・・も、もしかして忍さん!」
「うんっ。夕べのうちにシャマルさんのケータイにメール入れちゃった」
 悪びれた風もなく、テヘッとか言いながら、小さく舌を出してみせる忍である。まさに鬼。まさに悪魔な所業である。
 そしてそれを聞いた瞬間、はやては、毎秒百m以上の勢いでマリアナ海溝に沈み込むように、がっくりと膝を突いてうな垂れたのである。そのあまりの沈みっぷりを気配で察したフェイトは、
「でも、まだ見られてないんじゃない?」
 と、救いの船を出してみせたのだ。それを聞くや否や、はやては瞬間的に立ち直ってみせた。そんな浮き沈みの激しいリアクションを取るために、皆の玩具にされていると、彼女が気づいているかどうかはともかく、
「せや! みんなはまだ向こうにおる! シャマルは・・っとっと・・・」
 定期検診でやむなく任務から離れているとは言え、任務継続中である彼女には、捜査内容の守秘義務はついて回る。そしてそれは、シャマルが待機状態のリインフォース内で、修復中であることも伏せねばならない、重要な機密事項でもあった。
 だから、
 あんな状態だからまだ見られてないはず!
 と、思わず口から滑りそうになった言葉を、なんとか飲み込んだはやてである。
 しかしそんな彼女の態度から、ある程度の意味を拾い上げる者がいた。だから一瞬、フェイトが怪訝な表情を浮かべたのを、目ざとく視野に納めたはやては、
 ――守秘義務に抵触するんよ。ごめんな・・・。
 と先手を打つように釘をさし、それ以上の追求を拒んだのである。
 そんなこんなで、なんとかデータ化されたシャマルの私物からケータイを探り当てたはやては、該当するメールを削除(証拠隠滅の方が意味合いが強い)すると、ようやく人心地ついたとでも言うように、大きくため息をついたのである
 そんな彼女を見て、
「そんなに大騒ぎすること?」
 と忍が首を傾げてみせるのだが、何悠長なことを! とばかりに、
「当たり前です〜!
 うちのみんなに知れたら、それこそ絶対キレた後に拗ねて、しばらく口聞いてくれへんようになるか、戸惑って前後不覚になりおるか、尾ひれつけて話を大きくすっか、四六時中ついて回るに決まってるんです〜〜〜!」
 火を見るより明らかですよ! と力説するはやての言葉通りの光景を想像したのか、フェイトがいきなりプッと吹き出した。はやてから顔を背け、押し殺した笑いを漏らし続けるが、やがては苦しそうにピクピク震えだす始末。
 ――フェイトちゃん笑いすぎ! シグナムに言いつけるで!
 ――・・・・ッ。ど、どうしてそういう・・ププ・・経緯になったのか・・ちゃ、ちゃんと説明しないと・・プ・・いけないよ・・・っ。
 そんな見た目にも苦しそうにしている珍しい友人の態度に、最初のうちはフグのように膨れてみせていたはやてだったが、最終的には自分も吹き出し笑い始めた。
「は、ははははは・・・。
 おっかしい〜。前後不覚のシグナム〜〜〜。
 普段が普段だけに、ククク、ギャップに苦しむ〜〜〜。
 あ、だめ、お腹痛なってきた〜〜〜」
「は、はやて。笑いすぎ・・ぷぷ・・・」
「フェイトちゃんかて〜」
 ちびっ子二人が楽しそうにしてるのは何よりなのだが、いつの間にか自分ひとり取り残された忍にしてみれば、少しばかり淋しい思いをするはめになったのである。

 ようやく笑いの潮も引き、落ち着きを取り戻した二人に、
「はーい。もういいかしらお姫様たち?」
「・・あ〜一ヶ月分は笑った気分や・・・」
「同じく、半年分は・・・」
 笑いすぎで横隔膜が痛むのか、二人とも苦しそうである。
 そんな二人を、やれやれという顔で眺めやり、まあちょうど良いかと考え直す忍であった。
 これが素面であれば、無理だの何だのゴネて、時間ばかりを消費する結果になってしまうだろう。
 だから忍は、まだしばらくパック継続中のフェイトは後回しにして、はやてに取りかかることに決めたのである。
 急にズイッと顔を近づけてきた忍に、思わず目をしばかせたはやては、彼女が手にするヘアバンドに、化粧用のコットンを目に留めるや、
「も、もしかして忍さん・・私にもお化粧を・・・?」
「いまさら何言ってんの。もちろんに決まってるでしょ。
 初デートよ? 初デート! 絶対思い出に残るような物にしてあげるからね!
 お化粧ももちろん、服の方もバッチリコーディネートしてあげるわ」
 そう言って忍が右手の指を鳴らすと、今の今までどこにいたのか、ノエルが音もなく現れたかと思うと、何着もの洋服がつるされた洋服ハンガーを、キャスターの音も軽やかに、付き従えて入ってきたのである。
「すずかが袖も通さないでクローゼットに仕舞いこんでたものよ」
 忍の言葉通りなら、そこに掛けられている洋服類は、すずかの趣味に合わないものと捉えることが出来る。
 しかし、そこに掛けられているものの大半は、フリフリな服で有名な某アパレル製品は言うに及ばず、白黒が基調であるゴスロリ服だったり、シックで流行に左右されない外国ブランドと、女の子を可愛く装うおおよその洋服から帽子からと、そこにはひしめき合っていたのである。趣味に合う会わないではない絢爛豪華なその光景に、思わず感嘆の声を漏らすはやてだったが、
「・・え、あ、無理! 無理ですって!
 こういう服は着る人選ぶから、私には似合わないですよ!」
 体の前で手をブンブン振って、無理と似合わないを連呼してみせるのだが、もちろんそんな言葉など聞く耳持たない忍は、あっという間に彼女の頭にヘアバンドを通すや、すぐさま引き上げて額を露に。そして手に取ったコットンにクレンジングオイルを染み込ませると、手早く額のTゾーンを拭っていくのだ。
 その手際の良さに観念したはやては、
 フェイトちゃんもこんな感じでパックされたんやろなぁ。
 と漠然とした感想抱かずにはいられなかった。
 そして、カチャカチャと化粧品のビン類が立てる音に興味を覚え、薄目で観察するも、すぐさま化粧水を染み込ませたコットンで、やわらかく顔中を撫でられると、それすらもできなくなり、大人しくジッとしていることしか出来なくなる。
「むむ。流石に若いだけあって、すごいわね。
 化粧水で軽くぬぐっただけなのに、他は必要ないじゃない」
 という忍の感嘆の声が耳に響いてくるが、
「そ、そうでっか・・・」
 神妙な受け答えしか出来ないはやてである。
 しかしそんな神妙に構える彼女の肩に、二の腕にと、フニフニと柔らかいものが、時折、当たったり、乗っかってきたりするのである。直感的にその正体を悟った彼女が、いてもたってもいられなくなるのは当然のこと。それに、先程は機会を逸したが、今こそそこに手を伸ばずして、一体いつ伸ばそうというのか!
 意を決したはやては、
「忍さんのここだって、プニプニどころかホワンホワ〜ンじゃないですか〜」
 と、即座に行動を開始。背中に手を廻す形で抱きついた彼女は、そのまま谷間に顔を埋め、顔をグリグリ動かしてみせたのである。
「ム〜。シグナムやシャマルとはまた違った、エエ感じやね〜」
 そんな彼女の行動に不意を付かれた忍は、小さく悲鳴を上げてうろたえる。
「ちょ・・ヤダ、放してよはやてちゃん! くすぐった・・ウン!」
「や〜です〜。ただでおもちゃにはなりませんよ〜」
「ちょ、わ、コラ! そんなに動くとブラが・・って、ちょっとはやてちゃ〜ん!」
「あ〜・・・。はやてのおやじモードが発動しちゃってる・・・」
 パックを終え、ツルツル卵肌の状態をノエルに確認してもらっていたフェイトが、しょうがないなという顔つきで、二人から『安全距離』を置いて眺めつつも存外失礼なことをのたまうのだが、はやてはあえてそれを無視した。
 他人になんと言われようが、自分にとっては正に至福の時。雑音に耳を貸すのだってもったいないというわけである。
 やがて十分に堪能したのか(妙に顔が艶々してるのは、なにも先ほどの化粧水の成果ばかりではない)、忍のそれを解放したはやては、
「忍さんのおっぱいはB+やね〜」
 などとランク付けを発表したのである。しかし以外や以外。その評価少しばかり辛めである。
「ビ、B+〜? ちょっと厳しくない?」
 胸元を抑え、油断ならないわねこの子は! という顔つきの忍は、はやての評価に抗議する。気分は誤審した審判に食って掛かる野球の監督のそれである。
 が、はやてはそんな抗議もどこ吹く風。
「えっへへ〜。
 昨日、プールでも見させてもらいましたけど、忍さんめっちゃカッコイイですやん〜。大っきさとか形とか。
 D・・いやいやEの八五ぐらい?」
 他が細いから相対的に巨乳やねんね。などと、本当にどこぞのセクハラオヤジ顔負けな批評をしてみせたのである。その批評が当たらずも遠からじな内容であったため、思わず身をよじって隠したりなんかする忍だ。
 しかしそんな彼女の態度なぞお構いなしに、はやてのおっぱい談義は尚も続く。
「でもやっぱりリンディー提督には適いません! あれこそA評価です!」
 と、髭の小男のようなポーズで語るはやてに、それを聞いたフェイト思わず目を点にする。
「はやて・・義母さんにもそれ・・やったの・・・?」
「うん、やったよー。喜んで触らしてくれたで。
 当然エイミィさんもやったろ。あとシモーネ提督にクリスに・・・」
 指折り数えるはやてに呆れつつ、フェイトは「そうなんだ・・・」と脱力しきり。しかし朗らかな笑みと共に、はやてに抱きつかれる義母の光景を容易に想像できたりなんかして、ちょっと眩暈を思えずにはいられない彼女だった。
 しかしはやての評価に納得いかない忍は、
「なんでフェイトちゃんのお義母さまはAなのよ〜。基準を教えてよ基準を!」
 腰に手を当てたりなんかして、お姉さんは納得いきませんと態度で抗議。
 が、返ってきた答えには絶句するしかなかったのである。
「ん〜。やっぱ『お母さん』だからじゃないんかな〜」
 と、はやては小首をかしげてみせるが、忍にしてみれば、それはある意味、超えられない壁宣言であった。
「お、お母さんって・・・」
「うん。やっぱり『お母さんのおっぱい』は最高ってことやね」
 流石、幼少のころに天涯孤独となった彼女の言葉には重みがある(あるのか?)。
「・・っていうか・・・」
 それじゃ子供作んなきゃ評価上がんないじゃん!
 とは声を大にして言えるはずもなく、複雑な表情を浮かべる忍である。が、不意にその過程を想像したのか、顔を赤くした忍は、ワタワタとその妄想を打ち消すように手を大きく振り回して、なんとも慌しいかぎり。
 そんな彼女達のやり取りを、静かな微笑をたたえたノエルが、踵を合わせ、兆膳とたたずみながら見つめているのだった。


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