魔法少女リリカルなのはA's VerH −宵闇の小夜曲−



   −5. 非傾動(ケイドウニアラズ)−

 Emergency! Emergency! Emergency!
 それは緊急事態を知らせる警報だ。
 Emergency! Emergency! Emergency!
 緊急事態を知らせる警報が、ニルヴァーナ艦内の所狭しと響き渡る。艦にとっての一大事を知らせるものであるから、艦内にいる人間全てに注意を喚起させて当然。いやでも耳に響いてたまらない。
「どうしたの? いったい何があったんです?」
 緊急事態を知らせる警報が鳴り響く中、艦を預かるシモーネが、ゲストブースから飛び出してきた。しかし、一時的に艦の管理を任されたクリスは、目に一杯の涙を浮かべて泣きじゃくるばかりで要領を得なかった。
 そこへ艦の操船指揮権を持つ別のオペレーター(ちなみにクリスは、情報統括主任の権限を有している)であるセイン・カーペンターが、シモーネに向かって声を張り上げ、事態の内容を報告してきた。
「艦長! 現在、この艦は何者かに捕捉されています!」
 その内容に、シモーネは目を丸くする。
「砲撃ですって? そんな馬鹿な話がありますか! 管理局の所属艦に問答無用で砲雷撃戦を挑むような連中が、早々いるわけがないじゃないですか!」
「ですが事実で・・高エネルギー反応! 魔力砲撃弾! 本艦右舷二時の方向・・なにっ? 左舷十一時の方向からもきます! 着弾まで・・あと十秒!」
「全艦に通達! 対ショック態勢!
 物理、魔力防御シールド展開! 最優先!」
 シモーネの命令一下、ブリッジは俄かに騒がしくなった。文字通り、蜂の巣をつついたような有様だ。
 犯罪シンジケートが所有する艦船(違法改造を施された武装船)との戦闘行動は、何も珍しい出来事ではない。だが、ニルヴァーナは進水してまだ半年という新造艦だ。クルーの中には、初めての実戦に臨む者も決して少なくはなかったのだ。
 だから、いやにもましてニルヴァーナブリッジは、針の莚のような緊張感に包まれることになった。が、その指揮官であるシモーネは、親指の爪先を噛みながら全く別の事を考えていた。予告なしで撃ってきた相手のことである。
 いったい誰が。何の目的で? ゼーレの支援グループ? いや、でもまさか・・・?
 管理局そのものを敵視する組織は穿いて捨てるほどあるが、それに加えて、シモーネ個人への怨恨の可能性も当然ある(『静かなる微笑のアイアンメイデン』の通り名は伊達ではないのだ)。あれこれと考えを巡らせれば巡らせるだけ、数え上げれば切りが無いほどに、深みにはまってしまう。これはそういった類の問題だった。
「シールド展開、間に合いません!
 直撃! きます!」
 セインの悲鳴のような声と共に、シモーネは我に返った。と同時、ニルヴァーナは二箇所からの長距離砲撃の直撃を受け、その艦体を激しく揺すられることとなった。
 コンマ何秒かのズレをもって着弾したそれは、艦体をまるで直下型地震のように縦に横にと激しく振動させ、立っている者はもちろん、イスに座っている者さえも投げ飛ばし、床や壁面に容赦なく叩きつけた。
 そこかしこから短い悲鳴が上がるも、それも一瞬。艦体の揺れ。そしてそれに伴う歪みから生まれる、不快極まる軋む音が徐々に小さくなって消えていった後、ブリッジは束の間の静寂に包まれた。そしてそんな静寂を破って聞こえてくるのは、苦しげなうめき声や、恐怖によるすすり泣きだ。
 もちろんシモーネとて例外ではない。
「う・・・」
 揺れにあおられ、艦長席横のコンソール側面に頭をぶつけてしまった彼女だったが、幸いにも目がくらむ程度の打ち身で済んだようだ。頭を振り、出血や、腕や足に異常がない事を確かめると、毅然とした態度で現状把握に乗り出し始めたのである。
「みんなさん無事ですか? 怪我をした人は素直に申告してください。周りの人は手分けして緊急医療手順に従って初期対応をお願いします。
 セイン、シンシア。各セクションからの被害報告、急いで集めてもらえる?」
 同じようにして、身の安全を確かめているセインと、その補佐役であるシンシア・ウェイバーに指示を出す。
「「り、了解!」」
 事は緊急を要する。彼らは異口同音に返答すると、すぐに艦内のダメージコントロールに没頭していった。
 そんな彼らを横目に、シモーネは他のクルーの安否確認に加わった。幸いにも足首を捻って捻挫したという軽症者が一名いるのみで、ブリッジの機能はほぼ百%無傷であることが分かった。
 その一方で、腰を打ったらしく少しばかり苦悶の表情を浮かべて転がっている御仁がいたのだが、彼女はそれを露骨に無視して艦長の職務に従事することを決めたようだった。
 そんなあんまりな態度に、思わずのの字を書いてしょぼくれたい衝動に駆られたアンベールであったが、とりあえずそんなホロ苦くも切ない思いは、胸の奥底に追いやることにして、痛む腰を鞭打ち、ヒーコラヨイショとクリスのオペレータ席へと歩み寄った。
「嬢ちゃん。一体何があったんだ? 泣いてないで知ってる事を教えてくれ。
 それと八神は、今どうしてる?」
 と、問いただしたのである。 シモーネと共にゲストブースから飛び出したアンベールは、その時点で泣き出している彼女の姿を捉えていたのだ。彼女の性格は少なからず分っているつもりの彼である。はやての身に何かが起こったのだ。そしてその不足の自体に対処できなかった彼女は、泣き出してしまったのだろう。さらに言えば、彼女はニルヴァーナを襲った砲撃の主も知っているに違いない。そしてそれは恐らく・・・。
 この時ばかりは、彼は自分の第六感が外れてほしいと思ったものだ。
 だが、現実はあまりに無情だった。
 泣きぐずり、一時的に自身が受け持っていた業務(艦内各所から上がってくる損害報告や、要救護者の状況報告に対する関係セクションへの指示伝達)を放棄していた彼女は、両の手のひらで涙をぬぐい続けていたが、やがて彼女は自分が知る事の一部始終を、眼前に浮かべたモニターを使って、たどたどしい口調で説明しだしたのである。
「艦長とアンベール捜査官が・・ひっく、ゲストブースに移られた直後の映像です。
 識別コードHUS、HUV、共に容疑者グループの無力化に成功。これを・・ひっく、確保しようとしているところです・・・」
 ノイズ交じりに映し出された映像には、ユニゾンシグナムとユニゾンヴィータが、互いの相手に肉薄する姿が映し出されていた。しかし次の瞬間、二人は石像のように動きを止め、ピクリとも動かなくなった。
「この瞬間、モニターが・・ひっくひっく、フリーズ、およびはやてさんのバイタルリンクなど、直通回線もダウン・・っく、したんです」
 見ていられないのか、クリスは目をギュッとつぶり、大粒の涙を浮かべてみせた。
「・・そして回線が回復したのと同時に・・・」
「なんだよ、こりゃ・・・?」
 アンベールが絶句しながら見つめるその映像には、ユニゾンシグナムとユニゾンヴィータの手にしていた剣十字が武装解除したように、はやてが普段もつ杖の状態に切り替わっっていく。そればかりか、二人の顔の大半を覆い隠すように、Yの字の形をしたマスクが覆い被さっていく様が映し出されていたのだ。
 なんだこれは? いよいよもって、学芸会じみてきたじゃねーか。
 痛む腰を手で軽く叩きながら小さく毒づいたアンベールは、映像の端に映る艦内時間を一瞥した。
「・・艦がロックオンされる十五秒前・・か。・・距離的に考えても・・・」
 まさに彼の頭の中で、最悪のシナリオが書き綴られていく瞬間だった。
 そしてそれを裏付けるような報告が、シンシアから上がってきたのである。
「砲撃元の位置特定できました!
 一つは、第一象限四七、三八、九九! もう一つは第五象限一三、七二、八四・・って、あれ、これって・・・?」
「八神達が出張ってる場所と同じなんだろ? つまりは・・そういうこった。
 最悪の事態だ!」
 嘘であってほしかったんだがな・・・。賭に負けたか。
 アンベールが苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。ついで、掻き毟る様にガシガシと頭を掻いてまわる。
「どういうことです。アンベール捜査官?」
 彼の背後から声がかけられた。クリスとのやり取りは見ていたはずだが、信じられないという声色を浮かべつつ、シモーネが毅然とした態度でアンベールに問い質してきた。今さっきまでアンベールがそうだったように、彼女もまた、嘘だと言ってもらいたかったのかもしれない。
 しかしシモーネの目の前の男は、徹底的に現実主義者だった。
 どういうも何も。と前置いて、
「言ったとおり、最悪の事態って事だよ。
 八神が管理者権限使って、手下どもから一切合財、コントロールを奪ったんだ。
 その上で、こっちに向けて砲撃魔法をぶっ放してきたんだ・・・」
「そんな・・・!」
 シモーネの表情が、みるみる蒼白になっていくのがわかる。そんな彼女に、惚れた相手に向かって、その事実を突きつけるのは心が痛む。痛んで痛んで仕方がなかったが、敢えて彼は心を鬼にして、
「頭のネジが一本飛んで、キ印になったってんならまだ可愛げがあるがな。
 ・・八神は、連中に寝返ったんだよ・・・」
 ボソリと呟くように、だがしっかりと、そして突き放すように、アンベールはその一言を口にしたのである。
「そんなバカなことが!」
 あるわけがない! シモーネは言外に強く主張してみせた。
 アンベールは、なんでも卒なくこなしてみせるはやてを目の敵にして、難癖をつけることが多かった。だからはやてをして『うるさ型のイヤミ親父』と揶揄されることが多かったのだが、それが自分を一人前に仕立て上げようとする彼なりの親心であると知っていたからこそ、はやてはアンベールを師事したのだ。
 だが今の彼の言葉は、そうして培ってきた信頼関係を容易に覆すだったのだ。
 だからシモーネは気色ばんだのだ。
 そんな怒り心頭の彼女の心中を知ってか知らずか、アンベールはうるさ型として、彼女を批判し続けたのだ。
「大方、出身世界に戻ってる最中に、連中の一味と接触して絆された・・ってところなんだろうけど。あの八神がそんなタマだとは思えんのだがね・・・。
 〜〜〜〜〜ッ! これだから若い娘っ子は!」
 ケッと唾棄するような舌打ちをしてみせたアンベールは、本当に分けが判らんと言いたげな顔をして、ガリガリと頭を掻き毟り続けてみせた。
 しかしさすがはこの道三十年余というベテランらしい山勘である。当たらずとも遠からじ、中々に的を得た推察だった。
 だが彼は、はやての事をもう少し理解した方が良かったのかもしれない。たかだか一回や二回の接触で心を奪われるような娘であったなら、当の昔に闇の書に取り込まれ、この世に存在していないだろう。
 そして、ニルヴァーナブリッジの主要メンバーから、どれほど愛されていたのかをだ。
「・・アンベール捜査官・・・」
 ポツリと小さく呟かれ、ともすれば聞き逃したかもしれないシモーネの呟きを耳にしたアンベールは、ギクリとその身を強張らせたものだ。ゆっくりと振り向くと、そこには般若の面を被ったシモーネがいたからである。
 彼女から立ち上る殺気は背後の風景を歪めて陽炎の如く、そしてその中で揺らめく眼光は、一睨みで魂を昇天させるほどの禍々しさを発していたのである。
 まさか自分の発言がそこまで彼女を怒り心頭にさせるとは思っても見なかったアンベールは、長年培ってきた自制心を総動員して、退くことこそしなかったものの、内心タジタジ、額をブリッジの床に擦り付けるほどに平謝りしたい心境に駆られたのは、言うまでもない。
「・・・・・・・」
 そんな彼女が何事かを呟いた。が、それはあまりに小さかったので、アンベール自身も聞き取ることが出来なかった。だから、
「・・シモーネ・・提督・・・?」
 射すくめるような眼光を今だ湛えるシモーネに話しかけることは、寿命を一年ばかり切り売りしなければならない気がして仕方なかったが、アンベールはにじり寄るように、おっかなびっくり近寄った。そしてその努力の甲斐あって、今度はしっかりとその内容を聞き取ることに成功したのである。が、
「クリス! 艦内スキャン!」
 鼓膜を破らんばかりの声量を、耳元で発せられては成功も何もあったものではない。
 思わず耳鳴りのする片方の耳を押さえて仰け反ったアンベールを一瞥もせず、シモーネは今度は穏やかな声で、クリスに再度命令を出してみせた。アンベールに八つ当たりすることで、一応の平静を取り戻したらしい。
「クリス、艦内スキャンを」
「は、はい・・あの、何を・・探すんです・・か・・スン」
「ザフィーラさんの現在位置です」
 その一言は、クリスの肝を冷やし、次いで鳥肌を立たせるのに十分な威力を有していた。そして彼女はカタカタと手を震わせながら、シモーネの姿を振り返って視野に入れたのである。
 そこにはいつもと代わらぬ、艦長の姿があった。
 だがしかし、きつくきつく引き結んだ唇と、固く固く握り締める拳を震わせ、どうか自分の判断が間違いであるようにと祈って止まない、『母親』の姿もまた、そこにはあったのである。
 もちろんクリスも、嘘であってほしいと願う者の一人だ。だから壱も弐もなく、その命令を実行しようとコンソールに向き直ったのである。
 だが、その直後。
 彼女たちの儚い願いは、ガラス細工のように粉々に打ち砕かれてしまったのである。
 ニルヴァーナの艦体がわずかに揺れたのだ。先程の艦外からの砲撃とは明らかに異なる振動で。そして間髪いれず、火災発生を知らせる耳障りな非常ベルの音が、艦内中に鳴り響いたのである。
 アンベールがそれを聞くなり「遅かったか!」と舌打ちをしたのだが、シモーネとクリスの耳にそれは届いていなかった。ただただ、ビーッビーッと鳴り響く非常ベルの音だけしか聞こえなかったのである。
 だがそうこうしている間にも、火災の詳細を知らせる第一報がブリッジに飛び込み、シンシアの手によってそれは処理された。
「艦内第二八ブロックにて火災の発生を確認! ただし、先の砲撃と関連性は認められません!
 ブリッジより全クルーへ。手の空いている者は消化班を編成して、消化活動に当たって下さい!」
 シンシアが、二人の様子に気づいた風もなく指示を出す。しかしその顔が不意に怪訝なモノへととって変わったのだ。彼女も気がついたのである。そこが普段、火の気がないところだと言うことを。
 なぜならそこは、
「ロストロギアを保管してあった、隔離ブロックがあるんだろ?」
 怪訝に歪む彼女の内心を代弁してみせたのは、汚れ役大絶賛請負中のアンベールだ。
 だがその呟きは、彼女へ向けたものではない。そしてそれを向けられた本人達は、油の切れたカラクリ時計でももう少しまともな動きを見せるぞ。と言えるほどに、酷く緩慢な動作で彼を見つめてきたのである。
 そんな彼女達を見るのだって、相当に労力を有したのだろうが、
「・・認める気になったか?」
 と、彼は更に追い討ちの言葉を投げかけたのである。
「八神は裏切った。そしてゼーレと名乗る犯罪グループと結託。本艦に保管していたロストロギアの奪取を策謀。そしてそれは現在も遂行途中にある・・・。
 それが今起こっている現実のすべてだ!」
「・・ですが・・・」
 シモーネはまだ信じたくないという小さな願望を口にした。が、それを翻したのもまた、現実の容赦ない報告の数々だった。
「砲撃によるダメージコントロール終了!
 当被害による被災者は重傷者三名、軽症者十一名。本艦の被害は右舷装甲盤、被害率八%。深度レベル一。作戦行動に支障ありません」
「第二八ブロックにて発生した火災の続報です! 第二六〜二九ブロックにて、火災によるガスの発生を確認! 付近にいたクルーが軽い中毒症状を起こしている模様!
 現場に急行中の武装隊員他二十名にF型装備の携行を指示します!」
 砲撃と火災による被害者が出たというそれらの報告は、艦を預かる者にとって一番忌避すべき問題である。これらを取りまとめ、如何に艦の運用効率を百%に近い状態に引き戻せるかが、艦長たる者の勤めである。それが出来ないようでは艦長どころか、提督の権限すら剥奪されかねない。
「・・艦長・・・」
 その心中を慮ってか、クリスが声をかけてきた。が、キッと顔を上げたシモーネの顔に、最早迷いはなかった。
「クリス。全艦に通達。第二八ブロックにつながる隔壁を緊急閉鎖! 消火活動に参加中の武装隊員以外のクルーを呼び戻して。大至急!」
 それは、火元の第二八ブロックにまだいるであろう『実行犯』を一端閉じ込めた後、意図したブロックへ誘き出そうという腹積もり故の指示だった。
 しかしいきなりの隔壁閉鎖要求である。まかり間違えば一酸化炭素などの有毒ガスによる被害者の発生。バックドラフトなどといった延焼被害による二次、三次災害の可能性も考慮に入れなければならない。閉鎖空間でもある艦体故に、憂慮すべき問題でもあったのだ。
 だが、今の彼女に迷いの色はなかった。この艦を港に無事戻すことを第一に考え、一人でも多くのクルーを連れて、無事帰ることを優先するために、彼女は動き出していた。
「アンベール捜査官。現場の指揮をお願いできますか?」
 最早そこに、先程まであった怒髪天を衝いた母親の姿はない。私情を一切挟まない、冷徹な公人、指揮官としての姿があるのみだ。そしてそんな彼女の覚悟を察したアンベールは、その申し出を諒解してみせたのである。
「・・だがまともに動ける武装隊員は、今どれくらいいるんだ? それによっちゃ満足な働きは期待しないでくれよ?」
 二つの現場において、封鎖結界の維持に駆り出されていた武装隊の隊員たちは、あまりの長丁場に及ぶ結界維持活動に、ほとんどの者が体力と魔力の限界を訴えていた。アンベールは、その事を指摘しているのだ。
「俺らがそんなに頼りないタマに見えるとは心外ってもんですぜ。アンベールの旦那」
 まるでそのタイミングを計っていたかのように、ブリッジに通信用モニターが現れ、F型装備である耐熱服とガスマスクを小脇に抱えた一人の男が、不敵な笑みと共に胸を叩く様が映し出された。
 誰あろう、武装隊きっての熱血漢、ディーグ・オレインである。
 それを認めたシモーネが、気遣いの言葉を投げかける。
「オレインさん! あなたが一番消耗が激しいと報告を受けていますよ。現場は他の方に任せて・・・」
「なぁ〜に、それならそれでやれる事はいくらでもあるんですよ艦長。
 心配は御無用です」
 ですがと、オレインに気遣いの言葉を呟くシモーネを見て、アンベールが何を思ったかなんて言うまでもないだろう。
(ずるいぞ貴様! そんな姑息な手段でポイント稼ごうってのか!)
(い・け・ま・せ・ん・か〜?)
(・・こんクソガキャ〜〜〜〜ッ!)
 二人とも任務中だっていうことを忘れるぐらいに、ヒートアップしたアイコンタクトによる舌戦を展開していたのである。(おまえら一体、歳幾つよ!)
「よしわかった! その心意気しかと受けたぞ! 俺が行くまで、その場で現状を維持しててくれ! 頼むぞオレイン!」
「了解。お待ちしてますぜ、旦那」
 ニッと笑ってオレインは通信をきった。シモーネに二の句は告げさせない手際の良さである。だから彼女は「しようのない人だ」という溜息をついたのだが、対抗心を燃やしているアンベールの視界にそんな彼女は映らない。
 そう。何を隠そう武装隊A班班長ディーグ・オレインもまた、シモーネにほの字であり、アンベールとは熾烈なライバル関係にあったのである。
 だから通信を切った二人は、その心中で相手の事を罵っていたのだ。
(アンベールのスケベ爺め。いい加減、艦長諦めて盆栽でも弄ってろっつーの!)
(オレインのハナタレ小僧め! 大人しく地上勤務に納まって、ヒヨッ子共の相手でもしてればいいんだ!)
 この体たらくである。
 しかしそんな二人の思い人はといえば、
「クリス。はやてさんのモニタリングが回復出来ないか、探ってもらえる?
 名誉挽回。いいわね?」
 はやての一連の行動の一部始終を見届けながら、何も出来なかったクリスに対して、フォローの機会を与えることに余念がなかったのである。
「さ、さーて、いっちょ張り切っていきますかァ」
 よって、アンベールはものすごく不自然なアピールをしつつ、まだ痛む腰に鞭打って、オレインが待つ現場へと駆け出していくことになったのである。

   ◇

 少女は空虚な暗闇の世界の中心で、悲鳴を上げ、嗚咽を漏らしていた。
 イヤイヤをするように頭を動かそうとも、ガッチリ固められたような両腕をどんなに振り解こうともがいても、それは彼女の心の中に構築された闇の世界での出来事で、実際には、自分の指先一つ、ピクリとも動かせないでいたのである。
 自由になるのは視覚と聴覚、そして触覚だけ。
 それは取りも直さず、見たくもない、聞きたくもない、そして最も嫌悪するような感触を伝えてくる事になる。
 だから彼女は悲鳴を上げた。嗚咽を漏らして、その事実を否定するのだ。そこで繰り広げられる惨劇から目を背けるために。
(やめてーっ! やめてやぁぁ。こんなん、こんなんしたくないーっ!)
 だがそれでも、ムカデのような節足動物が背筋を這い上がってくるようなおぞましい感覚は、絶えず彼女の心に爪を立て、引っ掻いてまわるのだ。
(やめてぇぇ・・お願い、お願いだから・・みんな、やめてぇぇぇっ)
 彼女の、はやての心は、いつ果てるとも知れない拷問の如き責め苦に苛まれ、ボロのように傷つけられていくのだった。

 傷つけられたのは、はやてばかりではない。
 管理者権限によって自由を剥奪されたヴォルケンリッターの面々も同様だった。
 どんなに、どんなにどんなに強く望もうとも、彼女達の主は返事を返してこなかったのだ。ただ、「放て!」「叩きのめせ!」と強く命令を発してくるだけ。
 それ以外は、一切を拒み、耳を傾けてくれないのだ。
 それは、嘗ての闇の書の主達がそうであったように、彼女達を道具としてのみ扱う、冷徹な心の持ち主の所業であった。
(やめて! やめてくれよ、はやてーっ! お願い! お願いだからやめさせてーっ!)
 構えた剣十字の杖の先、膨大な魔力が、複雑で難解な術式の元に収束し、誘導加速されていくのが手に取るように分かる。
(主! 主はやて! 何故です! 何故このようなことを! 主ィ!)
 睨んだその視線の先、管理局の艦の姿を捉えることが出来る。誤差は砲撃プログラムが自動で行ってくれる。後は一つ念じればいい。ただ「射よ!」と。
(主よ。このような事をされても、何も得られないことはお分かりのはず! 何故!)
 握り締めた拳が、何度も何度も隔壁に打ち込まれ、打突痕を穿ってまわる。穿つと同時に生じた亀裂へ魔力の奔流を流し込めば、圧縮された魔力が火炎を伴って爆発するだろう。
 全てはその隔壁の向こうにある、不気味な光を放つロストロギアを手に入れんがため。
 しかし彼女らヴォルケンリッターにとって、それは意に沿わぬ命令。だが、そんな彼女らの意志とは無関係に、それは下されたのだ。
「撃て!」「墜とせ!」「貫け!」と。
 彼女達はもちろん抗った。そんなことをすれば、やっと手にすることが出来た安住の地を、自らの手で焼き払うことになるからだ。如何に主に付き従っていくと決めたとはいえ、それはあまりにも酷い仕打ちではないか!
(いやだ! 絶対やんねーぞ!)
(承服しかねます!)
(主よ!)
 彼女たちの悲痛な思いは、だが主たるはやてに届ない。ただただ空しく響くのみ。
 そしてそんな彼女たちを嘲笑うかのように、冷酷な命令が返ってくるのだ。


 ただ一言、「やれ!」と。



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