魔法少女リリカルなのはA's VerH −宵闇の小夜曲−



 そんな、自由を奪われ、操られるがままに命令を下す主と、それに抗う術を持たない哀れな従者たち。あまりに惨めで、恐ろしく滑稽な悲愴劇。
 それを嘲りの視線で眺め、声高らかに笑うのは、蛇の如き魔性の女。ゼーレのゼラフィリス。彼女であった。
「踊れ踊れ、惨めに哀れに。そして潰しあうがいいさ。
 ックククク・・・。
 行き着く果ては、死さえ極楽に思える無限地獄さね!
 ははは、アーッハッハッハ・・・」
 ネイプドアンカーの第三形態(環状に変形させ、絃を張り竪琴としている)を手にしたゼラフィリスは、ひとしきり笑った後、尚も喉を鳴らすような笑いを漏らしつつ、竪琴の絃を一本、爪弾いた。

 ピィィィィィィンンンン・・・・・・。

 辺りに竪琴らしくない、高く、そして澄んだ硬質的な音が響き渡る。
 そしてそれを合図にして、深紅の髪の戦鬼が、顔を覆うY字型のマスクの下に何も感じさせない無表情を隠して、宙天目指して上昇し始めたのだ。
「小娘、小娘よ。うまく上手に踊っておくれ。
 赤い靴を履いて、華麗なステップ踏んで、血を撒き散らしながら、死ぬまで踊りまくるんだよ〜」
 そして彼女は辺り憚らず、声の限りを尽くして、笑い声を張り上げるのだった。

「よもや、これほどの威力とは・・・」
 自己修復機能をフル回転させているトライホーンのコアユニットを小脇に抱え、ゼムゼロスは感嘆の吐息とともに独白した。
 彼の目の前には、つい先程、自身を窮地に追い込んだ純白の鎧を纏う騎士の姿がある。しかし彼女は今、黒曜石を削りだしたような鈍い光を放つY字型のマスクを被り、超然と佇んでいるだけ。手にする剣十字の杖を、彼に向けるような素振りさえ一切見せはしない。
 ゼムゼロスが驚嘆したのは、その不気味さではない。
 今さっき、時空管理局の所属艦に向けて放った超長距離砲撃魔法の威力についてだ。この騎士の主は自由を奪れたばかりで、騎士の力を十全と引き出せてはいなかったものの、それでも管理局の艦に多かれ少なかれの損害を与えたのだ。
 仮に同じ魔法を、至近で被弾すれば、跡形残らず消し飛んでしまったかもしれない。
 しかしこれでは、どちらが戦闘用に特化された存在なのかわからないない・・・。
 己の存在意義を否定しうる存在を目の前にして、ゼムゼロスは苦々しいものを感じずにはいられなかった。
――ゼム、何をボーっとしてるんだい? さっさとこっちと合流しておくれ。
 そんな彼の元に、ゼラフィリスからの思念通話が繋がる。その口調には、人を陥れるのが楽しくて仕方ないと言わんばかりの、愉悦に浸るものがありありと浮かんでいた。そんな彼女の嗜好は、理解しがたいものであったが、頼りになる相方であることには代わりがない。
――すまん。トライホーンの修復が思いの外かかりそうでな。すぐに追いつく。・・言っておくが、独断専行はするなよ。
――相変わらず心配性だねぇ。大丈夫だよ、そんな事しやしないさ。何より、ゼロのためじゃないか。
――そうだ。それを忘れなければそれでいい。我らはゼロのためにあるのだからな。
――分ってるよ。・・でも、あんたが遅れれば遅れるほど、好き勝手やっちゃうかもしれないけどねぇ?
 案の定、嗜虐心の虜となったこの相方が、次にどのような行動に出るかは容易に想像ができたゼムゼロスである。だから前もって釘を刺したのだが、馬耳東風とばかりに聞き流すつもりなのだろう。
 だが、これ以上なにか口を挟めば、彼女のことだ。へそを曲げる可能性も十分に考えられた。だからゼムゼロスは、「ほどほどにな」と一言だけ付け加えるにとどめたのだ。
 それに対して、喉を鳴らすような笑い声と共に、一言「わかってるよ」という短い返答を残して、ゼラフィリスは思念通話を切っていったのだ。
(アレの気性は蛇ゆえか? それとも女だからか?)
 フーッとゆっくり溜息を吐き出したゼムゼロスは、眉間に指をあて、やれやれと頭を振ってみせた。ゼラフィリスの構成体は、周知の通り蛇がベースになっている。その執念深い性格は、やはりそれに起因しているのかもしれないが、それよりは「女だから」という説明の方が、明快で分かり易いような気がした。
 そんな彼女が、早く合流しろと急っついて来ているのだから、無視にするわけにはいかないだろう。まかり間違えば、焦れた彼女の怒りがこちらに向けられることは十分に考えられたからだ。
「行くぞ。トライホーン」
 彼は頼りにしている相棒にそう呼びかけ、物言わぬ白き騎士を伴って、宙天へと加速し始めたのである。

 少年は一人で、たった一人でその場に佇んでいた。
 いや、正確には宙に浮かび漂っているのだが、伸ばした手足は、地に脚をついているかのようにしっかりとしているので、佇んでいるような錯覚を覚えてしまうのだ。
 少年は今、右手の親指と人差し指で輪を作り、それを口にくわえて吹き鳴らしていた。そこから漏れる音は、小さく、透き通るような微かなものだった。
 だがそれこそが、少女達、はやてやヴォルケンリッター達を操る思念波であるとは、パッと見には信じられない。そんな光景だった。
 不意に強く吹いた風により、深紅の外套が波打ってはためいた。
 しかしそれに一体なんの意味があったのか彼以外には分からない理由だったが、少年レイ、いやさゼロは、加えていた指を口から離して瞑目していた目を見開くと、遠くを見透かすような視線で、まっすぐに宙天を見あげたのである。
 ゼロは、喫茶『翠屋』での逢瀬の際、(有線放送から流れる曲に併せて口ずさんだハミングに偽装した)音波によるサブリミナル効果で、ある種のプログラムをはやての潜在意識に潜り込むよう仕掛けていたのだ。その巧妙さ故に、店内にいたはやては勿論、二人の魔導師とそのデバイスに気取られることなく事を完遂できたのは、僥倖でもなんでもなく、必然だったのだ。
 そしてはやての潜在意識に潜んだプログラムは、リンカーコアに『トロイの木馬』のようなウィルスとして進入、常駐を果たし、頃合を見計らって吹き鳴らしたゼロの指笛の音に反応してバックドアを開くや、はやての体の乗っ取ってしまったのである。
 時空管理局に所属する魔導師が、このような児戯にも等しい方法で自由を奪われるとは由々しき事態である。それはOSの脆弱性を突いたハッキングにも似た行為で、まかり間違えば、他の一般の魔道師や局員でさえも、同じように扱うことが出来る可能性が出てくるのだ。もちろん事が公になれば、すぐにでも対策が講じられ、第二、第三の被害は出ないようには出来るだろう。
 だがはやての場合、更に深刻な問題を内包していたのである。
 はやて自身が、動くロストロギアであることはもちろんだが、そんな彼女が時空管理局に謀反を働けば、守護騎士システムもまた、管理局に対して反旗を翻すという、その事実だったのだ。
 ヴォルケンリッターは全てがAAA級オーバーの魔導師で構成されている。そんな武装隊の一個中隊にも匹敵するような私兵集団が、なんの音沙汰もなく突然反旗を翻すなど、悪夢としか形容できない、あってはならない出来事だ。
 克てて加えて、闇の書に対して良い印象を抱いている人間が、管理局内部においても皆無と断言できるその事実だ。これらの情報が、そんな人間たちの耳目に少しでも入ろうものなら「それ見たことか!」と槍玉に挙げ、非難を浴びせることは必定。如何に本人の意志による傾動ではなかったと主張しようとも、起こってしまった事実のみを是として、他の意見など聞き入れるはずもない。
 もちろんそうならないよう、シモーネや縁故のある人達がうまく立ち回ってくれることは疑いようもなかったが、果たしてはやてがそれを受け入れるかどうかは、全くの別問題だ。長い時間をかけて、少しずつそうした悪印象を代えていく以外に方法がないとはいえ、最終的に『闇の書』というキーワードが出てくるだけで、うまく行きかけていたことが全てひっくり返えされるのだから、やりきれない思いに捕らわれてしまっても仕方のないことだった。
 そういった問題も含めて、彼女の立場は、最悪の一途をたどる一方だったのだ。
 そんなはやての今後の問題点を、改めて衆目の元に晒しめたゼロの洗脳魔法ではあったが、これにも限界があった。理由は極めて単純。指笛では届く範囲があまりにも狭かったのである。騎士二人と融合しているはやてが、管理局の艦の元へと、遠く離れていってしまうと、ウィルスはその機能を停止し、支配を解いてしまう事になるからだ。
 ならば彼も、その場に赴くのかと言えば、答えは否だ。
 彼は、非戦闘用にチューニングされた固体である。戦場に赴くことは、他の二人の仲間からも固く禁じられている。だから彼はそれを取り出したのだ。
 ヌーベルトーレ。それが彼のデバイスの名である。
 銀器のような淡い金属光を反射する横笛の形をしたそれは、ストレージデバイスだった。意外と受け取ることも出来たが、吹奏の際の指運びで、複雑なプログラムを組みあげる事が出来る(早口で呪文詠唱するよりも、指の方が早い)のだから、ストレージであることはむしろ必然だったからだ。
――二人とも聞こえるかい? これから韻階を上げてシンクロ率を高める。体の方はお留守になると思うからサポートをたのむよ。
 思念通話で、ゼロは二人の仲間に呼びかけた。するとすぐにゼラフィリスからの応答が返ってきた。
――安心をし。ゼロ。現場のサポートはあたしがしっかりするし、あんたの体はゼムが護ってくれる。むしろあたしはあんたの方が心配だよ。管理局の狗なんかと精神接触して大丈夫なのかい?
 彼女の言葉には、使い魔が主を心配しているような色合いがあるばかりか、母親の情愛のような、そして溺愛する弟に向ける偏執的な愛情めいたものが含まれていた。
 もちろんそれは、セフィロトを求める最大の理由に起因しているのだが、ゼロはその事を理解しているので、自然、返す言葉は心配をかけまいとする口調になってしまう。
――大丈夫だよゼラ。確かに韻階を上げてのシンクロは、精神汚染の危険もあるけど、そのために彼女には、殻の中に閉じこもる様に仕向けたんだ。自分が傷つけられるよりも、周りの人間が苦しむ姿を見るのには、慣れてない様子だからね。
――・・この少女の過去にあまり立ち入るな、ゼロ。迷いが生まれるぞ。
 ゼムゼロスが苦言めいた割り込みを入れてくる。確かに、はやての過去に触れる事は、土壇場で迷いを生み、戸惑うことになるかもしれない。そうなっては、彼らの最終的な目的を達成することが出来なくなる。
 そんなゼムゼロスの気遣いに、ゼロは平気だよと簡単に感謝した。
――ではいこうか。我々のロストロギアを返してもらいに。
 そう呟やくなり、ゼロは手にした横笛のマウスピースに唇を宛がいを、吹き鳴らし始めたのである。
 それから奏でられるその音は、風のように透き通る旋律となって響いてまわり、はやての心を深い深い意識の闇の奥へと押しやり、そしてその体を意のままに操つることとなった。
 更には、泣き叫ぶ悲しき狂戦士たちを、戦場へと駆り立てたのである。
(ゴメンね、はやてちゃん。また君を苦しめる事になる・・・)
 ゼロの独白は、誰に聞かれる事なく、夕闇の世界の中へと消えていった。

   ◇

「来るぞ!」
 第二八ブロックより一つ後退した第二九ブロックでアンベールと合流し、防衛線を張ったディーグ・オレインたち、武装隊の面々は、オレインの号令一下、資材コンテナや魔力シールドで作りあげた急ごしらえのバリケードの向こう、閉鎖したT字路の影から現れたばかりの蒼狼鬼に向かって、デバイスに取り付けたアタッチメントの引き金を一斉に引き絞った。
「アンベールだ。今、青いのと遭遇戦に入った。そっちの按配どうだ?」
 武装隊の指揮はオレインに任せ、アンベールはブリッジのシモーネに状況の確認を取っている最中だった。
 ゼーレの面々が、艦内で反攻の狼煙を上げた仲間(?)を孤立させるはずがない。なにより、彼らが欲しているものはまだこちらの手の内にあるのだ。奪取が完全に成功したわけではない。
 そう考えたアンベールは、シモーネに艦の警戒態勢から戦闘体勢へと移行するよう、進言する事にしたのだ。そして読みは的中していたのである。
「今、本艦に向けて、高速に接近してくるモノを三つ捕らえたところです。・・まず、間違いありません」
「そうかい・・なら連中がこっちに辿りつく前に、この艦を現駐留領域から動かしてもらえないか? 連中を振り切って、尚且つ青いのをなんとか確保、拘束してロストロギアごとを押さえられれば、当面は俺たちの勝ちだ。その上で、八神を何とかできないか検討しようじゃないか」
「それでしたら既に抜錨の準備は整えてあります。現在、主機関を戦闘機動出力で運用できるよう調整中。まもなくそれも終了します。
 ・・はやてさんに叛意の理由を問い質すまでは、ここから離れたくはありませんが」
 アンベールが進言するまでもなかった。シモーネ・アルペンハイムは、既に戦闘態勢どころか、この宙域を一時離脱した後の行動までを念頭において指揮を執っていたのである。そうでなければ、提督位が授与されるわけがないのだ。
 そんな勇ましい彼女の姿をモニター越しに見たアンベールは、
「・・よろしく頼む。艦長」
 と、短い返答を返して通信を切った。しかし彼ははっきりと見たのだ。彼女の硬い表情のその奥に、今にも泣き出しそうな頼り無げな姿があることを。
(傍にいって抱きしめてやりたい!)
 などと胸の内で絶叫するそんなアンベールに
「どうしやした旦那! 艦長に嫌われるようなことでも仕出かしたんですかい?」
 とオレインの茶々が入てくる。もちろんその表情は「何ひたってんだよこのクソオヤジ!」と目が笑ってない。
「バカヤロウ! んなヘマするか! 女は強いってあらためて思い知ったってやつだよ!
 で、こっちの状況はどうなっとる!」
 だからアンベールも、顎の先に梅干を作って、コンチクショー的な顔で睨み返すのだった(本当にバカだこいつら・・・)。
 状況は一言で言えば芳しくない。AA級からA−級までが揃う屈強な武装隊隊員達であろうとも、消耗激しい今現在、十把一絡げで一人前程度の有象無象にすぎないのが実情だ。如何ほどの足止めが出来るか、聞くのが野暮というものだ。
 事実、晴れていく煙の向こうから姿を現したザフィーラ(頭を獣のものに変えたライカンスロープ然としたもの)に、目立った外傷が見受けらなかったのだから、誰もが「ヤバイねこれは」と思わずにはいられなかった。
「泣いて詫びいれましょうか?」
「艦長に見栄張って、出てきたのはどこのどいつだッ?」
 ハイ私ですとかくだらないやり取りをしている間にも、ザフィーラがザシザシと巨体を感じさせる足取りで、こちらへと歩み寄ってくる。その様は、まさに『蒼狼鬼』という形容詞がピタリと当てはまる。
 その蒼狼鬼が口を開いた。
「そこを退け、管理局の狗ども。大人しく退くならそれも良し。歯向かうならば・・・」
 容赦はしないという口ぶりだったが、それを最後まで言わせはしないとばかりに、
「少し見ない間に良い面構えになったし、威勢も良くなったじゃねーか? えぇ? 青いのッ」
 バリケードをヒラリと飛び越えたアンベールは、懐から取り出したピラーホイールを、待機状態から魔杖形態へ移行。蒼狼鬼と対峙した。疲弊した武装隊員達を矢面に立たせる分けにもいかなかったのだから、当然の行動である。
 バリケードの外に立ったアンベールの姿は、これまでと変わった節がなかった。何故ならバリアジャケットを纏っていなかったからだ。代わりに彼の周囲には、十二枚の短冊状の鉄片が、ピタリと張り付くようにして浮かんでいたのである。
 ピラーホイールは一本の杖と、十二枚の鉄片で構成されるインテリジェントデバイスである。杖は、時計の長針と短針が六時を指し示す形状をしており、一見すると、どこにでもある普通のインテリジェントデバイスに見えた。しかし彼の周囲に浮いている鉄片、時刻を示す指針(グノモン)の群れが一種異様だった。それもそのはず、この指針の群れこそが、彼のバリアジャケットの代わりとして機能するよう調整された専用デバイスだったのだ。
 それだけでも変り種といえるデバイスだったが、アンベールのカスタマイズは他の追随を許さなかった。攻撃に参加させるビット機能の他、現場検証時に利用する探査機能。そして尾行などに利用する独立機能と、広域捜査を単独で行うのにおおよそ必要と思われる機能を付加していたのだ。彼の職務内容を鑑みれば納得せざるを得なかったが、結果、このような変り種なデバイスに仕上がってしまった。という次第である。
 しかしこれほどまでに多様な機能をデバイスに組み込めば、システムを不安定にさせて当然だったが、「アナログの時計みたいだろう? だからこそ味があるんだ」と唾を飛ばして力説するヘンな親父がいたりする。しかしそんな良さを理解する者は皆無に等しかったことをここに付記しよう。

――なんとか足止めすっから、その間に全員の魔力、同調させて隙を突け!
 ワルツでも踊るように滞空する指針で身を守りながら、アンベールは思念通話でオレインに短く指示を飛ばしてみせた。
 しかし思念通話の回線コードは、相手も熟知していて当然。ならばそんなやり取りは筒抜けになっている可能性は高かった。しかしこちらが不利な状況を好転させるためには、あえて、やっておいても損はない。
――合点承知!
 それを理解しているのか甚だ疑問だったが、二つ返事でオレインが返信してくる。
 ・・マジに大丈夫か?
 一抹の不安を感じつつも、アンベールの視線は蒼狼鬼を捕らえたままだった。
 しかしこちらを見据えてくる目の前のこの相手は、ニヤッと口の端を歪め、鋭い犬歯を光らせるという不敵な態度をとってみせたのだ。
 どのような小細工を労しようとも、無駄だと教えてやる。とでも言いたいのだろう。
 後悔させてやるぞ。
 目の下をヒクッと引きつらせながら、アンベールは蒼狼鬼を睨み返した。
 しかしそんな一瞬を、僅かにアンベールの気が逸れた事を察したザフィーラは、人間のそれとは明らかに違う鉤爪五本を光らせ、獣人の有り余るパワーで蹂躙すべく大きく跳躍。文字通り躍りかかってきたのである。
 いつもの冷静沈着な彼を知るアンベールの意表をついた攻撃は、効果抜群だった。そして、明らかに出し抜かれたアンベールは、ザフィーラの攻撃に半瞬、反応が遅れたのである。
 上半身のバネと体重を乗せた左の攻撃が空を切る。しかも鉤爪は物理強化され、次いで高周波振動が付加されていた。例えかすっただけでも、皮膚を切り裂き、肉を引きちぎり、骨を砕いただろう。
 だが対峙しているのは、百戦錬磨の特捜部捜査員とそのデバイスだ。このような肉弾戦など、履いて捨てるほどに経験済みだったのだ。例え、主人の反応が遅れていたとしても、デバイスが確実にそれを補ってみせたのである。
《Triguard. Double!》
 ピラーホイールが主人に先んじて、指針に指示を出していた。
 六枚の指針が瞬時にアンベールの右側面でYの字上に連結。二枚の『盾』になったのだ。もちろん針の隙間には、彼の魔力光であるやや黄色身がかった銀色のバリアーが張られ、これがザフィーラの攻撃を防いでみせたのである。
 これこそが、ピラーホイールが指針を統括運用することで構成する『アクティブガード』機構で、これがあるからこそ、アンベールはバリアジャケットを纏わなかったのである。ちなみにこの盾は、枚数を増やすことにより、耐衝撃力を向上させることが出来た。近接格闘戦であれば、一枚もあれば大概は凌ぐことが出来た。二枚用いれば、対戦車ミサイル程度の直撃にだって容易に耐えられた。つまり、先ほどのザフィーラの一撃は、それに類する威力を持っていることを証明したばかりでなく、全く躊躇なしの、全力での一撃を入れてきたという事実を裏付け、いよいよをもって、はやての造反が芝居ではなく、本気であることをアンベールに確信させたのである。
(あっぶねー。何てことしやがるッ)
 肝を冷やしたアンベールを他所に、ザフィーラが追撃の一発を放ってきた。左右の拳によるラッシュだ。ジャブ、ジャブ、ストレート。踏み込んでボディーへのアッパー。注意が下半身へ向いたところへ、双纏手による胸部への大攻撃。
 何かの格闘ゲームの、流れるようなコンビネーションで蒼狼鬼が攻撃を打ち込んでくる。もちろん魔力による攻撃付加が為されているから、ちょっとでも気を抜けば、しばらく病院のベッドでの生活を余儀なくされること請け合いだ。
 そんな文字通り、絨毯爆撃のような襲い来る猛襲だったが、しかし最初の一撃よりも威力が落ちている事が見て取れた。息が上がったのか、盾一枚で凌げるようになっていたのだ。
「押し返せ!」
 ザフィーラの拳が引き戻されるのとタイミングを合わせ、アンベールは陳氏太極拳の打開と同じような要領で、腰を落とした裂帛の一撃を、左の掌底に乗せて打ち出した。同時、トライガードがバリアブレイクとなって、ザフィーラの体を吹き飛ばす。
「バインド・ワッパー! シェイド・シフト!」
 吹き飛ばされてもなお、確かな足取りで着地してみせたザフィーラを確かめもせず、アンベールはバインド系の魔法を仕掛けた。
 バインド・ワッパーは手首、足首に巻きつく枷の類のバインドだ。枷であるため、巻きつくや否や、一kgから一tまでの仮想重力を発生させ、相手の自由を奪う機能を有している。もちろん仮想重力が掛かるのは対象者だけに限定されているので、施設への損害を気にしないで使えるのが非常に有り難い。そして単純だが単純がゆえに、堅牢な術式で出来上がっているのも、このバインドの特徴だった。
 しかしアンベールは、これをシェイド・シフト、つまり『影』に偽装させて仕掛けたのである。ザフィーラの俊敏性を考慮すればそれも当然だ。普通に仕掛けたのでは、この蒼狼鬼は容易に掻い潜ってみせるだろう。ならば影に偽装した罠を仕掛け、隙を見て発動させる遅延魔法として設置したのである。
 もちろんそれを気取られては意味がない。
《Ray Shooter. Machinegun Shift!》
 主人の意向を心得ているピラーホイールは、バインド・ワッパーとは別に、迎撃用魔法を撃ち放つスフィアを指針の内、四つに生成させる。そしてスフィアからは、機関銃の如く光の弾丸を、秒間二十発の勢いで撃ち放った。もちろんザフィーラの気を引くための目くらましだ。
 だが相手も然る者。認識するよりも早くザフィーラは体を前で腕を交差させて、光の盾を構築し、レイ・シューターの光弾のすべてを弾き返した。瞬時におけるその判断の確かさは、『盾』の『盾』たる所以か、はたまた動物的勘に因るかは、判断に苦しむところである。が、彼の注意が完全にそちらに向いた事は事実だった。
 そしてそれを見逃すようなアンベールではなかった。ここぞとばかりに手を掲げ、高らかに指を弾いて響かせたのだ。
 信頼たるデバイスに。そして心置けなくも信頼たる仲間に。
「今だ!」
 それは鬨の声とばかりに、通路に響き渡った。
《Wake!》
「アイ・サー!」
 それに対して、我が意を得たりと二つ返事が、二箇所で持ち上がった。
 ピラーホイールがバインド・ワッパーを発動させ、藪から飛び出した蛇の如く、ザフィーラの手足に巻きついて捉えに掛かった。手足ばかりではない。首に胸に胴に腿に。体の余すところなく、それはザフィーラの体に巻きついて自由を奪っていく。
 そしてアンベールの背後、バリケードの奥で、ディーグ・オレインが部下達から掻き集めたなけなしの魔力を結集させ、乾坤一擲の一撃を解き放つ体勢に入った。
「恨むなよ、ザフィーラ」
 そう呟いたオレインは、胸の辺りに浮かべる彼のデバイスを一瞥した。今、彼のデバイスは、一本の槍となってそこにある。
(すまねーな。これが終わったら、ちゃんとメンテしてやるからよ)
 物言わぬストレージ・デバイスに侘びをいれるや、彼は迷いを断ち切るかのように、右腕を大きく振りかぶってみせた。その様は、まるで激鉄を起こした拳銃のよう。そして解き放つのはAA級オーバーの破壊槌だ。
「ストライク・フレーム展開! 行くぞ!
 マグナ・ドライバーッッッ!」
《Shoot!》
 気合一閃。オレインは高速で回転するデバイスの柄尻を殴りつけた。
 同時、デバイスは射出用スフィアから、レールガンの如く打ち出された。
 マグナ・ドライバー。教導隊入りした高町なのはが開発し、採用された初の一点突破型の破砕魔法だ。彼女が持つ魔法の一つ『エクセリオンバスターACS』を、一般の武装隊員が扱えるレベルにまでマイナーダウンするというコンセプトの元、重砲撃に特化した武装隊員の下手な砲撃魔法よりも威力があるという、いかにも彼女らしい、そして大変危険極まる一品だった。しかし、やはりと言うべきか、必要とされる魔力用量や制御がかなり上級者向けに設定されているため、利用はあくまで武装隊の隊長クラスでなければ認められないという制限が掛けれた曰く付きでもある。
 如何な盾の守護獣であろうとも、バインド・ワッパーで雁字搦めに絡め取られた今の状態でこんなものが直撃すれば、タダで済むはずがない。
 そして次の瞬間、誰もが無力化されたザフィーラがそこに横たわるものと信じて疑わなかった。



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