魔法少女リリカルなのはA's VerH −宵闇の小夜曲−



「・・よろしく頼む。艦長」
 アンベールがそうこぼして、通信をきった直後、
「艦長。ど、動力部整備班より連絡が入りました。いつ・・いつでもいけます!」
 クリスがいつもの調子でどもりながら、シモーネに振り返って報告してきた。
 決断の時だ。
「了解。抜錨後、出力最大でこの宙域より離脱します。総員戦闘配置!」
「り、了解。総員、戦闘配置を通達します」
「艦長。これより艦を戦闘機動モードへと移行します」
「ん。任せます」
「了解。舵輪上昇」
 シモーネの宣言を受けてセインが席を立つと、それまで座っていたイスが床の下へと沈んでいった。更に目の前のコンソールが跳ね上がって卓が左右に割れると、その下から、海上を走る船と全く趣を同じにする操舵輪がせり上がってきた。
 ガチンッと硬質的な音が響き、操舵輪がしっかりと固定されたことを確認したセインは、フーッと深呼吸を一つして、舵輪をしっかりと握り締めた。
「シンシア! 艦の慣性制御は任せる。俺の操船にしっかり合わせろよ」
「了解。あなたこそポカするんじゃないわよ? セイン!」
 操船指揮官とそのサブのやり取りを頼もしく見つめたシモーネは、クリスの方へ首を廻らせた。今のクリスは、ニルヴァーナ周辺の空域を監視している真っ最中だ。先のはやてを見失った失態を取り戻すべく、必死に取り組んでいるようだった。
「周囲の様子は?」
「艦の周囲、障害物、あ、ありません。コース、条件付でクリア!
 飛翔体三つは、依然超高速でこちらに接近中! せ、接触まで、後一分!」
「直接乗り込んでくる気? 威嚇をする気もないと言うのなら甘く見られたものね。セイン!」
「了解! ニルヴァーナ発進します。抜錨!」
「了解。重力アンカー機能停止・・抜錨、確認!
 給電システム(フライホイール)接続。主推進器、壱番、弐番へ動力伝達。圧力上昇。臨界まで、あと三十・・二十・・九、八、七・・・」
 セインの号令を受けて、シンシアが動力周りの報告を上げる。
「飛翔体、合流しました! そ、速度を上げてこちらに接近してきます! ぶつける気のようです! 衝突コース!」
「こちらの動きに気づいたみたいね。構わない。そのまま進めて!」
 周辺空域を見ていたクリスが状況を報告してくる。強襲揚陸を仕掛けてくるとみたシモーネは、とにかく発進させることを優先させた。
「・・二・・一・・臨界突破! セイン!」
「両舷全速。ヨーソロー・・・」
 抜錨後、眼下の惑星ランスベルクからの重力を受けて、僅かに高度を落としていたニルヴァーナは、セインがグイッと押し込んだ舵輪と直結するアクセル操作により、推進器の出力を上昇させ、四百mからなる巨体を、右に大きく傾けながら旋回を開始。音もなく宇宙空間へと進み始めた。
 加速度は秒速十一.二km(第二宇宙速度)を目指してグングン上昇し続ける。にもかかわらず、ブリッジの面々はその加速を露ほどにも感じていない。何故なら、慣性力除去装置(イナーシャル・キャンセラー)によって、急加速、急停止にかかる運動エネルギーを相殺しているからだ(もちろん、打ち消された運動エネルギーは回生され、次回の加減速に使いまわされる)。仮にこの装置がなかった場合、通勤ラッシュによる乗車率二百%超の状態で、緊急停車に直面した以上の加重に晒される事になる。慣性力除去装置様々である。
 だがこの装置とて万能ではない。
 戦闘機動による方向転換、急旋回といった突発的な加減速に、機械が即時に対応しきれないのである。技術の発展もあり、今日ではコンマ三秒までに詰めることに成功しているが、それだって一呼吸ほどの暇があるのだ。その間に発生する被害は計り知れない。だからこそ操船指揮オペレーターの補佐役が存在するのだ。
 セインとシンシアの二人は、正に息のあった阿吽の呼吸で、艦の加速と慣性力とを制御してみせた。その腕は、蒼狼鬼と交戦しているアンベール達に、それと悟られないほどである。
 そんな加速度で疾走し始めたニルヴァーナだ。追いかけてくる三つの存在は、ものの三十秒もしない内に振り切れるだろうと誰もが思ったものである。もし仮に、空間転移を用いてニルヴァーナの真正面に現れたとしても、既に加速を開始している艦体の運動量を打ち消せるような魔法を、転移直後においそれと放てるわけがない。まごまごしていれば、あぜ道を進む自動車によって踏み潰されるアマガエルの群れの如く、ペチャンコにされるだけだ。
 しかし操船指揮のセインが危惧するのは、むしろ別のことだった。
 そしてそれが出来る魔導師が、追っ手の中にいたのである・・・。

   ◇

 はやてとユニゾンしたヴォルケンリッター二人と合流したゼラフィリスは、鋭い舌打ちを一つしてみせて、加速し始めたニルヴァーナを忌々しげに睨み付けていた。
「クソ! 一足遅かったか! このまま持ち逃げられるのを見てるだけだなんて、歯痒いじゃないか!」
 ギリッと歯軋り一つしてみせたところで、彼女は傍らを飛ぶユニゾンヴィータを捲くし立てた。
「小娘! 艦首に一発ぶち込んで出鼻を挫くんだ! 加速度が落ちた隙に、あたしとこの白いのが取り付く!」
 先に第五象限から打ち込んでみせたあの超長距離砲撃は、はやてのストレージ空間から引っ張り出してきた大艦巨砲主義思想丸出しな、ある意味、白い悪魔好みの魔法でもあった(弾劾の声が聞こえてきそうだが、あえて無視する)。
 流石にそれを目の当たりにしたゼラフィリスは、本当に呆れてモノも言えないという表情を作ってみせたものだが、これと似たようなものを、まだまだいくつも有しているこの融合体を顎でこき使えると言う事実を理解した途端、喜色満面になったのは言うまでもない。
 この時も、彼女は嬉々としてユニゾンヴィータに命令を下したものだ。だが紅のウェーブがかった髪を流すこの融合体は、一体何を思ったか、彼女の鼻先に金棒型のデバイスをかざして、威圧してきたのだ。
「・・なんの真似だい。小娘・・・」
 声のトーンを落とし、不機嫌さ全開でユニゾンヴィータを睨むゼラフィリス。しかしユニゾンヴィータは一言も発せずデバイスを引っ込めると、ニルヴァーナに追撃の一撃をいれるべく、呪文詠唱体勢に入らんと脚を止めたのだ。
 その一連の動きを見て、
(『小娘』って言葉に無意識に反応したってのかい? そんなバカな・・・)
 ゼラフィリスは一抹の不安を打ち消そうと、頭を振ってみせた。
 ゼロの支配は、余すことなくはやての全てを抑えている。そのはやてを経由しているとはいえ、管理者権限を用いて操っている守護騎士システムが、『無意識』などという常態反射的な行動を執るなど考えられない。
 そう断じたゼラフィリスだったが、ゼロの支配に穴がある。もしくはムラがあるという事ではないのか? とまで考えが及ぶや、戦慄にその身を震わせずにはいられなかった。
 それはそうだろう。これから敵の只中に、絶対的優位の状態で乗り込んだのも束の間、一転して自分以外は全て敵、という窮地に立たされては堪ったものではない。
 しかし彼女が思うのは別のことだ。
(ゼロの体に異常があるってのかい?)
 彼ら『ゼーレ』は、ゼロを中心として成り立っている少数精鋭のグループだ。彼らの目的は『ニンゲンになる事』。ただこの一点に尽きている。
 しかしそう思っているのは実はゼロだけで、彼を除いた二人、ゼムゼロスとゼラフィリスは、
(例えこの身が滅びようとも、ゼロだけは人間に!)
 と考えていたのである。それは、親が少しでも子供のために希望を与えたいと願う、情愛と同様のものだったのだ。
 そんな想いを向ける者の体に、異変が生じているかもしれないとなれば、いても立ってもいられなくなって当然である。
 この時、体の芯が沸騰するような感覚を、ゼラフィリスは初めて味わったのだ。
(早く、早くセフィロトをすべて集め、ゼロの元へ赴かなければ・・・ッ!)
 逸る心は焦りとなって、彼女を狂気の世界へと誘った。
「小娘ェッ! 何をボヤボヤしてるんだい! 早くあの艦を止めるんだよ! 沈めちまっても構わない! さっさとしなッ!」

 超長距離砲撃魔法を放つべく、ゼラフィリスとユニゾンシグナムから離れて留まったユニゾンヴィータは、剣十字を金棒の状態から元の杖の状態に戻していた。
 すでに彼女が漂う空間は、酸素がほとんど存在しない中間層を超えている。空の青は眼下にあり、スッと上げた視線の先には、大気による減衰が無くなった星の輝きだけがある。
 この惑星の月は、今ちょうど惑星の反対側にある。ために、これから放つ砲撃魔法は、惑星と月の重力の影響を受けて歪曲し、標的に当てるのは酷く困難を極めるだろう。それに、惑星の公転も間違いなく影響してくるはずだ。
 だがそれらの条件を苦にもせず、射駈ける角度を瞬時に割り出してみせた彼女は、呪文の詠唱に入ったのである。
「彼方より此方へ。此方より彼方へ。
 空を貫き烈風まといて、彼の地へ駆けよ」
 ユニゾンヴィータの詠唱の元、周囲六ヶ所に、ベルカ式魔法陣が三つずつ、計十八個が姿を現した。そして魔法陣はユニゾンヴィータの目の前、十mの辺りに向けて光の筋を伸ばし始めたのである。
 それは糸だった。
 計十八の魔法陣がそれぞれが円を描きながら回転し、まるで組紐を編みあげるように、舞台の上でバレリーナが群舞するように華麗に動いてまわった。そうして魔法陣は、長さ二十mに達しようかという光の槍を生み出していったのである。
 そう。これこそが先程、ニルヴァーナに向けて、ユニゾンヴィータとユニゾンシグナムが解き放った超長距離砲撃魔法の弾頭だったのである。
「死を告げるの必殺の槍!」
《Gungnir!》
 剣十字に組み込まれていた非人格型である現行のリインフォースが、淡々と呪文発動のキーワードを唱えた。北欧神話の主神オーディンが持つ必殺の槍、グングニールを解き放つその言葉を。

「高出力魔力反応を確認! 先程の超長距離砲撃と同じ術式パターンです!」
 クリスが悲鳴のような声で、各観測機器から入ってくる情報を読み上げた。
「二度ももらうもんかよ!」
 クリスの報告を聞くや、セインは舵輪を右へ思いきり振り回した。それを見るよりも早く、シンシアが慣性力除去装置に新たなコマンドを入力する。
 敵の狙いは明白だ。砲撃によってこちらの足を鈍らせ、追随してくる他の二名が取り付きやすくするためだ。となれば、絶対にこれを避けるなり、直撃を回避しなければならない。かと言って、バカ正直に回避運動に入るわけにはいかなかった。変に進行方向を変えれば、これまでに得られた加速を無駄にする事になってしまう。
 現在ニルヴァーナはランスベルクの自転方向にならって加速している最中だった。ランスベルクの自転運動をカタパルト代わりに利用しようという目論見である。
 では、これらの条件を満たしつつ、ベストな回避運動を行うにはどうすればいいか? 手段は二つあった。
 一つ。惑星ランスベルクの引力を利用してスイングバイを行う。
 スイングバイとは、人工衛星を少ない推進剤で、遠く離れた天体に送り込むために、必要な加速を得るために用いられる手段である。しかし今現在、ニルヴァーナはスイングバイに入るには不向きな場所にある。というより利用出来ない状態にあった。何故なら、スイングバイは『惑星の重力に捕まっている』必要があるからだ。しかし今のニルヴァーナは『惑星の重力から脱出する』加速状態にある。だからスイングバイに入るためには、加速方向を強引にランスベルク側に向け直し、重力に捕まって『落ちなおす』必要があった。確かにこれまでの加速は確かに失う事は大きな損失ではあるが、それ以上の加速を得られるというメリットがある。が、この方向転換によって、砲撃を回避することができたとしても、追っ手に肉薄され、乗り込まれる可能性が高くなる。そうなってしまっては、アンベールたちが圧倒的不利な立場に置かれてしまうのは確実だ。それは是が非でも避けたい。
 したがって、セインは残されたもう一つの方法、加速を続けつつ、艦体を左右どちらかにスライドさせる方法を採ったのである。これならば、砲撃を回避することが出来るばかりか、加速を無駄にしないで済む。その上、敵を振り切る事も出来る。単純だがこれ以上の方策は無いように思われた。
 しかしただスライドさせるにしても、砲撃による被害が出ることだって予想できる。
 だからセインは、艦体を回転させ始めたのだ。進行方向はそのままにバレルロールを行うことで、艦体だけを右へとスライドさせてようというのである。
 これらを全てを数瞬の間に鑑み、判断を下したセインは、並外れた操船技術の持ち主と言えただろう。シモーネが全てを託したのも頷けるというものだ。
 もちろんそんな彼の頑張りを、ただ黙って見過ごすようなオペレーターだって、この艦に乗り合わせてはいなかった。
 クリスは対魔術用のフィールドの状態を操作し、砲撃によって艦体が被る被害が少しでも少なくなるよう(兆弾しやすいように)形成操作を試みた。一方シンシアは、セインの操船にミリ秒単位で反応できるよう神経を尖らせていたし、その一方で、仮に着弾した場合を想定した、艦のダメージコントロールにも余念がない。そしてそんなオペレーター達を、シモーネが何も言わず、全幅の信頼を持って見守っていた。
 にもかかわらず、そんな彼らの努力を嘲るように、ユニゾンヴィータが放った光の槍は、回避行動をとるニルヴァーナに向けて(その進行方向を自ら修正して)着弾したのである。

「・・着弾確認・・転移・・・」
 もう既に、小指の先程にも小さく見えるニルヴァーナの艦影に、ポウッと微かな明かりが点ったのを見て取ったユニゾンヴィータは、その足元に転移魔法を展開した。
 着弾により加速が鈍ったとはいえ、まだゼラフィリスたちが強襲するには無理がある。
 だから彼女は、更なる追撃の一撃を加えるべく、ニルヴァーナの舳先へ転移するよう、座標を定めたのである。それは、一歩間違えば自分もろとも、主人であるはやてを亡き者にしてしまう可能性が十分に含まれる、冷酷で冷徹な判断だったのだ。
 にもかかわらず、彼女は躊躇なく転移していったのである。

「ちゃ、着弾による被害、左舷艦首装甲盤、ひがい・・被害率二九%。深度レベル一。直前に入射角を変更するなんて、そんなの無しだよ〜」
「機関部への被害は認められません!
 ただし加速率八%低下。魔力素流動器(コンダクター)の出力が低下してる所為と思われます(艦首部に設置されている、空間に存在する魔力素を取り込むための装置。この装置から取り込まれた魔力素は、機関部を経て推進器に送り込まれる)。
 本艦追撃中の飛翔体に肉薄されますが、まだ大丈夫。振り切れます。
 ・・被害率三割で深度一ならたいしたもんよクリス。コンダクターの修理に何人か廻して。それと装甲盤の冷却は、あとどれくらいで終わる?」
「あ・・と、ガーフィールドさんの整備グループが既に急行中。冷却は・・や、約五分で完了予定!」
 クリスとシンシアからの報告を受けたシモーネは、
(クリスのフィールド形成操作と艦がローリングしていた所為で、軽微で済んだようですね。とりあえずは一安心・・でも、そうはさせてくれないんでしょうね)
 常に、悲観的な考えはしておくようにしている彼女であったが、今回ばかりは外れてほしいと思ったことはなかった。しかしそれを嘲笑うかのような報告が入ってくる。
「転移反応! ほ、本艦正面、進行方向! 距離・・い、一万一千!」
 その報告を聞くや否や、シモーネは艦長席から立ち上がり「なんてことを!」と叫んでいた。追撃がかかることは予想していたが、まさか真正面に出てくるとは、思ってもいなかったのだ。
「ぶつけてでも止めるつもり?」
 考えが甘かった。シモーネはそう思わずにはいられなかった。
 いくらはやてを押さえたとはいえ、ゼーレの面々は彼女を仲間と認識する事はないだろう。精々が使い捨てのコマのはず。ならば尚更、ヴォルケンリッターは体のいい道具扱いだろう。その考えが正しければ、まず間違いなく使い捨てにするに決まっている。
 シモーネは奥歯をギッと軋らせ、「回避運動を!」と叫んだ。
「それではこれまでの加速を無駄に・・・」
「構いません! 避けなさい! 早くッ!」
 シンシアの意見を切り捨てて、シモーネはセインに回避運動を執る様に支持した。その意味するところを十然に理解したセインは、
「了解! シンシア! 艦首に障害物除去フィールド展開! レベル四! 急げ!」
「! り、了解ッ!」
 なんとなく面白くない気持ちになりつつも、シンシアはセインの指示に従った。
 宇宙空間を高速で航行する際、隕石などの岩塊や人工物といったデブリと衝突する事は、十分に考えられる。如何に艦の装甲盤がダイヤモンドよりも硬い立方晶窒化炭素によってコーティングされているとはいえ、衝突した際の運動エネルギーまでを百%弾き返せるわけがない。だからそのための準備が周到に用意されているのだ。それが除去フィールドである。
 デブリの大きさや衝突時の相対速度などにもよるが、除去用のフィールドは五段階のレベル分けがされている。その内、最小のものは文字通り弾くだけに留められているが、最大のレベルともなれば、対象を原子レベルにまで粉砕破壊(実際には、プラズマジェット化した物質を、電磁誘導で艦尾方向へと誘導)するように設定されている。そうでもしなければ、船体を無傷で守り抜くことは出来ないからだ。もっともそのレベルは、亜光速にまで加速しない限り、利用される事のない代物でもある。
 セインが指示したフィールドの形成レベルは四だ。それは原子レベルに粉砕破壊するまではいかないまでも、それに準じた防御レベルである。戦闘機動中であっても、通常では考えられないレベルだった。
 何故セインは、そこまで強力なフィールドを要求したのか? 答えは簡単だ。相手には、物理バリアを余裕で破壊する術を持った、ヴォルケンリッターの内の一人だ。警戒して余りあるほどでなければ、意味がない。
「フィールドジェネレーター、レベル四で起動。出力安定!」
「距離、五百・・三百・・エンゲージ!」
「南無参!」
 セインの眼前には、艦の進行方向の光景が映し出されている。艦体がローリングしている所為で、星が円を描いて回っていた。そのほぼ中心部分に魔力による反応光が浮かび上がるのが分った。転移魔法による発光現象だ。それを確認した彼は奥歯を噛み締め、舵輪の三時と九時の部分をグッと握り締めた。しかしその直後、転移魔法の中心に人影が浮かび上がるのが見えたのだ。
 ウェーブの掛かった紅の髪を流れるに任せ、左の腕を高らかに掲げてみせるその姿は、正しく彼が危惧した魔導師とはやてがユニゾンした姿だった。そればかりか、あっという間に距離を縮めてくる艦の加速に怖じ気づいた様子も見せず、振り上げた左腕の先に集中する巨大な魔力の塊を、躊躇なく振り下ろしてきたのだ。
 次の瞬間、ニルヴァーナは就航後初めて、その艦体を激しく震わせたのである。

「我が左手に宿れ黒鉄の籠手。雷神の力帯とともに顕現せよ。
 荒ぶる神力と怒れる槌をもって、天の裁き与えたまえ!
 雷帝の鉄槌!」
《Mjollnir!》

 雷の迸る閃光は、宇宙空間においても顕著に見る事が出来る。俗に『スプライト』と呼ばれる宇宙に向かって落ちる雷が存在するのだから当然の事だろう。ちなみにヴィータのドンナー・シュラークは、この魔法をマイナーダウンしたものである。が、その威力の程は天と地ほどの差があった。なぜならこの『雷帝の鉄槌』は、広域破壊型の拠点殲滅を目的としたもので、個人で使用できる魔法としては、まさしく広島型原爆に匹敵するほどの破壊力を有していたのだ。対人戦闘を想定したドンナー・シュラーク如きと比較すること自体がおこがましい。
 そんな神の怒りを体現したような魔法が、文字通り怒れる槌となって、ニルヴァーナに襲い掛かったのだ。如何に艦体を防御するためのフィールドを展開していたとは言え、その強力な魔法の威力の前には、薄皮程度の効果しか期待できなかった。
 結果、ニルヴァーナの艦体はその左半身を著しく損なうこととなった。轟沈しなかっただけでも運が良かったと言わねばならないだろう。
 否、それは違った。ユニゾンヴィータはこの期に及んで、手を抜いたのだ。
 何故ならそこにはロストロギア『セフィロトの枝片』がある。艦を沈めたりすれば、後から捜す手間が掛かりすぎる。それに軌道脱出速度を得ようものなら、宇宙の深遠に投棄するようなものだ。だからゼラフィリスが乗り込むまで、足止めすることを主眼に、この魔法を使ったのである。
 しかし彼女の役目は、ここまでだった。
 元より、『雷帝の鉄槌』に用いる魔力は並大抵ではなかったのだ。彼女が保有する魔力を、根こそぎ奪い去っていたとしてもなんら不思議ではない。となれば、彼女達が行使していたユニゾンも、保てなくなって当然だ。
 その証拠に、糸の切れた操り人形のように脱力した彼女の体を淡い光が包み、次の瞬間、光は赤と白銀色の二つの光の球へと分かれてしまったのだ。
 だが白銀色の光の玉は、爆発炎上するニルヴァーナの方へと飛び去ってしまった。しかしその場に留まった赤の光球は、微動だにしなかったのだ。そのため、惰性で飛び続けるニルヴァーナの艦体に、赤の光球は巻き込まれるように姿を消していってしまったのだ。
 その瞬間、
「・・・・・やて・・・」
 わずかな呟きが洩れたのだが、それを聞き届ける者は、どこにもいなかったのである。

 クリスティン・ホークはてんてこ舞いの最中にあった。
 セインやシンシアのサポートも然ることながら、平行してはやてとのモニタリング回線を回復できないかと、必死になって探っていたからである。
 事、人前に立つ類の緊張には、滅法弱い彼女ではあるが、機械相手に科せられる緊張感には殊更強かったのだ。
 そして彼女は今、ある一つの事を掴みつつあった。
「なんだろう、これ・・・?」
 それは、はやてとのモニタリング回線が寸断される直前にキャッチしていた広帯域の音声データだった。モニターには、彼女とニルヴァーナとの間でやり取りされていた通信の内容が折れ線グラフ状に表示されているのだが、周波数ごとに分類していくうちに、高音の帯域に規則性のある波がある事に気づいたのだ。
 そこまで分れば後は簡単だ。フィルターにかけ余分なノイズをカットしていく。そして可聴レベルにまで変換するにつれ、それがなんなのか分るようになってくる。
「笛の音・・だよね? モールスみたいなコード・・あ、音域が広がった。え? これって音楽? え? 訳わかんないよ」
 クリスは必死になってヘッドセットに集中した。そしてその正体に気づいたのだ。
 モールスのようなものは、はやてに仕込んだウィルスを起動するためのコマンドセット。それに続く音楽のようなものは、相互に情報をやり取りするために圧縮されたトラフィックだ。
 分りやすい例えで言うならば、FAXを送信した時にスピーカーから聞こえてくるピーガーという音である。最初に聞こえてくる音は、相手のFAXとデータを送受信するために必要な、必要許諾を行うコマンドである(余談だが、FAX関係の技術開発に携わっていると、口笛でこれを誤魔化すことが出来るらしい)。そしてその後に続く無音の部分に、画像データが納められているのだ。
「見つけた!」
 そうと理解したクリスは、喜色満面になったものだ。しかしすぐに引き締めた。
 まだ決定打にかけているからだ。仮にそれが秘匿通信の類であった場合、それは『はやてが管理局を裏切っているという状況証拠にしかならない』のだ。それではダメだ。それでは自分を信頼して、立地回復のチャンスをくれたシモーネに申し訳が立たない。更に一歩踏み込んで、この音の正体を『はやてを操っているコマンドの類』だと立証し、はやてをこの手に取り戻す手段を見つけなければ!
 そこまで考えた彼女は、モールス後の音楽部分『圧縮されたコマンド群』の解析に取り掛かった。
 発進先の特定も忘れてはならない。うまくいけば、封鎖結界維持のため、出張ったままになっているマイヤー配下の武装隊を急行させ、現場を制圧することも出来るかもしれない。
(待っててね、はやてちゃん。きっと、きっと助けてあげるから!)
 クリスは左手でセインとシンシアのサポートを継続しつつ、残る右手で作業を継続し続けた。
 しかしちょっとばかり欲が出た。
 超長距離砲撃による被害によって、不安に包まれたこの雰囲気を一新できるほどの金星となれば、一番に喜んでくれるのはきっとシモーネだ。
(艦長が安堵の吐息を付けるよう、一刻でも早くこれを・・・!)

 しかし運命の皮肉か、艦が大きく波打ったのはその直後だった。

   ◇

 オレインが放った光の槍は、音速を楽に突破するような勢いで、一直線に突き進んだ。狙うは一点。手枷、足枷で体の自由を奪われた蒼狼鬼の眉間だ。
 ドリルのように回転して飛ぶそれは、疲弊した武装隊員達が残った魔力を練り上げ注ぎ込んだ、乾坤一擲の破壊槌。その場にいた武装隊員も、それを撃ち放ったオレインも、そしてアンベールまでもが、蒼狼鬼の防護壁を貫いて無力化できると信じて疑わない、渾身の一撃だった。
 だがそうはならなかったのだ。
 槍が蒼狼鬼に到達するよりも一瞬早く、艦が大きく揺れ動き、蒼狼鬼をあらぬ方向へと弾き飛ばしてしまったからだ。その揺れから察するに、先程の超長距離砲撃とは比べ物にならない攻撃があったのだと、その場にいた全員が理解できるほど、巨大な揺れだった。
 だがそんな悠長なことを考えている余裕などなかったのである。
 直下型の大地震そのままの揺れによって、バリケードは紙くず同然に吹き飛ばされ、その後ろに構えていた武装隊員達も、四方八方、通路の壁面に叩きつけられたのだ。結果、脱臼する者。骨折する者が続出した。意識を失っている者もいれば、打ち所が悪かったのか、口から泡を吹いている者の姿もあった。
 オレインとて例外ではなかった。背中から天井、そして床へとピンボールのボールのように叩きつけられたのだ。強打による打撲を負うことになったが、裂傷や骨折といった傷害にまでは至っていない。
 そんな中、アンベールはひどく運が良い部類に入っていた。
 彼は、マグナ・ドライバーの着弾被害を回避するため、安全距離を取ろうとバックステップに入ろうとしていたのが幸いし、足元をすくわれるような恰好で尻餅をつくだけに留まったのだ。しかしそれは本当に幸運だったのだろうか? 何故なら彼は、この直後にとてつもない難問を背負い込む事になってしまったからだ。

 大きく艦を揺さぶったその振動から、外で何が起こったのかすぐに悟ってみせたアンベールは、ブリッジに連絡を取ろうと体を起こそうとした。その刹那、彼は視界の隅で幾筋かの閃光が走ったのを捉えると、頭を抱えて体を投げ出した。だが幸いなことに、このブロックには特別圧力がかかるような配管が廻されていなかった。だからアンベールが咄嗟にとった爆発被害を想定した行動は徒労に終わったのだ。
 では閃光の正体は一体何であろう? 答えは決まりきっている。強襲揚陸を仕掛けてきた死神だ。
 そうとは露知らず、伏せた体勢のままおっかなびっくり顔を上げたアンベールは、表情を面白いぐらいに一変させたモノだ。
(ヤベーッ!)
 切り刻まれた隔壁を通りぬけて現れた三つの人影を認めるなり、叫び出したい衝動を何とか抑え込むことに成功したものの、「今日は厄日か!」と己の運の悪さに毒づきた気持ちでいっぱいになった。
 何しろ、ゼーレの一人とヴォルケンリッター、シグナムとその主はやて。果ては蒼狼鬼ザフィーラという四人に対して、たった一人で立ち向かわなければならないのだ。最悪の事態じゃねーか! と呪いたい気分になっても仕方のないことだろう。
 しかし兎にも角にも、安全距離は確保しなければならない。連中に気づかれる前に、と体を起こそうとした矢先、ゼラフィリスに見咎められてしまったのだ。
「ほ〜ぅ。これはこれは」
 イブニングドレス然としたバリアジャケットに身を包み、細くて白い太ももを惜しげもなくそのスリットから露にしてみせる魔法生物の声が、アンベールにかけられた。
「お初にお目にかかる。あたしはゼーレのゼラフィリス。今はこの嬢ちゃん達のおもり役をさせてもらってるよ」
 ゼラフィリスがそう言いながら、背後に控える二人に顎をしゃくるようにしてみせた。しかし背後の二人は、その台詞にピクリとも反応を示さず、まるで彫像のように佇んでいるだけだった。だが普段のはやてをよく知るアンベールからして見れば、意外に映る光景だった。関西人の血がそうさせるのか、突っ込む隙があれば情け容赦なく突っ込んでくるような娘が、ゼラフィリスの言葉に対して、何の行動も示さなかったのだ。
(この色ボケ娘はァ〜〜〜〜!)
 恋に恋する多感な時期。そんな年頃の小娘が、男に入れあげて見境をなくした行動をとるなんてよくあることだ。そう一方的に断じたアンベールは、はやてを直ちにとっつかまえて、尻叩きの百発でもくれてやらなければおさまりが付かない気分になった。
 だから、少し離れたところに横たわり、ピクリとも動かない蒼狼鬼に向かって、まるで無人の野を行くかの如く悠然とした態度で歩き始めたゼラフィリスが疳に障って仕方がなかった。
 一方、そんなアンベールの心中など知ったことではなく、蒼狼鬼が懐に抱いているだろう目当ての品を回収しようとした自分の目の前に、カミソリのような気迫を身に纏った中年男が立ちはだかろうとは、ゼラフィリスにとっては埒外だったのだ。だが彼女は、そんな彼を向かって冷笑を返してみせただけだった。
「色めき立つんじゃないよボンクラ親父。そんなナリで何しようってんだい?」
 白い肌に真紅の紅は、妖艶な笑みと相まって、酷く印象に残る存在となった。その笑みに加え、特徴的な舌でもって唇を舐め上げてみせるその様は、一枚の絵画のよう。だがその絵画は、怪奇映画に出てくるような濃淡をはっきりと描き出したもので、ひどく現実味を伴わなかった。
 そんな非現実的な存在が、ほの暗い怒りに駆られている男を上から下へと一瞥をくれた。先の艦の振動で負ったであろう怪我は大した事はなさそうだが、蒼狼鬼との一戦で、顔のいたるところに切り傷があり、既に乾いた血がその周辺にこびり付いている。身にまとうコートは見るからに年季が入っていて、うだつが上がらない印象をより一層際立たせて見せる。
 相手にするにしても、もう少し『イイ男』の方がいい。
 そう談じた彼女は、指先一つ動かすのも酷く億劫な気分になった。だから背後に控える二人に顎で指示を出し、彼の相手を任せたのである。
 そんな彼女の態度に思わず鼻白んだアンベールだったが、一転、彼に近づいてくる二人の姿を認めるなり、凶悪なほどの怒気を孕んだ顔を浮かべてみせたのである。
「・・八神ぃ・・・」
 そんな彼の態度に満足したのか、
「お前の相手はこいつがしてくれるよ。たっぷり堪能するんだねぇ」
 ゼラフィリスが狂笑を浮かべながら、彼の横をすり抜けていく。そして高みの見物を決め込もうという余裕綽々の態度で、通路を切り裂くために使った鞭状のネイプドアンカーを竪琴へと変形させるなり、弦の内の一本を爪弾いたのだ。
 それはアンベールにとって、またサブモニターで現場の状況を見ていたシモーネにとっても、最も聞きたくない幕開けを知らせると調べとなったのだ。
 その弦の音が鳴り終わる間もなく、ツトと軽い足音を一つさせ、魔道騎士姿のはやてが進み出てきた。しかしその表情は不適な笑みをたたえており、この対決を喜んでいるようにも見受けられたのだ。
 そんな笑みを見せられては、アンベールはより一層、彼女が裏切ったことを確信せざるを得なかった。
(周りが全て敵とはな。有り難くって涙も出やしねーぜ)
 だからはやてを凝視しつつも、まるで背後に目があるように、アンベールは背後で悠然と佇んでいるゼラフィリスに注意が向けたのである。試合は既に決っしてしまっているが、勝負はまだ終わってはいないとでも言うようにだ。さすが老練な特別捜査官。熟練者の面目躍如と言ったところ。
 しかしその心中は、
(ナメやがって。さっさとロストロギア持ってとんずら決め込むもんだろうがよ、普通はよーッ!)
 と、ゼラフィリスへの恨み言で一杯になっていたのだ。
 そうとは露知らず、こちらを睨み続けるアンベールの姿に感じ入るものでもあったのか、はやてはやおら首を傾げ、更には剣十字を腰の後ろに奉げ持つなり、
「どないしたんマックスのおっちゃん? そない怖い顔して」
 と、いつものにこやかな笑顔を作ってみせたのである。
 その笑顔をモニター越しに見たシモーネは、違和感を感じずにはいられなかった。
 いつもの朗らかさが損なわれていて、わずかに硬質がかっているように見受けられたのだ。
 我が子恋しやという母親の情がそうさせたのでも何でもなく、二年近く傍で見続けてきた彼女だからこそ、見分けられる違和感だったのだ。
(いつものはやてさんじゃない!)
 そうと認識すると、もはやそれは確信へと変わっていったのである。
 彼女は裏切ってなどいない。ただ操られているだけだ。という確信へだ。
 そんなシモーネの確信とは裏腹に、アンベールにしてみれば、その笑顔はこしゃまっくれた、神経を逆なでする以外の何者でもなかったのだ。
「・・その名前で俺を呼ぶんじゃねーっつったろ。八神!」
 怒り心頭になったアンベールには、シモーネが見分けた些細な違いに気づくはずもない。むしろ無理な注文といえたのだ。だからはやての作った微笑みは、嘲笑と挑戦のものとしか受け取れなかったのである。
(いつだってこいつはこんな態度で俺と接しやがる。少しは尊敬の念をもって接しろってんだ! まったく、とことん可愛げがねー奴め!)
「おとなしく縛に付けばそれでよし。だが言うこと聞く気がないなら・・・」
「どないするんです?」
「ガキの仕置きなんざ昔から決まってる。足腰きかんぐらい尻叩きの刑だ!」
 瞬間、空気が凍った。
 その場にいた者はもちろん、撤退を始めていた武装隊員の面々や、ブリッジでモニターしていた者達、全てがだ。
 そして皆が一様に思ったモノだ。
(いつの時代の人ですかあんたは!)
 果たしてアンベールが背筋に寒気を感じ取ったかどうかは定かではないが、そんな彼の目の前で、はやては困ったような顔をしてみせたのだ。
「さいですか。どうにも困ったお人やね。おっちゃんは」
 そのコメントには、いろいろな意味が含まれているのだが、アンベールには通じなかったようだ。
「おっちゃんおっちゃん言うな! 余計老けて聞こえんだろーが!」
「・・でもそないなことはどーでもええんやよ」
 しょーもな。とでも言いたげな表情で小さく溜息をはき出したはやては、だが次の瞬間には別の表情を浮かべていたのである。
「なぁ、おっちゃん・・・。
 よくも、私のかわいい子達をいたぶってくれてもーたね・・・」
 ふと小さくうつむいたはやてが、ほの暗い炎を灯した瞳で自分を凝視してきたのを見て取ったアンベールは、思わずジリッと半歩引いて身構えてみせたものだ。
「・・アヤつけてんじゃねーぞ八神。周りやオレイン達を見てみろ! いたぶられてるのはこっちの方だ!」
「さよか? でもザフィーラはあの通り動けへんみたやし、ヴィータも外でエライ難儀しとるみたいやで?」
 にこやかに告げられる内容であっても、その実、恨み節全開である。げに恐ろしきは、その笑顔の下に埋もれた鬼のようなオーラだ。
(どれもこれも言いがかりじゃねーか!)
 アンベールは毒づきながらも現状を打開する算段を立てるべく、頭をフル回転させていた。如何に周りが敵だらけで、この身一つを守り抜けばいいとはいえ、圧倒的不利には違いがないのだ。だがどうにも事は有利に運べそうもない。
 いや、そもそも連中がニルヴァーナに乗り込んできた時点でこちらの負けは確定しているのだ。それを引っくり返せる芸当がそう易々と見つかるのならば、管理局で汗水たらして働いている道理がない。もっと楽に稼げる手段で、左団扇で趣味の時計集めに精を出しているに違いないのだ。
(・・年貢の納め時ってか・・・)
《Master.》
 覚悟を決めたアンベールの心中を察したか、ピラーホイールが囁きかけてきた。
(仕方なかんべ。八神と赤いの、ついでに後ろの女も相手にして、五体満足でいられるもんかよ。指針を三本残して攻撃態勢! フルドライブで仕掛けるぞ。場合によっては『シャフト』もだ!)
《Yes. My Master. I'll go with to Heavens.》
「洒落のつもりか!」
 覚悟を決めつつも、愛杖に突っ込ずにはいられなかったアンベールと、
「百倍返しやよ。
 ・・覚悟せーっ!」
 とはやてが呟き、吼えたのはほぼ同時。
 そして次の瞬間、はやては側らに控えていた烈火の将とユニゾンを果たし、アンベールに切りかかってきたのである。
 大剣の剣十字の斬撃を真正面から、しかも真正直に受ける気などアンベールにはさらさらない。百m走を十二秒という、年齢の割にはそこそこのタイムを出せるほどに体を鍛えていると言う自負はあるが、それでも依る年波というものがある。だからユニゾンシグナムとの鍔迫り合いは、それこそもう十年若ければ何の躊躇もなく受けてたったかもしれないが、ここは敢えてかわす事を選択したのである。
 しかし、それはある意味正解だった。
 なぜなら今のユニゾンシグナムは、先程のまでの中途半端な、アンベールが学芸会と蔑んだ不甲斐ない融合体ではない。正真正銘、百%の実力を発揮できるはやてとの融合を果たした、『完全体』と言っても良い状態。
 そんな融合体の斬撃が如何ほどに重く、そして鋭いものであるか、想像するに難くないだろう。
 そんな二人の切り結びを、背後で嘲り笑うのはゼラフィリスだ。
「クハハハハハ・・・ッ!
 いいぞいいぞ。やれやれもっとやれ。斬り合って削りあって傷つけ合うがいいさ。血みどろの殺し合いをあたしに見せておくれ!」
 アンベールの注意から外れたゼラフィリスは、気を失ったまま地に伏せるザフィーラの懐から優々とロストロギア『セフィロトの枝片』を取り出すと、幾度目かの狂笑をもらしてみせた。

 八神はやてとヴォルケンリッター。そしてニルヴァーナに乗り組んだ面々の長い長い一日は、まだ終わりを迎えられそうにない・・・。



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