魔法少女リリカルなのはA's VerH −宵闇の小夜曲−



 今日の『それ』を特に酷かった。
 街中で『それ』に襲われれば、まず立っていられなかったことだろう。顔は血の気を失い、脂汗を浮かべながら、うずくまる様な事態になったに違いないのだ。
 とにかく、そんな重度の鈍痛が襲いかかったのだ。何の予備知識もなく、突然そんなものに出くわしたりしたら、取り乱して当然だ。
 そしてそれは、彼の傍らに控えていた者も巻き込むのだ。
「ゼロ。ゼロッ! リンクを切れ! 向こうに引っ張られて自我を保てなくなるぞ!」
 ゼムゼロスはゼロの肩を、意識をこちら側に保たせるために、力を込めて握りしめながら揺さぶった。多少は加減しているつもりではあったのだろうが、それでも明らかに尋常ではない握力で加えられていることが分かるほどに、彼の指先が食い込んでいた。
 だが彼の呼びかけも空しく、ゼロは下腹を抑えて苦しむばかり。
 一体どうすればいいと言うのだ!
 前にも後ろにも引けないこの状況に、ゼムゼロスは頭を抱えたい衝動に駆られたのは言うまでもない。
 しかしそんな彼の努力が、あるいは思いが通じたのか、ゼロがか細い声で囁き返してきたのだ。その時ゼムゼロスは、確かに一本の光明を見た気がしたとしても無理はないだろう。
「分かってる・・・。でも、ゼラをあのまま放っておく分けには・・・」
 しかしゼロの口から紡がれた言葉は、彼の労力を悲しいまでに鑑みられたモノではなかったのだ。管理局の艦の中で起こっていることは、ゼムゼロスにも分かっている。しかし誰がどう考えてみても、この場はゼラフィリスの事は見放し、次の機会を伺う事にした方が得策なのだ。それに、そうすることを彼女自身も望んでいるに違いない。
 それが分からないゼロでもあるまいに。
 それを諭すために、ゼムゼロスは声を荒げ、
「お前にもしものことがあれば、我らは生きる意味をなくしてしまう! お前の気持ちも分からんではないが、ここは無理でも聞いて貰うぞ!」
 最後の手段とばかり、荒事におよんでゼロをこちらに戻そうと決断したその時だった。ゼムゼロスは、ゼロの口から信じられない言葉を耳にしたのである。
「そうはいかんで。あんたらの身柄は、この八神はやてが抑えるんやからね」
「! 貴様!」
 ゼロの口から紡がれたその言葉。声色はゼロのモノだった。しかしその口調は明らかに別人のそれ。そしてそれは間違いなくはやてのものだった。
 そうだ。彼女は存在しない器官の痛みに戸惑うゼロの隙を突いて自己を取り戻すと、張られたままのリンクを逆にたどって、ゼロの体の優先権の掌握に掛かってきたのだ。
 だが、それは彼女一人の力によるモノではない。
 反対するシモーネやクリスを速攻で説得し、目には目をと意気込むシグナムとリインフォースとともに、総勢五人がかりで仕掛けてきていたのである。並大抵の防御壁が何枚あろうと、このメンバーの前には紙切れ同然だ(はやての『それ』は、これ幸いとばかりにゼロに押しつけられているため、彼女自身は歯牙にもかけない状態だ。酷い話である)。
「時空管理局、特別捜査官八神はやてや!
 ロストロギア強奪容疑と、管理局所属艦への威力侵犯の現行犯で、あんたらゼーレを逮捕する! 大人しく武装を解除しい! 無駄なてい・・こう・・は・・・」
「・・ゼム! 枝片を持って逃げろ!」
 突然、はやての口調が鈍ったと思うと、今度はいつもの彼の口調で、ゼロがゼムゼロスに逃げろと、悲鳴を上げるように命令してきた。
 気がつけば、ゼロの指先が目まぐるしい勢いで横笛のホルダーを押し込みコマンドを送り続けている。並行世界に存在する『あちら側のゼロ』が強制的に介入し、優位権を取り戻そうとしているのだろう。彼らゼーレのデバイスの処理能力は、五人がかりのそれと拮抗するほどであるらしい。
 だがそんな言葉に大人しく従うつもりなど、ゼムゼロスに在るわけがない。
「バカを言うな! お前がいなければ我らは存在する意味がないと言ったではないか!
 切れ! リンクを切るんだ! ゼロ!」
「ダメや! させんよ! 無駄な抵抗はやめて・・・」
「ダメ・・だ! 聞けない、それは聞けないよはやてちゃん! 僕らには、願いがあるんだから!」
「ならそれ聞かせて! 話を聞く用意はたくさんある! だから!」
「・・えーい黙れ! 管理局の小娘が!」
 意識を保ち、言葉を口にするのも苦しそうにするゼロ。しかしそれはすぐにはやてのモノへと取って代わる。だがその様は、端から見れば一人二役をこなす、ある意味、漫談の様相を呈していて、酷く滑稽に映るので、緊張感がないと言えばない。
 だがゼムゼロスにしてみれば、笑い話どころではなかった。むしろそれは、彼が崇拝する対象に対しての、冒涜行為以外の何物でもなかったのだから当然だ。
 だからゼムゼロスは、デバイスを手にするゼロの右腕に、己が手刀を叩きいれ、前腕と二の腕とに切り離してしまったのである。
 ゴキッともメキッとも聞き取れる嫌な音を響かせ、ゼロの右腕は二つに分かれてしまった。それはゼロの感覚器官を通して見聞きしていた者達にとって、身の毛もよだつ凄絶な光景となって、その耳目に届けられたのである。
 一人は顔面を蒼白にし、泡を吹いて倒れかねないほどに驚愕してみせた。
 一人は、その冷徹なまでに確かな判断を下したことに、素直に感嘆してみせた。
 一人は、彼らの絆の固さに、驚きを禁じ得なかった。
 そして今一人は、彼らが互いの存在をどんなに大事にしているかを知ったのである。
「離脱するぞゼロ! 管理局の小娘! ゼラフィリスは一時預ける!」
 自らのデバイスと、ゼロのデバイス。さらにゼロの右腕を両の脇に抱えたゼムゼロスは、次の瞬間、その体を分体化し、それぞれがてんでバラバラに転移魔法を使って、この場を離脱していったのだ。万に届こうかという分体全てを追うことなんか出来ないことを見越しての逃走方法だった。これにはクリスも、そのサポートにまわっていたシンシアにも、お手上げで、追跡することは敵わなかったのだ。

   ◇

 その後の展開は、生き馬の目を抜く様な、忙しないモノとなった。
 はやては、リンカーコアやその周辺に、まだウィルスが潜んでいる可能性があるのと、ゼーレとの接触による精神汚染や思考の変化が出ていないかを確かめるため、三日間、隔絶された環境下に置かれ、検査されることとなった。
 同じ理由で、システム改竄などの有無を確認するため、ヴォルケンリッターはシステム的に凍結状態にあった。はやての検査が良好であれば、彼女達はその時初めて解凍され、精査される手筈になっている。
 一方、艦体の修復にかなりの労力を裂いたシモーネは、転移魔法で散り散りになったゼーレの追跡を早々に打ち切ると、代わりに残ったセフィロトの枝片の収集に注力することにした。ゼーレの面々と鉢合わせする可能性はぬぐいきれなかったが、それはないだろうとシモーネは考えていた。
 確かに彼らは枝片を収集することを主眼に置いてはいるが、今は切り離し、持ち去った仲間の体の修復に全力を注いでいるはずだ。はやてが持ち帰った情報が確かならば、彼らはあの少年の姿をした魔法生物をリーダーとして仰ぎ、付き従っているとのこと。逃走後、消滅した彼の体を修復することは、枝片を収集することよりも優先順位は上のはず。そう判断したからだ。
 そしてそれを裏付けるように、クリスとシンシアの頑張りによって判明した枝片の残り三つの所在地で、彼らの姿は確認されていない。だが、いつ何時、現れるかは分からない。多少なりの妨害はあるかもしれない。油断しないようにと、現場に出ているオレインには再三再四、注意を喚起している。だから三つ全てを確保できれば言うことはないが、最低二個は確保できれば上々だろうとシモーネは考えていた。

 ファントムブレイズで拘束されたゼラフィリスは、下手に動かせば分体化、逃走する可能性があるばかりか、対応した人間が捕食される危険性もあったため、第二十八ブロックごと隔離され、拘束され続けられていた。またデバイスであるネイプドアンカーは、そのあまりの特異性から専門的な解析が必要と判断され、強制機能停止処置を施された後、管理局本部へ輸送される手筈となっていた(管理局が定めた規格に則った停止機能を有していたため、ミッドチルダにて開発されたものと当たりを付け、その線で調べられる方針だ)。

 左舷を著しく損傷し、中破したニルヴァーナは、ガーフィールドやオブライエンら技術スタッフの不眠不休の頑張りにより、通常航行ならば問題ない状態にまで復旧されている。当然、次元航行や戦闘機動といった運用は難しく、この事件が解決するまでの間、ランスベルク周辺空域に駐留を余儀なくされた。

 そうして、ランスベルク世界で三日の時間が経過したころ、はやての隔絶検査が終わりを遂げたのである。

「う〜〜〜〜〜〜〜〜んっ」
 ようやく窮屈な思いから解放されたはやては、これでもかと言うぐらいに、手足を突っ張って背伸びしてみせた。気分はムショから出てきた受刑者そのものである。
 そんな彼女の背後で、隔絶用の施設として一時的に供出されることとなった艦長室の扉が、音を立てて閉じられ、目の前には、よく見知った顔ぶれが並んでいる。
 シモーネがいる。クリスがいる。アンベールの隣には、この三日間お世話になった医務担当のおばさん(米映画に出てきそうな恰幅のいい人)がいた。
 だからはやては伸びの後、大きく息を吐き出すと、大きく腰から直角に曲げるようにして、
「お世話を掛けました」
 と元気よくお辞儀して挨拶したのである。
「はい。ごくろーさま。もう悪さしちゃダメよ」
 冗談めかして医務担当のおばさんが、はやての首と腕にはめた魔法抑制用のチョーカーとブレスレットを外しながら言ってきた。流石に、それにははやても苦笑いを返すしかない。
「ハイ。気をつけます」
「よろしい。お母様がお待ちですよ」
 おばさんはそんなことを言いながら、はやての両肩に手を置くと、シモーネの方へと押しだした。
「お務め、ご苦労様です」
 するとシモーネは、目尻に浮かんだ涙をぬぐうような真似事をして微笑んでくる。まさかそんなノリの良い事をしてくれるとは思わなかったはやては、
「ただいま」
 と一言こぼしてシモーネに抱きついてみせた。
 ぎゅ〜〜〜〜〜。
 実の母親にするように、はやては万感の思いを込めて抱きついた。
 ありがとう。お母さん。また助けられました。
 外界との接触を断たれた隔絶検査は、はやてをして、気を狂わせんばかりに酷く不安にさせたものだ。そんな彼女の一助となったのが、艦長室に残されたシモーネの手荷物だったのである。
 艦長室に微かに残る移り香や、ニルヴァーナ就航時に一緒に写した写真などがそれだ。もちろん、その様なものを持ち込むのは戒められるべきものなのだが、艦長が黙認してしまったために、結果うやむやになっていたのである。
 しかしそれらがあったからこそ、はやては落ち着いて検査に望むことが出来、そして精神汚染などの心配は皆無と、判断が下されたのだ。むしろそれがなかったら、精神汚染のその前に、生理による情緒不安定も相まって、はやての心は不安に苛まれ自滅してしまったかもしれないのだから、ここは目をつむって然るべきなのだろう。
 そんなはやての思いが伝わったのか、シモーネは春の日差しのような笑顔とともに、優しく彼女の頭を撫でる。その様は、本当の親子のようにも映って、絵になった。
 だが、どこまでも芝居がかったそんなやり取りに水を差す御仁が、そこにはいたのである。いや、むしろその役を押しつけられたといった方が正解かもしれない。そんな損な役割を押しつけられたのは誰でもない。はやての上官にして監督官であるマクシミリアン・アンベール。その人だった。
「あ〜、そろそろ・・いいか?」
 心底申し訳ないと言うような猫なで声で語りかけてくるアンベール。しかし、もう少しぐらいいいじゃないですか! というシモーネの非難の視線に、挫けそうになる心に鞭打って、どうにかこうにか自制してみせたアンベールは、はやてに告げたのである。
「ゼーレの連中から、お前宛に招待状が届いてる」
 最初それを聞いた時、はやては言葉の意味を理解できなかったのか、キョトンとして、惚けた顔をしてみせた。だが僅かばかりの呼吸を繰り返すうち、岩に染み入る水の如く、その言葉の意味を正確に理解していったはやては、その表情をみるみるうちに精悍なものへと代えていった。
「・・それ、いつ届いたんです? 刻限は? まだ余裕はあります?」
 まるで噛み付かんばかりの勢いで、はやてはアンベールに詰め寄った。
 そんなはやての勢いに、シモーネもアンベールも、ゼロとの精神接触による後遺症はないと、改めて理解したらしい。
「わかったからせっつくな。落ち着け!」
「落ち着きますから、早よ教えてください!」
 その勢いに押され、たじろぐアンベールの苦し紛れの言葉に、はやては素直に従った。一歩後ろに引いて、直立不動の姿勢で、アンベールの言葉を待っている。まるで命令を忠実の実行したワンコのようだった。
 その様子に小さく溜息をついたアンベールは、襟を正すような仕草をした後、
「今から九時間ほど前だ。
 ロストロギアの回収に出張ってたマイヤーの部隊に、連中の仲間・・って言っていいのか? ん? ああ、分体ね分体。その分体ってのが接触してきた」
 ニルヴァーナに乗り込んでから、ロクにヒゲを整えていないのか、目立つ無精ヒゲをさすりながら説明するアンベールに、クリスが合いの手を入れる。それに右手を挙げて礼を返した彼は、尚も説明を続けるのだった。
「『そちらが回収したセフィロトの枝片計三個を持参して、指定した場所に来られたし。昇華の儀式をご覧にいれよう』・・だとさ」
「場所と日時は?」
「ここです」
 はやての疑問に、クリスが素早く反応してみせた。
 はやてとクリスの間に浮かび上がった空間モニター。そこにはランスベルクの球状地形が表示されていた。その中に、赤く灯る一点が示され、その脇に今から二一時間後の時刻が記されている。
「ここ、何か特別なもんでもあるんですか? 儀式やなんて大仰な事言うんやから、何かしら意味がありそうやけど?」
「そう思って、ち、調査はしてみたんですけど、枝片が封印されていたような、いせ、遺跡のようなものは存在しないし、惑星の磁場的にも、地殻的にも、あと直近の気象よそ、予測的にも、特にこれと言って問題はないんです」
 クリスのいつも通りの口調による解答を聞きながら、はやては戻ってきたんだという実感を噛みしめつつ、首を捻ってみせた。
 確かにその位置を確認するに、磁場が集中するようなパワースポットや、磁場や重力異常を示すような数値は見受けられなかった。また大陸棚の中心近くと言うこともあり、地盤は固く、活断層も見あたらない。だから地震が発生するような地殻変動が起こる心配もない。気候的にも安定していて晴天が多いらしいし、気象的にも指定された時刻に台風や竜巻、スコールといった悪天候に見舞われることもなさそうだった。となれば、何かしらの遺跡めいたものでもあるのか? と考えるのが自然なのだが、しかしこれだって該当するような存在は近辺には存在せず、一体全体、何故ゼーレがこの場所を指定したのか、その意図が全く分からなかったのだ。
 むー。
 だから、はやてが腕組みして考え込むのは至極当然だった。
「とにかくだ。ここで考え込んでても仕方あるまい。取りあえず準備を整えろ。話はそれからだ。
 それに連中がお前を招待したって事に、何か意味があるのかもしれん。
 本来なら引き留めるところなんだが、聞きゃーしないだろう? お前は」
 振り向けば、やれやれと顔をしかめているアンベールの姿がある。そしてシモーネの姿も。
 ああ。自分はまた、たくさんの人に迷惑を掛けてるんだなぁ。
 そんなことを考えるはやて。だがそれは、顔に出てしまっていたらしい。
 はやてに向き直ったシモーネが、膝を折って目線を併せてくる。
「いいんですよ。私は、あなたにならどんな迷惑を掛けられても、笑って受け入れてあげますから。
 だからそんなことを考えず、思いっきりやってきなさい。
 後悔のないように・・・」
 公にはなっていないが、闇の書事件終結後、シモーネの元にはやてが預けられたのは、リンディやレティ、さらにはギル・グレアムらの手引きがあったからだ。だが、果たしてそれは正解だったらしい。
 未婚で身持ちの堅い独身女性でありながら、シモーネがはやてに向けるそれは、人一倍強いの母性愛に他ならない。
 そんな彼女が口にする言葉だ。嘘偽りであるはずがどうしてあろう。
 本当にこの人は、私のことを考えてくれてるんやなぁ。
 はやては、包み込まれるような愛情を胸一杯に感じ取りながら、目頭を熱くさせたのだ。
「・・でも、私の下着を物色するのは許しませんけどね」
「ゴメンナサイ。モーシマセン」
 だが一転。逃がしませんよばかり、いたずらっ子のような笑みを浮かべたシモーネは、はやての両手をギュッと握りしめて離さない。
 隔絶検査の際、該当する行動をとっていたはやてとしては、バレてたんやと観念するなり速攻で謝罪しみせた。常日頃、ヴィータが仕掛けたいたずらに対して、謝るべきものは然るべき時でなければ意味がないと、力説してるが故だ。
 しかしその口調はどこか棒読みで、信憑性に著しく欠ける。だからシモーネは、はやての目をのぞき込むように顔を近づけ、本当ですね? と目顔で詰問するのだが、はやては何か後ろ暗いことでもあるのか、「確約できません」とかこぼして視線を反らしてみせるのだ。つまりは自白してるも同じで、お母さんは実力行使に出るしかありません。
「は―や―て―さ―ん――――!」
 シモーネは視線をそらすはやての肩をガッシと掴みなおすと、まるで船を漕ぐ櫂のようにしてガックガックと揺すって叛意させようとするのだが、対して揺さぶられる方のはやてはといえば、
「言〜え〜ま〜せ〜ん〜〜〜〜〜」
 グルグル目を回しながら拒み続けるのだ。
 そんな二人が繰り広げる母娘ゴッコは、正しく幸せ空間を半径五mの範囲内に現出させ、範囲内に取り込まれた人間を、常時ホンワカムードに浸らせる。
 が、話の腰を折られまくってる人間に対してその効果は発揮されず、代わってその顔には面白くもなんともないと雄弁に刻み込ませるのだ。
「ウォッホン!」

 ? アンベール君が再度、顎の先に梅干し作ってこっちを睨んでますよ。なんでしょうどーしました?
「またこんな役回りかよ!」
 あーそのこと。仕方ないじゃん。あんたどこまでいっても狂言回しなんだから。
「ゴルァ!」

「あ、あれ? まだいたんですか?」
 咳払いして自己主張したアンベールの存在を、ようやく思い出したと言わんばかりの口調で、はやてはバッサリと、それはもう袈裟切りどころか脳天唐竹割りのような勢いで、切って捨ててみせた。
 彼女にしてみれば、一家団欒の和やかな雰囲気をぶち壊すような存在はのーさんきゅーだったので、その様な物言いをしたのであろう。もしくは、
 お母さんはわたしのモンや! おっさんになんか渡さへんで!
 という自己主張だったのかもしれない。
 しかし切って捨てられた方は、我慢ならなくて当然だ。ついでに言えば、堪忍袋の緒も盛大にブチ切れたらしい。
 イーッと顔を歪めて威嚇するはやての内心を垣間見た様な気がしたアンベールは、調子に乗るなとこめかみに青筋を浮かべると、剣呑な視線でもって彼女を睨め付けた。
「い〜い度胸じゃないか八神ィ。
 お陰でな、俺はお前が艦内で暴れてる最中に、思いついたことがあったのを思い出したよ・・・」
「操られてた時分の事持ち出されてもな〜。記憶にないことやし、ゴメンしてくださりません?」
 はやてはアンベールの怒りを歯牙にも掛けず、口元を手で隠すと、まるで八百屋の軒先で店主と買い物の値切り交渉でもするみたいに、まーまー落ち着いてと促した。
 だが、それが決めてとなった。
 ブチッ!
 不意の強風にあおられ、テンションに耐えきれず、断線した凧糸みたいな音が確かに響くと、アンベールが烈火の如く吠えたのだ。
 それはそうと、ゼーレとの戦闘対策を云々するのはどこかにいってしまったらしい。
「いーや。絶対に許さん。
 大人しくそこに直れ! お前の尻、百叩きしてやる!」
「と、年頃の女の子のお尻になにしよう言うんや! このセクハラ親父! スケベヘンタイ! 地獄に落ちるで!」
 クワッと吠えたアンベールの勢いか、はたまたその内容にか。パッと素早く飛び退いてみせたはやては、両手を背後に回して大事なお尻を護ってみせた。
 百回も叩かれたら、腫れ上がって形悪なってまうやんか! アオタンみたいなアザになれば、蒙古斑と勘違いされて一生モンのトラウマやで!
 半ベソによる抗議の視線はその様に物語っていて、逆にその反応に満足したアンベールなどは、東京湾に上陸した大怪獣の如く、ノッシノッシと近寄り手を伸ばしてみせた。
「やかまし・・い?」
 しかしアンベールの声は、端から見ていて面白いぐらいの勢いで、気勢をそがれていったのだ。何故なら、二人の間に割って入ったシモーネが、アンベールに非難と軽蔑の視線を、そして般若の如き殺気を放っていたからである。
 彼女の絶対零度の視線に晒され、更には地獄の業火みたいな殺気に中てられたアンベールは、意気消沈しかける心に鞭打って、何とか抗弁しようとしてみるものの、なかなか二の句が告げられない。
「お前さんの負けだね」
 そんな見るからにアタフタと慌てふためいているアンベールに、背後からそんな声が掛けられた。誰あろう、これまでの成り行きを見守っていた医務担当のおばさんだ。
 しかし、彼女の言い分に納得できないアンベールは抗議した。半ば八つ当たりぎみでもあって、情けなさ半分ではあったけれども。
「いや、いやいやいや、ちょーっと待ってくれ。
 あ、あんただって八神が艦内で暴れたりしなけりゃ・・・」
 余計な仕事をしなくて済んだはずだ。と続くはずだったアンベールの言葉は、しかし最後まで口に出来なかった。
 おばさんが、バンバンと殊更強くアンベールの肩を叩いて阻んだからだ。
「男がいつまでも古いことにこだわってんじゃないよ!
 その件に関しちゃ、もう無罪放免って事になったんだろう? それを蒸し返すなんて、あんたの株を余計に落とすってもんさね。違うかい?」
 下手すれば同年代、同学年のおばさんに、年上の貫禄でもってそんなことを言われてしまっては、最早アンベールに立つ瀬があるわけがない。それに落ち着いて考えれば、艦内で負傷者が出れば、それを治療するのが彼女の仕事なのだ。何事もないのが一番ではあるが、医術を天職としてる者に向かって、余計な仕事をしなくて済んだはずだなんて、言って良い言葉ではないだろう。ある意味、侮辱だ。
 だから余計、自ら墓穴を掘ったのかと理解したアンベールは、みっともなくも、なんとか自分を擁護してくれる者はいないかと辺りを見回したのである。
 が、その場にいた最後の一人であるクリスは、
「これまでの情報はこれにまとめてあるから、さ、参考にしてね」
 とはやてに言い残すや、我冠せずとばかり、回れ右をしてスッタスッタとその場から立ち去ろうとしていたのだ。
 三対一(無効一)。
 その構図が出来上がったことを悟った彼は、だが次の瞬間、起死回生の一手に気がついたのだ。
 これだ。この手だ。これならこのこましゃくれて可愛げのない娘ッ子の鼻っ柱を、へし折ってやれるはずだ!
 ナイスな考えに、思わず小躍りしそうになったアンベールだが、それを必死に押さえ込むと、代わって降参とばかりに両手を挙げてみせたのだ。
「悪かった。降参だよ。
 ・・ったく、なら、とっとと仕度しろ。連中の意図はどうあれ、お前は自分でやる気、満々なんだろう? バックアップは俺らに任せて、思いっきりやってこい」
 飜って、話を戻したアンベールの口車に、果たしてはやては乗ってきた。
「もっちろんですよ。シモーネ提督が引き留めたって、わたしは行きます!
 レイ君たちを止めるんは、わたしを置いて外にいないんやから!」
 グッと握り拳を作って明言してみせたはやては、確かに頼もしかった。しかし次の瞬間、その顔がどう変わるのか楽しみで仕方のないアンベールは、確実にはやてを釣り上げるべく、更に仕掛けを落としたのである。
「意気込みは良いが、時間がないぞ。
 ヴォルケンの連中はお前の検査が終わるまで凍結したままになってる。解凍して欠損を修復するにしろ、その後のシステムチェックするにしろ、時間が掛かる事に代わりがない。
 パートナーのお前が来なけりゃダンスパーティーは始まらんとはいえ、連中が何をしでかすか分からないのはよく分かってるはずだ」
 ザフィーラが作り出した結界魔法を、セフィロトの枝片二個を干渉させるという力業で強引に、自らの危険も顧みず破壊した経緯が既にある。最終的に向こうが集めたロストロギアは七つ。そしてそれら全てを干渉させて得られるエネルギーの総量は、簡単にランスベルクを破壊し、時空間震動や次元断層による多大な被害を、周囲に撒き散らすことになるだろう。
 仮にはやてが赴かなかったとして、まず確実に、連中はそのようにして迫ってくるはずだ。
 指定された刻限まで、まだたっぷり二十時間強あるとは言え、時間が足りない事に代わりがない。
 別途、オレインら武装隊がゼーレの足取りを追ってはいるが、積極的な戦闘行動が望めない背景があるだけに、その成果は芳しくなかった。そして彼らと剣を交えられる唯一の存在、ヴォルケンリッター達は、はやて同様、システム改竄の懸念が拭えない。したがってはやての検査終了後、唯一支配下に置かれていなかったシャマルを呼び寄せ、彼女をベースに比較検証し、システムの精査を図る必要がある。しかしそれには膨大な時間が必要だった。果たして刻限までに間に合うかどうか・・・。
 そう。当面は、時間との戦いだったのである。
 アンベールの指摘に、
「確かに・・その通りやね。急ぎましょう!」
 はやてはシモーネに目配せして、ヴォルケンリッター達の解凍処理を依頼すると、踵を返してブリッジへ急ぐことにした。一分一秒でも早く、シャマルを呼び戻す必要がある。思念通話は、地球にいる彼女にまで届かないから、ブリッジに赴かなければならない。
 だから脚に不安のまだあるはやてはシモーネの肩に抱きつき、そしてシモーネは解凍処理の申請をその場で受理すると、はやてを抱き上げ、お姫様ダッコの様相で掛けだしたのだ。
 意気揚々と乗り出したはやて。だがそれこそが、アンベールが仕掛けた罠だったのだ。
 この時、この瞬間を待っていたぞ!
 思わず、フハハハッと高笑いしそうになるのを必死に抑え、アンベールは餌に食いついたはやてを、釣り上げに掛かったのだ。
「連中も心底心配してるだろうよ。
 そんなおしゃれした主さまが、向こうで何をしでかしたのをな!
 よ〜っく事細かに聞かせてやるがいいさッ!」
 そんなアンベールの物言いに、シモーネなどは首を傾げるばかりだったのだが、しかしはやては何か思い当たるところがあったのか、ギクリと硬直してみせたのだ。
 そうだ。はやてはゼロとの逢瀬の際に着ていた少女服を身に纏ったままだったのだ。そんな格好のままヴォルケンリッターの面々と再会したりすれば、開口一番、どうしてそんな可愛い格好してるのか問い質してくるだろう。
 即ち、市民プールでの出来事から月村邸での乱痴気騒ぎ。そして喫茶『翠屋』で繰り広げられた出来事まで、正直に、包み隠さず話さねばならないだろう。
 そして肝心なことだが、そうしなければ、はやての体に仕組まれた巫山戯た仕掛けの説明もまた出来ないのである。せめて市民プールでの出来事はぼかして説明したいところだが、そういう話に滅法鋭い有閑マダムがいる。あっさりと看破してみせるに違いない。
 そこまで思い至り、顔を青ざめさせたはやての脳裏に、月村邸でメイクを施してくれる忍に向けて語ってみせた言葉が甦った。
(当たり前です〜! うちのみんなに知れたら、キレた後に拗ねてしばらく口聞いてくれへんようになるか、戸惑って前後不覚になりおるか、尾ひれつけて話を大きくするか、四六時中ついて回るに決まってるんです〜〜〜!)
 事が事だけに、きっとそれ以上の行動を示すに違いない。ヴィータとシグナムのあたりなんか特に!
 冷や汗を垂れ流し、ワタワタと慌てふためくはやてに、シモーネは不審な顔をしてみせる。
「どうしたんです? その服を着ていることを説明するのに何か不都合でも?
 こんなに可愛くて似合ってるのに」
「いやその、可愛い言うんは有り難いんですけど・・そのつまりですね・・って、解凍処理中断してもろても・・・」
 ゴニョゴニョと要領を得ないはやては、青ざめていた顔を一転、紅潮させるも、しどろもどろに誤魔化し始めた。
 そんなはやての説明に首を捻るばかりのシモーネは、
「・・一足遅かったですね。三分後に処理は完了しますよ?」
 と、既に手遅れと説明したのだ。
 してやられた!
 まさかこんなくだらない方法で、遠回しに仕返しを仕掛けて来るとは思ってもみなかったはやては、悔しそうに握った拳をパタパタ振り回し、アンベールに向かって非難の言葉を投げつけたのである。
「おっちゃんのあほ〜! 根性悪〜〜ッ!
 あ〜んぽ〜んた〜ん〜〜〜〜〜ッ!」
 今にみてろーと小さくなっていくはやての声に満足し、ようやく溜飲を下げる事の出来たアンベールは小さくガッツポーズをしてみせた。
 実際ところ、はやてがあの服を着ることになった要因を彼は知らない。普段から、彼女があの手の服を着ている様子がないことから、おそらくは借り物だろう。そして何かしらの要因が、そこにあるに違いないと、彼は長年の経験から推測してみせたのだ。
 ふふーん。いい気味だ。今夜の酒はきっと旨いに違いない♪
 一人そんなことを考え、悦に浸るアンベールに、まだいた医務担当のおばさんが、
「みみっちいねぇ」
 と残して立ち去ったのだが、アンベールの耳にその声が届いたかどうかは、はなはだ疑問であった。

    ◇

「たっだいまー♪」
 時空管理局の本局にあるトランスポンダを介して、ニルヴァーナに帰還したヴォルケンリッターが一人、湖の騎士シャマルは、まるで忙しい合間を縫って、休暇でバカンスを楽しんできたOLのようなテンションでもって現れた。
「・・・あら?」
 しかし転移装置の周りに、出迎えの人影は存在しなかった。しかも照明の輝度調整がされている所為か、薄暗さがやたら気に掛かって仕方がない。お陰で、いつだかはやてと一緒になって見たホラームービーのような既視感を覚えた彼女だったが、きっと気のせいだと思い直すことにして、他のヴォルケンリッターと合流すべく、通路へと続く扉をくぐり抜けた。
 しかしシャマルは、通路を如何ほども進まないうちに、艦内の様子がこれまでと違うことに気がついた。いつもであれば、通路の隅に落ちている塵一つでも見つけられるほど、煌々と照りつけているはずの照明が、弱められて灯されているのだ。
「・・ドッキリじゃないわよね・・・」
 思わず口をついて出たトンチキな自分の発言に小さく咳払いを一つして、シャマルはともかく仲間達の元へと急ぐことにした。

 取り急ぎ、艦に戻るように。
 八神邸で自宅療養していた自分の元に、はやてから届いた緊急帰還命令。それには彼女が戦列を離れた時点からの記録が簡潔に記されていた。それは我が目を疑いたくなるような内容だった。
 はやてを中心としたヴォルケンリッター達による造反行動。そしてそれに伴うニルヴァーナへの破壊活動。
 かつての主人に付き従って、数多の破壊工作や非人道的な作戦行動をしてきたとは言え、友好を暖めてきた人物が乗る艦に対してのそれは極めて希だ。まして、シモーネとはやての繋がりをすぐ側で見つめてきたと自負するのであれば、俄に信じられるものではない。が、文末には主であるはやての署名が確かに記されている。
 嘘であってほしいと思わずにはいられない。プログラムによって生み出されたシャマルとて、一個の人格を備えた存在である。目の前に事実を突きつけられてもなお、信じたくないと、心が悲鳴を上げ続けるのだった。
 だからだろうか。知らず知らずのうちに彼女の歩みは早くなり、いつしか長いスカートの裾をひるがえして駆け出していた。
 途中、すれ違ったオブライエンとぶつかりそうになり怒鳴られた。それはニルヴァーナが進水してから何度となく見られた、普段通りの光景でもあった。でも今回ばかりは少しばかり趣が異なる。
 何度も頭を下げて平謝りするシャマルに対し、しかしオブライエンは、そんなに恐縮するな。と声を掛けると、シッシッと追い払うように手を振ってみせたのだ。
 あーいうタイプは絶対、亭主関白やね。ヘタすると奥さんにももー逃げられてるんちゃうか?
 というはやての批評通り、お小言が始まれば三十分は解放しないのがオブライエンだった。そんな彼が、さっさと行け。と気を遣うなんて、青天の霹靂以外の何ものでもない。
 だからシャマルは一瞬、惚けた表情を浮かべたのだが、「なんだ。雷がほしいのか?」と不敵な笑みで切り替えされては否応もない。もう一度平身低頭して謝った彼女は、逃げ出すようにしてその場を後にしたのだった。
 言いたいことも山ほどあるだろうに、オブライエンは彼女をなじらなかった。その心意気に感謝しつつ、シャマルは仲間の元へと急ぐ。
 しかし歩みを進めるたびに、彼女の心は澱を沈めていくように、重くなっていくのだ。
 皆が苦しんでいた最中、自分はのうのうと普段の生活を続けていたのだ。負傷した傷を癒すという名目こそあったものの、それを理由にしていい訳がない。
 だからだろう。はやてから送られてきた書類の備考には、
“なるべく明るくして帰ってきてな”
 としたためられていたのだ。
 勿論、仲間達が彼女を責めることはないだろう。だがそれを許せない自分がいる。
 そうして悶々と悩むことで、負のスパイラルにはまることになるのだが、しかしシャマルは、敢えてそうして自分を戒めたのだ。主と大切な仲間達を大事に思うからこそ。

「たっだいまー♪」
 盛夏のひまわりみたいな笑顔を振りまいてヴォルケンリッターが一人、湖の騎士シャマルは、まるで忙しい合間を縫って、休暇でバカンスを楽しんできたOLのようなテンションで、大事な仲間達がいる部屋の中へと踏み行った。大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐きだした後で。
「・・・あれ?」
 だがしかし、部屋の中は暗かったのだ。
 たまさか、自分は転送装置の場所に戻ったのかとシャマルは我が目を疑ったが、そこは確かにヴォルケンリッター達に割り当てられた部屋だった。
 しかしそこは暗かったのである。
 いや、照明は確かに点いている。節電中と言うこともあり、明度こそ落とされていたが、確かに照明は灯っているのだ。
 しかしそこは暗かったのである。主に雰囲気が。
 ドンヨリと立ち籠める重苦しい雰囲気溢れるその部屋は、まるで百怪談でもしているのかと言わんばかりに暗かったのだ。そのお陰で、部屋の中が暗いと錯覚してしまうほどに。
 その暗い雰囲気の中心にましましているのは誰あろう、二つの赤毛のお下げが特徴的なヴィータその人だったのである。
 備え付けられたベッドの上にあぐらを掻いて座り込み、枕をぎゅーっとむちゃくちゃ強く抱きしめて、臍を曲げていますという見本のような難しい顔を作っている。こんな時に話しかけると、大抵、後が怖いことは経験積みだ。
 だがそんなことでへこたれてはいられない。
「ど、どうしたの? みんなやけに暗いわよ・・・?」
 お通夜のそれではなく、ただただ重苦しいだけの雰囲気に及び腰になりながらも、シャマルは努めて明るく声を掛けるのだった。
 そんなシャマルの存在をようやく認識したのか、
「おせーぞシャマル。またむこうで、近所のおばちゃん達とくだらない話でもしてて時間くったんだろ〜?」
 ぷぷ。しょーがねー奴〜。とばかりにヴィータはあきれ顔をしてみせたのだ。
 その物言いと態度に、ちょっと癪に障ったらしいシャマルは、ムッとへの字口を作ると、その隣のベッドにいるシグナムに、なんとかいってよ。と視線で訴えかけた。
 しかしシグナムはと言えば、しようのない奴め。とヴィータの言葉が百%ズバリそのままであると確信してるかのような表情を浮かべてみせるではないか。
「ヒドーイ!」
 ズガンッと特大のショックを受けたシャマルは、部屋の奥にいたザフィーラに意見を求めることなく、部屋から飛び出していったのだ。
「・・どっかで見たドラマまんまの行動だよな。あれって」
「お前もそう思うか」
 ハハッ。
 二人は同時に乾いた笑いを吐き出し合ってみせた。それはやるせない気持ちを通じ合わせた者達だけができるニヒルな笑いそのもので、しかし次の瞬間、彼女達は空しさをその胸に去来させたのである。
「「・・はーっ・・・」」
 そんな二人のやり取りを、伏せの姿勢のザフィーラが、やれやれというため息をつきながら眺めていたのだった。

 彼女達が暗かったのは、何も自分たちがしでかした事の重大さによるモノではない。
 闇の書に付き従って犯してきた大罪に比べれば、『この程度のこと』など爪の先ほどでもない。
 ならば、彼女達の心を沈めるのは何なのかと問い詰められれば、単に、はやての『初めてのちゅー』が奪われたことだ。
 事の当事者であるはやて本人は、力の限り、全精力を傾けて「事故やった!」と主張したものだが、ならば何故、そんな可愛いらしくも気合い全開な服を着ているというのか!
「はやての裏切り者ーっ」
「・・主よ・・見損ないました!」
「だーかーらーっ!」

 カンカンガクガク。あーでもないこーでもない。ケンケンゴウゴウ。

 そんな、どーでも良い論議が三時間ほど続き、シャマルが到着する直前になって、ようやく騒ぎは一段落し、はやては疲労困憊。ヴィータとシグナムはこの世の終わりみたいな影を背負って、部屋に引きこもってしまったのである。
「あーしんど・・・」
 心底疲れたように、ぐてーっと艦長席の横に据え付けられたシートで伸びているのは、もちろんはやてである。
 突発的に開催された家族会議が、まさかこんなに白熱するとは思わなかった彼女は、
「だから、みんなには内緒にしときたかったんやー・・・」
 と、吐露してみせた。
 それを楽しそうに見つめているのは、シモーネ以下ブリッジクルー+アンベール(抱腹絶倒中)の面々だ。
「おつかれさま」
 そう言って、レモン果汁入りの飲料水の入ったパックを渡してきたのはシモーネだ。三時間に及ぶ家族会議で酷使されたはやての喉を気遣ったチョイスである。
 しかしそれを手渡すシモーネの顔には、本当のところはどうなんですか? と書かれていて、興味津々といった態だ。
 まさかシモーネがこんな風にして茶化してくるなんてと思いつつ、しかしそれが面白くないはやては、パックのストローに口を付けてブクブクやりながら、ツンとそっぽを向いてみせた。それは間違いなく『ノーコメントです』というアピールだ。
 そんな彼女の態度が酷くお気に召したのか、シモーネにしては珍しく、はやての頬をツンツン突いて尚もかまうのだ。
 だからついには、はやての方が音を上げたのである。
「だから、ホントに、なーんにも、ないんですってばー!」
 両手を挙げて、はやてはガーッと喚く。
 しかしそれを聞くべき人は、寸前クリスからもたらされた報告に耳を奪われていて、聞いていなかったのである。
「・・時空間閉鎖・・って、なんですかこれは!」
 それは、闇に潜む者どもが、動き始めた事を現す狼煙だったのだ。



PREV− −NEXT− −TOP