魔法少女リリカルなのはA's VerH −宵闇の小夜曲−



   ― 8.激動 ―

 歌が轟き渡る。
 神を忌避し、怨嗟の声を上げる咎人の慟哭の歌が。

 時には金切り声のような高音を。
 時には胴間声のように太く濁った低音で。
 高音から低音まで激しく転調を繰り返すその歌は、歌い手の喉を激しく痛めつける。
 それでも彼は歌い続けた。
 神を忌避し、怨嗟の声を上げる咎人の慟哭のその歌を。
 彼は歌わなければならなかった。その歌を。
 彼は歌わなければならなかったのだ。
 今この瞬間にこそ。
 そして彼は歌わなければならなかった。
 宿命という巫山戯たレールから逸脱し、己が野望、大願成就を果たさんが為に。

 歌が轟き渡る。
 神に感謝し賛美する、聖人の祝辞の歌を。

 朗々と。清々と・・・。

   ◇

 前回の戦闘で受けた深刻なダメージの修復を完了し、現在はシステムチェックなどといった機能の整合性の確認を行っている愛杖『トライホーン』を、小脇に抱える禿頭の魔法生物ゼムゼロスは、その黒曜石のような漆黒の瞳で、虚空を睨みつけていた。
 その口から漏れる言葉には、どこか苛立たしげな色が滲んでいた。
「・・緊急時の状態遷移に従えば、そろそろゼラとの連絡が取れるはずなんだが・・・」
 気に病むのは外でもない。
 時空管理局の艦に対し、強攻を仕掛けた先の戦闘で、連絡の取れなくなった仲間、ゼラフィリスの安否である。
 状況から考えて、彼女が捕まったことは想像に難くない。彼らのデバイス同士だけが行う暗号化通信さえも途絶えていることもまた、それを裏付る理由の一つだ。
 にもかかわらず、彼がもうすぐゼラフィリスと落ち合えると確信しているのには分けがある。いや、この説明は適切ではない。正確に記するならば、彼は彼女の『バックアップ』からの連絡を待っているに、他ならなかったのだ。
 彼らの体は、一個の独立した単細胞生命が寄り集まることで、『群体』として構成された、いわば義体でしかない。故に、体の一部が損壊しようとも、直ぐさまそれを補うために、細胞分裂し増殖することでこれを補完することができたのだ。
 『不死の兵隊』。
 それこそが、彼らに求められた本当の姿だった。
 しかし彼らは、失敗作として処分されることとなった。理由は簡単にして明快だった。
 分裂、増殖を無制限に行うことで、これまでに留め置いた記憶情報を、劣化、欠損させるという欠陥を内包していたからだ。詰まるところ、与えられた指令内容を最後まで完遂出来ない役立たずが、大量に出来上がる公算が高かく、作るだけ無駄だという結論に、帰結をみたからだ。故に彼らは『失敗作』として処分されたのだ。
 だが、今の彼らは違う。
 デバイスを手に入れたことにより、この欠点を克服していたのだ。
 次元の狭間に隔離固定されたバックアップと、常時情報連結することで、無限再生による記憶情報の劣化を防ぐことが可能となったからだ。
 だが飜って考えれば、彼らが彼らで在り続けるためには、デバイスは切っても切れない存在ということになる。そんな彼らの生命線ともいうべきデバイスの、正常動作していることを示す死活信号を受信できないという事態に直面した場合、バックアップの彼女がどのような判断を下すのかなんて、火を見るよりも明らかだ。
 デバイスの機能停止は、即ちメイン=ゼラフィリスとの情報連結の不全。つまりメインは、デバイスと共に全損した事を示す。
 そんな最悪の事態に直面してもなお、『ゼラフィリス』という存在を存続させるには?
 答えは一つだ。
 『バックアップ自身が、実体を持てばいい』。
 非常事態用の行動指針を選択することで、バックアップは『ゼラフィリス』として、在り続けることができる。だからゼムゼロスは、バックアップ=ゼラフィリスの到着を、一日千秋の思いで待ちわびていたのである。
 だが実際のところ、デバイスのサポートもなく、記憶情報を止めることも出来ないバックアップが実体を持ったところで、戦闘時に役に立たない公算は極めて大きい。では、そんな存在の彼女でさえ当てにせねばならないほど、ゼムゼロスは追い詰められているというのだろうか?
 その答えは、複雑にして混迷を極めていたのである。

 今彼は、はやてらに指定した邂逅点にほど近い山林の、風穴(ふうけつ)の奥深くに身を潜めていた。
 ゼロの体の修復が完了したと言っても、これからのことを考えれば、万全というにはほど遠い。そんな有様で管理局の魔導師と事を構えるには、不安がどうしてもつきまとう。だからゼムゼロスは、再び眠りに落ちたゼロを一人残し、管理局の攻勢に対抗するための下準備に、余念なく動いていたのである。
 その要となるのが、この風穴であった。
 風穴は、かつての火山活動によって、溶岩に飲み込まれるなどした森林が、長い時間を掛けて雨水などの地下水に浸食されることにより出来上がった洞窟だ。その証拠に、風穴の至るところに石炭の鉱脈が散見しており、ゼムゼロスの両手は、既にその石炭で真っ黒になっていた。
 そんな複雑に入り組む洞窟は、総延長で三十kmを優に超え、まるで人が踏み込むことを拒んでいるかのようでもあった。そんな前人未踏の洞窟があったればこそ、彼らはこの地を『昇華の儀式』の祭壇として選んだのである。
 この風穴を生み出す要因となった火山は、既に死火山となっていた。
 溶岩の生成に尽力していたマントル対流が、大陸をプレートごと、大移動させてしまったからだ。マントル対流の摩擦によって生み出される超々高圧の熱量が得られなければ、火山が火山として成り立っていけるはずもないのだから当然だ。
 そうして冷えたマグマは体積を減少させ、ひび割れを生むことになる。最終的には自重を支えきれず崩落し、そこに生まれた空間に雨水や地下水が流れ込んで溜まれば、地底湖を生み出すこととなる。
 ゼムゼロスが着目したのは、この地底湖とこれに繋がる風穴、それと地下水脈の支流(風水で言うところの龍脈)だ。中央に配される形の地底湖を祭壇と見立て、地下水脈を祭壇へと至る命脈とすれば、そこは巨大な地下神殿となる。
 あとは説明するまでもないだろう。
 セフィロトの枝片を要所要所に配した上で封印を解放すれば、地下神殿の命脈を『道(パス)』に励起した枝片同士が干渉し合い、セフィロトが生み出す膨大な力を相乗的に高めあうことになる。
 そうして、ゼーレの面々が渇望して已まない『昇華の儀式』が発動するのだ。
 では何故、ニルヴァーナの観測機器が、この地下神殿の所在を探知できないのか? 答えは至って簡単だ。
 通常、水脈周辺では、地磁気の乱れ(ダウジングロッドが反応する要因)が生まれるため、これを拾うことで観測機器はその概要を教えてくれるのだ。しかし溶岩が磁鉄鉱を多く含んでいたとしたらどうだろう。水脈が生み出す微弱な地磁気は、磁鉄鉱が発する磁気によってかき乱され、その存在を覆い隠してみせるだろう。もちろんX線や音波探知まで用いる複合探査を行えば、これを回避することも出来たのだろうが、如何せんニルヴァーナは、地上から一万km以上も離れた宇宙空間のラグランジュポイント付近で固定されている。そんなに距離が離れてしまっては、誤差が酷くて使い物になるわけがなかったのだ。だから、観測チームを組んで現地に送り込まない限り、この要害を把握することは、決して出来なかったのである。

 そんな自然が生み出した要塞に陣取りこそしたものの、彼らゼーレが有利な立場にあるかと言えば、必ずしもそうとは言いきれなかった。
 まず圧倒的に戦力が足りない点が上げられる。
 いずれゼラフィリスが戦列に復帰するといっても、情報連結によるバックアップの保証ができない限り、彼女が大胆な行動に打って出ることは、不可能と言えたからだ。
「ゼロのためになるのなら、この身がどうなろうと構いやしないさ」
 ゼロ思いの彼女ならば、必ずそう言うだろう。ゼムゼロスは、確信持って断言できた。
 だがそれでは困るのだ。
 心優しいゼロが、彼女のそんな物言いを承諾するわけがなかったからだ。場合によっては、管理局に投降する。と言い出しかねない。
 何か策はないモノか。手元にある二つのデバイスで、三人分の記憶情報の損失を防ぎつつ、管理局に対抗しうる戦力を確保する方法は・・・。
 そんな矛盾する二つの問題を、一度に解決できるような起死回生の策が、おいそれと出てくるわけもない。だからゼムゼロスは、そんな荒唐無稽の考えを頭の隅に追いやろうと、頭を振るのだった。しかし洞窟の暗闇を見つめ、彷徨い歩いているうち、彼は知らず知らずその事ばかりを考えてしまうのだ。
 何か、何か策はないのか・・・。
 ゼムゼロスが思考の迷路にハマってしまったその時である。
 ボトッ。という音を立てて、一匹の蛇が、彼の背中にむけて落ち掛かってきた。
 その突拍子もない出来事に、悲鳴を上げる様な醜態こそ晒さなかったものの、平素であれば、背中に何かが落ちてこようと難なくかわせる自信が、彼にはあったのだ。しかしそれが出来なかったという事実にこそ、彼は動揺を隠せなかった。
 自分はそこまで追い詰められていたというのか・・・?
 そうして押し黙ってしまったゼムゼロスの背中に、堪えきれないといった口調で、嬌笑を浴びせる声が一つ。
「なんだい、なんだい。ちょいと見ないうちに、随分と背中が煤けてるじゃないか。
 え? ゼムゼロス」
 果たしてそこには、濃紺のイブニングドレスに丈の短い白のジャケットを羽織り、腰まで届こうかという漆黒の黒髪を垂らして流す、ゼラフィリスの姿があった。そう。先ほどの蛇は、彼女の体を構成する群体のうちの一つだったのだ。
「・・遅いぞ・・・」
 しかしゼムゼロスはゼラフィリスのからかい半分な口調を気に掛けるでなし、ポツリと、たった一言だけ言い返すと、早々に洞窟の奥へ、歩を進めてみせたのだ。
 そんな連れない態度をとられれば、自然、ゼラフィリスの口調が非難めいたものになっても無理はない。しかし、
「なんだい。本当にシケてるねぇ。
 せっかく耳寄りな話を持ってきてやったってのにさぁ」
 と、気になるような事を口にすれば話は別だ。彼女とて、ゼムゼロスが思い悩んでいる事は、先刻承知なのだから。
「・・・・・・」
 ムッツリと押し黙った表情のまま、ゼラフィリスを振り返ったゼムゼロスは、先を促すように顎をしゃくってみせた。

「・・どうだい?」
 ゼラフィリスは、滔々と起死回生の妙案をゼムゼロスに語ってみせた。
 胸の前で腕組みし、禿頭の男の反応を黙って待つ彼女は、優越に浸った顔をしたものだ。だがそれは、直ぐさま一変する事となる。
 ダメだと、ゼムゼロスが明瞭にして簡潔に、彼女の案を退けたからだ。
「な・・どうしてだいッ! これ以上の策がどこあるッていうんだい!
 あたしらには後は無いんだよ! やるしかないじゃないか!
 それとも何かいゼム! 尻込みしたって言うのかい!」
 顔色を失って絶句したと思いきや、次の瞬間には気色ばんで詰め寄るゼラフィリスに、辟易としながらも、ゼムゼロスは「その通りだ」と前置いた。
「そうだ。その通りだ。
 確かにお前の言うとおり、それ以上の策はないだろう。
 だがダメだ。それではダメなんだ」
 だから何故ダメなんだと、尚も詰め寄るゼラフィリスを押しとどめ、ゼムゼロスはたった一言だけ、口にしてみせた。
「ゼロが、それを許すと思うのか・・・?」
 そう悲痛な面持ちで、彼にそんなことを言われてしまえば、彼女が二の句を告げられるはずもない。だからゼラフィリスは、その顔に、様々な表情を浮かべては消しを目まぐるしく繰り返し、たっぷり数分もの時間を掛けて、ようやく溜飲を下げてみせるのだった。
 もちろんゼムゼロスだって、彼女の気持ちは痛いほどによく分かる。つい先ほどまで、同じ事で頭を悩ませていたのだから尚更だ。
 全てはゼロのために!
 二人はただそれだけを真情として存在し、行動原理としている。それはまるで、使い魔や守護獣の有り様と同じものだ。
 我、存在セシワ、全テ主ノ為ナリ。
 彼らの存在理由は、たったこれだけの一文で説明できたのだ。
 それほどまでに単純で、プリミティブな思いに凝り固まっているからこそ、群体などというあやふやな集合体に過ぎない彼らが、単一の個体であるように存在し続けることが出来たのだ。だが裏を返せば、それこそが彼らの限界であり、それ以上の存在に遷移することが出来ずにいる足枷ともなっていたのである。彼らが望もうと望まざると、結果的に自らを苦しめることになるとは、皮肉以外の何ものでもなかったが。
 だからこそ、二人は正しく分水嶺に立っていたのだ。
 そして運命は、轟音を伴って二人に襲いかかってきたのである。

 ッンンンン・・・。

 気圧の変化による耳鳴りがしたかと思った矢先、洞窟が低く鳴動したのである。
 洞窟が崩落したような音に似ていたが、その程度で、耳鳴りがするほどの気圧の変化が起こるわけがない。遠く離れた場所に何かが落ちでもしないかぎり、そんなことが怒るわけがなかった。
 洞窟が崩落を起こし、生き埋めになる可能性もあったが、そうなったところで危惧する必要もない。体を分かち分体すれば、事なき得られるのだから。
「無事か。ゼラ」
「お前さんもね」
 だがそれでも、お互いの確認をしあうのは精神衛生上の問題か。はたまた、彼らが人間らしい思考の持ち主であることの証明か。
 尻餅をついた恰好のゼラフィリスが、悪態じみた口調で返すのを聞いて、ゼムゼロスはひとまず相好を崩してみせた。
「いったい、なんだったんだい今のは。地震のわけ無いし・・・」
「決まっている。管理局の攻撃だ」
「随分、冷静じゃないか。
 でもあの嬢ちゃんが、そんな思い切ったことするわけないんじゃなかったのかい?」
「八神はやて個人・・はな。だが、あの艦の指揮をする者は、その限りではなかったということだ」
「・・納得だ」
 自分が浅慮でした。と潔く理解してみせたゼラフィリスは、でどうするんだい? と目顔でゼムゼロスに問いかけた。
「まずはゼロと合流する。話はそれからだ」
「そうだね」
 二人は頷くと、群体を解き、個々の個体、蛇やネズミやアメーバ状の生物に分かれると、三々五々散り散りになって、ゼロの元へと向かっていった。

   ◇

 時空管理局所属L級巡航艦第十二番艦『ニルヴァーナ』。
 そのブリッジは今、静寂に包まれていた。しかしそれは、大事の前の静けさとも言うべきもので、しかしそこかしこでは、ブリッジのメンバーがそれぞれの職務に専念している。
 そしてその中央には、凛と腕組みして立つ一輪の黒薔薇の姿があった。艦長であるシモーネ・アルペンハイム提督、その人だ。
 彼女の号令のもと、艦内は第一級戦闘態勢で運用されている真っ最中だった。
 主機であるジェネレーターの出力は、そのほぼ全てを兵装に廻されており、艦内の照明設備はもとよりエレベーターに至るまで、ライフラインは必要最低限の電力しか確保されていない状況にある。場所によってはそれだってまだマシな方だった。最悪、循環系の設備まで停止され、酸素マスク着用が義務づけられている箇所もあったのだ。
 中破したニルヴァーナのジェネレーター出力は、平時の七割を下回っていた。だからそこまでして切り詰めなければ、電力を確保できない状況にあると言っても過言ではなかったのである。
 しかし、それでも艦の士気は高かった。
「う、右舷第七、第十一、およ、及び十五から二十までの隔壁閉鎖を確認。
 えっと、ガーフィールドグループを除く各クルーの待避、か、完了しました・・っと、ガーフィールドさんから入電。コンダクターの状態は、ぐ、グリーン。ただし過剰運転は、四時間が限界、とのことです」
 クリスティン・ホークが、いつもの調子でどもりながら報告を上げてくる。
 二本の足を放り出すような、独特のデザインを持つL級巡航艦は、左右のつま先に当たる部分に、コンダクター(魔力素流動器)をそれぞれ一基ずつ、設けられていた。しかし今のニルヴァーナは先の戦闘で、左舷を喪失している。つまりコンダクターが一基しか存在していない状況にあるのだ。そしてガーフィールドが上げてきた報告は、その一基で、二基分の戦闘出力を出すための限界時間で、それは取りも直さず、短期決戦しか望めないという報告でもあったのだ。
 しかしそんな報告を受けたシモーネの表情に変化はない。いや、むしろ「四時間? それだけあれば十分です」という余裕すら見て取れた。もちろんブリッジに集うクルーの全員は、それがハッタリであることも重々承知していた。
 にもかかわらず、士気は高かったのだ。
「各兵装、安全装置解除。対艦、対空迎撃レーザー、及び電磁投射ランチャー、全て迎撃位置。
 ・・主砲、砲身の展開を確認しました。次いでパワーコンデンサーへの電力投入を確認。一番、二番、共に充電開始。励起まであと二十秒。
 操船指揮官にトリガーを譲渡します。
 ・・セイン、タイミング謝らないでよね」
 操船指揮官補佐であるシンシア・ウェイバーの言葉はいつだって辛辣だ。しかしそれは、操船指揮官であるセイン・カーペンターを信頼しているが故に紡ぎ出される悪態なのである。
 そしてそれが分かっているセインは、鷹揚に頷いてみせるのだ。
「・・パワーコンデンサー、充電率七○%を確認。主砲、発射可能状態に入りました。充電率、なおも上昇中。
 トリガーの譲渡を確認。空間転移装置との同調、よろし。照準、合わせます。
 ・・タイミングは兎も角、左舷パージによる重心の補正設定の方が心配だよ。俺は」
 ニルヴァーナの操船を一手に握る、彼らしい心配事である。
 既にクリスと共に、左舷無しの状態で主砲を発射した場合の艦の挙動シミュレーションを行い、その結果をフィードバックしてはいるものの、それでも不安を覚えずにはいられないらしい。
 そんな弱気な発言に、シンシアが直ぐさま揚げ足を取るべく噛み付いてきた。
「あら〜? 今の発言は、外れたらクリスの所為にしようって魂胆かしら?」
「心外な! 誰も外すなんて言ってない!」
「そうとしか聞こえませーん」
 互いにコノヤロウという視線を絡ませ、じゃれあう二人のやり取りに、クリスの間延びした声が割ってはいる。
「セインさんの言うことも、も、もっともですよ。
 コンダクターがカタログスペック以上のしゅつ、出力要求にどこまで堪えられるか分かりませんし、それにコンダクターの過剰運転によって発生しため、鳴動が、艦にどの程度影響を与えかは、実際にやってみないこと・・・。
 と、とにかく、不安要素が多いですから、し、仕方ないです。
 でも・・絶対に外したくないですよね。は、はやてちゃん、頑張ってますもん」
 ぎこちなくはあったものの、クリスはそう言ってニッコリと微笑んでみせた。
 しかしそれこそ心外と言うものだった。
 はやてのために。
 クリスに言われるまでもなく、セインにしろ、シンシアにしろ、皆同じ気持ちでいたのである。
 歩くロストロギアとして畏怖の目を向けられることの多いはやてである。謂われのない誹謗中傷の的になることはざらにある。日常茶飯事と言っても過言ではない。そしてそんな風評なんか気にした風でもなく、明るく笑ってみせる彼女の姿を、彼らはつぶさに見てきているのだ。そして今回もまた、ろくな支援も出来ない現場に、更なる重荷を背負わせて、彼女を送り出そうとしている。良心の呵責や自責の念にかられ、暗澹たる気持ちになるのは当然のことと言えるだろう。
 だが、いま。今こそ。彼らの後ろ暗い思いを払拭する機会がもたらされたのだ。
 となれば、次元の低い話をしている場合ではない。
 はやてを支援するために、何か他にできることはないのか? 
 その思いを胸に、三人は一つ頷くと動き始めるのだった。
 そして人一倍そう思って、彼らを見つめている人物がいた。
 カラスの濡れ羽色をした黒髪を、まるで花籠のように編み上げ、柳の葉のように特徴的な細い眼をもつご婦人だ。
 静かなる微笑のアイアンメイデン。
 今、その二つ名とは真逆の笑みを浮かべているシモーネは、それぞれの仕事に邁進する頼もしい部下達を誇らしく思いつつ、そんな彼らに負けまいと、心を新たにするのだった。
 だからシモーネは、表情を引き締め、一歩踏み出してみせたのだ。
「全艦へ。こちら艦長。
 これより本艦は、主砲発射後、時空閉鎖された第二○二管理外世界ランスベルクに対し『侵攻』してくるであろう不埒な悪漢共に対し、迎撃行動を行います。
 彼らは、現在ランスベルクに潜伏する、ゼーレと名乗る『容疑者』グループとの接触を謀る一方で、これを検挙せんとする八神准捜査官に対し、威力妨害を加える可能性が極めて濃厚です。
 またゼーレの面々は、広範囲に時空間破壊を行う大変危険性の高いロストロギアを所持しており、いま正にこれを利用せんとしています。時空管理局として、いえ、一人の人間として、これはなんとしても止めなければなりません!
 為に、我々はここで要害を築き、第三勢力の介入を阻止。八神准捜査官の一助となることを旨とします。
 しかし残念なことに、ニルヴァーナはそれほど長く、作戦行動を続けることは出来ない状況にあります。ですがそんな時だからこそ、個人個人の能力が試される時だと考えてください。そして乗り越えてください。皆の働き、奮闘に期待します。
 もちろん、決して無茶はしないように。いいですね?」
 シモーネは静かに艦内放送を締めくくった。しかし始める前と後では、対照的な表情を浮かべているのだった。
 個人個人の能力が試される時だと考えてください。そして乗り越えてください・・か。我ながら無責任なことをいったものですね・・・。
 時空間閉鎖されたこのランスベルクに強襲してくるような連中だ。手勢となる連中は傭兵や戦争屋の類であることはまず間違いない。となれば、手にする武装は強力無比なモノばかりだろう。そしてそれを、非殺傷設定なんて甘っちょろいことなんか考えず、攻めてくるに決まってる。
 対してこちらは、あくまで公僕の身だ。犯罪組織が持ち出すような、違法改造された民間船とドンパチやるのとは分けが違う。彼我の戦力は比べるべくもないはずだ。
 例えるなら、凄まじい勢いで攻め込んでくる戦車を前に、おもちゃのピストルで立ち向かえと言っているようなものだ。
 にもかかわらず、シモーネは果敢に立ち向かえと命令したのである。シモーネの表情が暗く沈んだものになるのは、当然のことと言える。
 そして苦渋に満ちた表情を浮かべるには、もう一つ問題があったのだ。
 コンダクターの活動限界を超えた場合、彼女は全クルーの生命を守るために、いや、それ以前に、敵の攻勢によって艦が轟沈するような危機に直面した場合、ランスベルクに赴いたはやてを見捨てて、この時空間から退去しなければならなかったからである。
 もちろんはやてを実の娘のように想い、愛している彼女からしてみれば、それは有り得ない選択肢だった。しかし彼女は提督であり、艦を預かる長なのである。一人の命よりも、大勢を護る立場にあったのだ。そしてその事は、はやて自身了承していたのである。
 だから彼女の表情は暗く、そして重く沈んでいくのだ。
 そんな表情を浮かべる彼女を他所に、事態は推移する。
「・・艦長・・・」
 押し殺した声で、シンシアが彼女に呼びかけてきた。
「八神准捜査官、もうまもなく・・後一分でタッチダウンします」
 続けてセインが、
「主砲、充電完了しました。いつでも、いけます」
 二人の言葉は、まるで罪人の首をはねるため刀を強引に握らせ、それでも拒否しようとする人間に、敢えて振るわせんと強要する為政者の恫喝そのもののように、シモーネには聞こえたものだ。しかし振り返れば、彼女にとってそれは幾度となく聞かされた言葉となっていたのだ。
 そうだ。既に賽は投げられたのだ。この期に及んで逡巡する理由など、どこにもない。運命の天秤は既に傾き始めているのだから。
 でも・・・。それでも・・・!
 彼女の心は悲鳴を上げた。
 その時だ。
「艦長。さっさと終わらせて、はやてちゃんを迎えに行きましょう。
 要はコンダクターの活動限界まで、手こずらなければ良いんですよ!」
 シンシアが、少しだけその表情を引きつった笑みを浮かべながら、そんなことを言ってきたのだ。
「そ、そうです! 何たって艦長は、ぜ、全戦無敗の女神様なんですから!
 悪漢なんて、ちょ、チョチョいのチョイです!」
「いやクリス、それはどうかと思うぞ?
 むしろ俺は、恫喝一閃で済ませちゃう可能性を示唆するね」
 誰が見ても作り笑顔が張り付いているクリスを、セインがボケ流しで応えてみせた。
「・・八神なら問題ないさ。ちょっとやそっとじゃ、音を上げないように仕込んである。
 それに、あんたが弱気になってちゃ、不安になるに決まってる。後顧の憂いになるわけにはいかないだろう?」
 武装隊と共に、前線に立つことになったアンベールが、背中を押すようなことを宣うた。
「艦長! 貴女にそんな顔は似合いません! 笑ってください! そして俺らに勇気を!」
「あ、てめーオレイン! 何おしいとこ・・・」
 アンベールが武装隊隊長のオレインに食ってかかる直前、モニター画面が消え去った。直前、副隊長のマイヤーが申し訳なさそうに眉をしかめているのが映っていたので、醜態を晒す前に彼が切ったのだろう。
 その後、切りも切らさず、各部署から「艦長」、「艦長!」と連絡が入る。
 皆、シモーネが沈んだ顔なんか見たくないと言ってきた。
 皆、俺らに、私たちに任せろと、大きな事を言ってきた。
 皆、死ぬ時は一緒だ! と絶望なんかこれっぽっちも感じさせない、覇気の籠もった視線を投げ掛けてきてくれた。
 心は一つだ! 
 皆がシモーネに向けて、そう言ってきたのだ。

 ・・ああ。『私』は、今ここにいるのですね・・・。
 ペーネミュンデ・フォン・クレメンタインではなく、シモーネ・アルペンハイムとして。

 熱くなる胸を押し抱き、しかしシモーネは凛とした態度で号令を掛けた。
「先制します!
 八神准捜査官達の露払いとして、現ジェネレーター出力の八十%で主砲(電磁収束光砲)を邂逅地点へ。
 打ち方、用意!」
「「「アイサー!」」」
 艦を振るわせるほどの大きな声が、そこかしこで、まるで鬨の声のように湧き上がる。
 シモーネはそれに一つ頷いてみせ、次々に上がってくる報告一つ一つに首肯してみせた。
「コンダクター。動作正常!」
「主機関、出力安定。問題なぁし!」
「冷却機関、まだまだいける」
「航法レーダー。周辺に異常認めず。静かなもんです!」
「こちら隔離ブロック。お客さんは大人しくしています。異常ありません」
「艦内、非戦闘員の待避を確認。全クルー、所定の配置につきました」
「各兵装、オールグリーン。主砲、問題ありません」
 それぞれの部署の責任者が、矢継ぎ早にモニターを開いては報告し、閉じてみせる。
 そしてチェックリストを表示し、確認作業を行っていたクリスが、セインに向けグッと親指を突き立ててみせた。
 それを受けて、セインは背筋を伸ばした直立不動の姿勢で回れ右。踵の音も高らかに艦長であるシモーネを振り返ってみせた。
「艦長! 全艦、足並み揃いました!
 ご指示を!」
 それこそ、軍隊式に敬礼しそうな勢いで言うセインを、ただ無言で頷いてみせたシモーネは、右手を振りかざし、力強く命令を発してみせたのだ。
 皆を護るために。
 そして、はやてを護るために。
「主砲、発射ッ!」



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